ここでジャックフルーツに出会いました。普通果物は木の高いところに生るものだと思っていたのでこんな下のほうにぶら下がっているのにびっくりしました。
”maria"さんコメントありがとうございます。宗教は私にも難しいです。
ここでジャックフルーツに出会いました。普通果物は木の高いところに生るものだと思っていたのでこんな下のほうにぶら下がっているのにびっくりしました。
”maria"さんコメントありがとうございます。宗教は私にも難しいです。
添乗員からは何の案内も無かったのですが、中をうろうろしていたら”Ayurveda”の標識に出会いました。このホテルはアーユルヴェーダのリゾートホテルだったのです。
アーユルヴェーダとはインド由来の医学です。スリランカでは「1972年以降、国立大学で教育が行われており、2008年の段階で国民の15%はアーユルヴェーダによる治療を受けている。現代医学を教える大学は8校あり、対してアーユルヴェーダは4校である。現代医学の医師は2万人、アーユルヴーダの医師は1万5,000人存在する」(ウィキペディア)
日本にもファン?がたくさんいて今回のスリランカ行きの飛行機でアーユルヴェーダ治療に行く二人に出会いました。 脳梗塞でスリランカで治療して回復し、再度訪れている人、もう一人は美容ということでした。
私はゾロアスター教に由来しているような気がしています。”maria”さん”tomy”さんどう思われますか。皆さんどう思われますか。
“maria”コメントありがとうございました。ホストファミリーのお母さんの話をしていただけませんか。
スリランカのキャンディといえばペラヘラ祭り、仏歯寺とキャンディアンダンスですが、ペラヘラ祭りは時期がずれているので見学できませんでしたが、ダンスのほうは観光用に毎日開催されてようなので見学できました。
最初の写真で見えた湖を近くで撮影したものです。19世紀はじめ王朝最後の王スリ・ウィクラマ・ラジャシンハによって12年間かけて造られました。この湖の建設に反対した小領主たちはこの湖の上で火あぶりの刑に処せられました。
手前に魚がたくさん見えますが、皮肉にも仏教の不殺生戒の教えにより捕ることは禁止されています。
ポロンナルワの次に訪れたのはキャンディでした。ポルトガルから始まってオランダ、イギリスによるスリランカ植民地化は1815年イギリスにより完成します。そのときの最後のスリランカ王朝の首都がキャンディです。ヨーロッパ諸国の侵略によって弱体化したキャディ王国は標高500mの山に囲まれ、現在人口16万人の小さな町です。しかし「領土的に最後の砦となったキャンディこそ『純粋で真正な伝統文化』が残存している、そう考えられたのである」(「スリランカを知るための58章」p277)
写真は盆地を取り囲む山の中腹から撮影したものです。