写真をよく見てください。濁っていますね。これなんです。かの有名なヘロドトスの「エジプトはナイルの賜物」は。毎年のナイル川の氾濫で土壌が肥沃になり古代エジプト文明が成立しました。この土壌はエチオピア高原から6月~9月の雨季によってタナ湖→青ナイル川によってエジプトにもたらされて古代文明が成立したというわけです。ヘロドトスの言葉を現代流にいうと「エジプトはエチオピア高原の土壌の賜物」ということになります。なお、水量も全ナイル川の3分の2になります。
ナイル川はヴィクトリア湖から流れ出た白ナイル川とここエチオピアのタナ湖(標高1830m 面積琵琶湖の約4.5倍)からの青ナイル川がスーダンのハルツームで合流します。なお白ナイル川の源流ヴィクトリア湖については2009年11月21日、23日、25日に紹介しています。このタナ湖をこの船でクルージングして対岸の教会へ行きました。
宿泊したコテージの部屋にこのような文章がありました。子供に物をあげないようにという趣旨のようです。エチオピアではむやみに物・お金をせがむ人が多かったように思います。前回のブータンではそのような人が一人もいなかったせいか特に印象深く感じました。大学生が授業料をくれと言ったのには驚きでした。普通の女性が胸を押さえ病気なのでお金をくれという状況は複数回ありました。教会を出たところで「ソック・ソック」という子がいました。何かというと教会では靴を脱いで入るので汚れた靴下をくれというこのようでした。私の旅行では物ねだりが最も多かった国です。
しかし、ここセミエン公園では物を売ろうとする子はいましたが、お金をねだる子はいませんでした。
ゲラダヒヒが食事をしているところで現地の人たちが土産物を売っていました。ちょっとおもしろいのは品物を並べたところからかなり離れている所に売り手がいます。買い手が品物手にしてみせるとその品物の所有者が現れて値段交渉になります。
今回のエチオピア旅行は北部地方で標高が2000m以上の所の移動でした。したがって赤道直下であるにもかかわらず熱いと感じることはありませんでした。この公園内にはアフリカで4番目に高い4620mの山もありますが、我々が宿泊し少しのトレッキング(ではない散歩)をしたところは3260mのところでした。