100倍楽しむ海外旅行  時々国内旅行

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歳(終末期後期高齢者)のジジイの53

回の旅行103ヶ国を100倍楽しんだ話 付録で時々エンディングノート

「ミャンマー」編 日本人戦没者追悼碑2

2013年12月29日 08時40分08秒 | ミャンマー

 

 建立のいわれが書かれていました。

 皆さんよいお年を! 来年は元旦から始めます。来年もよろしく。

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「ミャンマー」編 日本人戦没者追悼碑1

2013年12月29日 08時36分38秒 | ミャンマー

 

 23日に紹介したようにインパール作戦で多くの人が犠牲になりました。その人たちの鎮魂の碑がミャンマーでいくつか日本人の手で作られています。今回3か所を訪れました。最初は予定にはなかったのですが、私が希望して”lonely planet”で見つけた古都ペグーにある慰霊碑を訪れました。

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「ミャンマー」編 アウンサンスーチー2

2013年12月26日 08時45分14秒 | ミャンマー

 前回、ミャンマー式「火吹き竹」を見た店です。”National league for democracy “国民民主連合の看板があります。あちこちでこの看板を見ました。人物はアウンサンスーチーと父親のアウンサン将軍です。

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「ミャンマー」編 アウンサンスーチー1

2013年12月26日 08時41分34秒 | ミャンマー

 

 前々回、アウンサンスーチーの人気は私の予想以上だったと書きました。そこで、今回もう少し紹介します。彼女の姿入りのTシャツを土産物店で沢山見ましたが、これは日常家庭で使用するカレンダーです。

 彼女の父親は「建国の父」と呼ばれイギリスからの独立直前1947年に政敵に暗殺されました。彼女は長年イギリスに住んでいましたが1988年母親の看病のため帰国、翌年民主化の大衆演説をして自宅軟禁、その後3回合計14年9カ月の軟禁、2010年に解放され2012年に連邦議会議員に選出され国民民主連盟議長に選出されます。1991年にはノーベル平和賞を受賞しています。

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「ミャンマー」編 ビルマ文化と我が家3

2013年12月23日 08時50分07秒 | ミャンマー

 もう一つ旅行中に気付いたことがありました。父の復員後両親の生まれ故郷岡山の田舎に住むことになりました。その家に何かこの田舎では珍しい少し不釣り合いの家具があり長年私は不思議に思って来ました。それは籐椅子でした。今回ビルマを旅行して籐(竹)製品の椅子(椅子だけではありません)を多く見ました。今、私の思うにはどうも父は籐製品の心地よさをビルマで感じそれが籐椅子になったのではないかと、長年の疑問が解けたような気がしました。写真はマンダレーのホテルの籐(竹?)の壁です。

 というわけでビルマ旅行中、親不孝の私が珍しくオヤジのことを思い出し感慨にふけりました。

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「ミャンマー」編 ビルマ文化と我が家2

2013年12月23日 08時46分59秒 | ミャンマー

 見てください、「大穴」でしょう。

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「ミャンマー」編 ビルマ文化と我が家 1

2013年12月23日 08時40分57秒 | ミャンマー

 私の父親はインパール作戦の生き残りです。インパール作戦とはアジア太平洋戦争時、ビルマ-インド間の要衝にあって、連合国から中国への主要な補給路(援蒋ルート)遮断を戦略目的としてインド北東部の都市インパール攻略を日本軍が目指した作戦のことです。補給線を軽視した杜撰な作戦により、多くの犠牲を出して歴史的敗北を喫し、無謀な作戦の代名詞として現代でもしばしば引用されます。犠牲者数についてはいろんな説がありますが、一説では参加数8万6000人の内、戦死者(ほとんどは飢死)3万2000人、戦病死4万人とされています。「ビルマの竪琴」という児童文学書はこの戦争とその後の日本兵を描いた名著として有名です、私も子供の時読み感動したしたことを覚えています。今回の旅行前に再読して感動を新たにしました。

その生き残りの父親は多くの戦友を亡くしその亡霊に取りつかれように夜中にうなされていたことを子供心に気付いていたことをいまだに思い出します。

ところが、意外に彼は「ビルキチ」(ビルマ大好き)であったような気がこの旅行を通じて思うようになりました。

ビルマ復員後我が家の共通語にビルマ語が入りました。70年近く前のことですのであらかた忘れましたが「アーロンビービ」という言葉だけは覚えていました。意味は「すべて終わり」とかすかな記憶がありました。そこで現地ガイドのオウマさんに確認しました。正解で発音が良いと褒めてもらいました。そこでさっそく試してみました。食事が終わって片づけに来たウエイターに「アーロンビービ」と言いました。通じましたが、彼は私がビルマ語が分かると思ったのかビルマ語でペラペラと話しかけてきました。

皆さん「火吹き竹」をご存知ですか。昔、家庭では必須の道具でした。広辞苑によれば「吹いて火をおこすのに用いる竹筒。一端に残した節に小穴をあけて、息が強く吹き出るようにする」 この言葉もいずれ広辞苑から消えていくでしょう。この「小穴」に注目ください。父親はビルマ復員後、ビルマではこの小穴は無く節を取ってしまった大穴の「火吹き竹」で、このほうが火がおこりやすいという話をしました。さっそく実験をした結果ビルマ方式に軍配が上がりそれ以後我が家の「火吹き竹」はビルマ「大穴」方式になりました。今回の旅行でこのことが気にかかっていました。前回紹介した民俗土産店でそれを見つけました。大感激です。写真がそうです。

 

 

 

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[ミャンマー」編 アウンサンスーチーとビルマ

2013年12月20日 08時53分02秒 | ミャンマー

 

 「ミャンマー」と聞くと以前「ビルマ」でしたね、という話が必ず出てきます。そして「ミャンマー(ビルマ)」と表記されたりします。「ミャンマーとビルマのあいだ」(瀬川正仁著)という本まであります。そしてミャンマーに関する本を読むと必ず冒頭に「ミャンマー」か「ビルマ」か、という話が必ず出ています。民主化運動で日本でも著名なアウンサンスーチーはミャンマーという呼称を拒否し「ビルマ」と呼んでくれと言っています。アウンサンスーチーについてはご存知の方が多いと思うので紹介は省略しますが、現地での評判は私の想像以上でした。土産店などではアウンサンスーチーのティーシャツで溢れていました。アウンサンスーチーさんのアドバイスで作られたミンナントゥー村民俗土産店に行きましたがアウンサンスーチーと父親の写真があり国民民主連盟の看板がありました。(後日紹介)いくつかのところで、アウンサンスーチーさんを尊敬していますか、と尋ねると勿論と答え”everyone”(すべての人)と続きました。そして、「日本では」と尋ねられて私は「日本でも有名です」と答えました。

 話を元に戻してミャンマーとビルマの違いを紹介します。その前にビルマの発音について。現地ではバーマと発音します。英語表記で”Burma”ですので発音はバーマになります。日本語の発音「ビルマ」は江戸時代にポルトガル語またはオランダ語経由で入ったので「ビルマ」と発音されるようになったというのが通説です。

 「ビルマ」と「ミャンマー」とは同じ意味で、当地での多数派の民族の呼称です。違いは日本語の口語と文語の違いと同じです。1948年にイギリスから独立したときには国内的にはミャンマーと呼び国際的にはビルマ(バーマ)と称していました。1989年クーデタで成立した軍事政権が対外的な呼称もミャンマーにしました。政権の説明はミャンマーの方が135の民族を包括する呼称であるからという説明でした。アメリカやイギリスなどは軍事政権が呼称を変えたのでそれを認めないという立場です。もう一つは、ミャンマーが民族を包括する呼称だというのは間違いだということです。日本政府は早くからミャンマーの呼称を採用しています。

 今回の現地ガイド、オウマサンは熱烈なアウンサンスーチーさんのフアンですが、ミャンマーでもビルマでもどちらでもよいと話してくれました。どうもそれが現地の人たちの一般的な考え方のようでした。

 ヤンゴンにあるアウンサンスーチーさんの自宅を訪れました。上にある写真はアウンサンスーチーの父親、「建国の父」アウンサンです。同行の人によれば近くに薬莢が落ちていたそうです。

 

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「ミャンマー」編 予告

2013年12月01日 08時10分41秒 | ミャンマー

 

4日~16日にミャンマー(ビルマ)に出かけます。その間休載し20日から再開します。

 画像は旅程図で「旅のデザインルーム」のホームペイジからの転載です。

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