前回紹介した俊寛堂の近くにはこのような掲示板もありました。
“foreverkato”さん読者登録ありがとうございました。私はこのブログでかなり数多く世界のお墓をテーマに紹介しています。「墓」を検索してぜひご覧ください。2005年10月23日のルーマニアのお墓などはお仕事にも役に立つように思いますが。
前回紹介した俊寛堂の近くにはこのような掲示板もありました。
“foreverkato”さん読者登録ありがとうございました。私はこのブログでかなり数多く世界のお墓をテーマに紹介しています。「墓」を検索してぜひご覧ください。2005年10月23日のルーマニアのお墓などはお仕事にも役に立つように思いますが。
俊寛残留の悲劇は能、浄瑠璃、歌舞伎の題材となってきました。1997年、2011年と2度硫黄島で歌舞伎公演がありました。島の開発センターの前の砂浜での公演で野外歌舞伎として話題になりました。
その跡に公演の記念碑がありました。
先日、日本でクルド人とトルコ人の乱闘騒ぎがありました。そこで臨時に私が旅行中に出会ったクルド人ついて紹介します。クルド人は中東一帯に住む3000万人の世界最大の国家を持たない民族です。
さてこの民族で高校の歴史の教科書にも出てくる英雄をご存知ですか。そうです、サラディーンですね。2006年5月13日にシリアのダマスカスで見たサラディーンの像を紹介しています。サラディーンの名前がマスコミをにぎやかしたのはイラク戦争時のブッシュ大統領の「この戦争は十字軍だ」という発言でした。当時のイラクの大統領サダムフセインはこれにたいしてサラディーンの名前を出しました。そうです。対十字軍の戦いのイスラーム側の英雄がサラディーンだったのです。ところが皮肉なことに、その時フセインはイラク国内のクルド人を弾圧していました。フセイン政権が崩壊後イラク国内のクルド人勢力は強力になり現在では自治州を形成し事実上の国家的存在になっています。そしてアメリカ合州国に忠実な存在となり対「イスラーム国」攻撃の一翼を担っています。ところがこのイラクでのクルド人勢力の拡大は国内に1000万人のクルド人を抱えるトルコにとっては迷惑の存在となっているのです。長年彼らはクルド人国家または自治州の成立をトルコに要求してきたからです。これが今回の乱闘騒ぎの原因です。
2つ目の話題。クルド人は大多数がイスラーム教徒ですが、グルジア(現ジョージア)ではゾロアスター教徒に出会いました。2008年6月22日をご覧ください。
3つ目の話題。アルメニア旅行中の現地ガイドの話です。19世紀末から20世紀初頭(オスマン帝国の崩壊の少し前から現在のトルコ共和国の成立のころまで)にかけてトルコ人によるアルメニア人追放、虐殺事件がありました。犠牲者は100万人~150万人といわれています。そのことについての現地ガイドの話です。2005年12月17日のブログに以下のように書いています。
「このときクルド人の悲劇がありました。アルメニア人を殺せばクルドの独立を認めるというトルコ政府の扇動に乗ってこの大虐殺にクルド人も一役買ったのでした。(この部分は私の質問に現地ガイドが答えたこと)」。これについてコメントをしたいのですが長くなるのでやめておきます。
4つ目はこの写真です。2008年のイラン旅行のときのクルド人町の街角風景をバスから撮影したものです。バスからというのはこの町は危険だからということで下車できないとことでした。イランでもクルド人は差別されているようでした。もっともクルド人は国境を越えての密貿易をしているというということもあるようです。ダブダブのズボンをつけていますね。これがここのクルド人の特徴だそうです。
この町の近くのホテルに泊まり翌朝散歩をしているときクルド人らしき青年が近寄ってきて” Can I help you? “(何か手伝うことがありますか?)と話かけられたのには、びっくりし、感激しました。私の外国旅行でこのようなやさしい言葉をけられたのは最初にして最後でした。7年たった今でも忘れることのできない”Can I help you? “です。
スーパーのレジのお嬢さんコメントありがとうございました。今後ともよろしく。
Tomyさん いつもコメントありがとうございます。詳しくご覧いただいているようで大感激です。私は味痴なのであまり食べ物は紹介していないのですが、ナンデカ、ナンだけは。2007年8月27日のウズベキスタンのナン、8月29日のアルメニアのナンなどはいまでも強く記憶にあります。
平家物語には俊寛は「足ずりをして、『是乗せてゆけ、具してゆけ』とをめきさけべども」とかかれています。自分だけが残されてゆくときの、描写です。それを具象化した像が海原に向かって置かれていました。
「口実」さんコメントありがとうございました。いいですね、孔雀を食用とは。私など「羽を広げた」となど陳腐な発想しか出ませんでした。削除などとは滅相も無い。今後ともこのような素敵なコメントを期待しています。と、ここまで書いて一服し、録画していたTV番組「ふしぎ発見」(10月10日放映)を見ていたところイタリアのポンペイ遺跡の居酒屋のメニュに孔雀があったというクイズに出会いました。ひょっとすると「口実」さんは古代ローマ人の血を引く方かな。なにはともあれ今後ともよろしく。
最近レジェンドという言葉をよく見聞きしますが、英語のlegend のことなんですね。しかし、日本語の伝説という言葉に比べてこのレジェンドはなんとなく軽くて、軽薄で重みを感じません。レジェント≒伝説ですね。
さて三島村にはたくさんの伝説がありますが、なんといっても硫黄島の「俊寛伝説」と「安徳天皇伝説」はビッグでヘヴィです。そこでまず「俊寛伝説」から。
伝説の由来はこの掲示板をご覧ください。一つだけ注を入れておきます。掲示板には鬼界ケ島(硫黄島)と書かれています。平家物語には流刑地が鬼界ケ島とかかれています。この鬼界ヶ島の場所については、ここ硫黄島、鹿児島県大島郡喜界町の喜界島、長崎県長崎市の伊王島など諸説ありはっきりしていません。また、ひそかに島を脱出したという説も多く、鹿児島県阿久根市や出水市、佐賀県市などにも俊寛に関する言い伝えが残っています。ウィキペディアには喜界島での俊寛のお墓の写真が載せられています。
車での観光途中、林に孔雀を見ました。なに?これ?とびっくりしました。びっくりしてその時は、写真に撮ることはできませんでした。宿に帰って散歩をしているときに出会ったのが、この写真です。調べてみると1973年ヤマハ楽器の関連会社がこの島を海洋リゾート地として開発して一時繁栄をしたが1983年経営不振で撤退しました。その置き土産の孔雀が野生化して、前述のようにlonely planet でも取り上げられるようになったというわけです。
東温泉近く以外にも絶景はあります。ここは恋人岬からの展望です。6月11日に紹介した硫黄岳と稲村岳のメルヘンチックなコラボな絶景の反対側です。9月4日に紹介した竹島の籠港(コモリコウ)と似ていますね。やはり洞窟があります。やっぱりイタリアのカプリ島と姉妹都市を結ぶべきですね。外国人観光客がめったに訪れない硫黄島とはLonely Planetの指摘ですが、10月10日に紹介した「硫黄島」「坊津商人」「中国陶磁器」「蒙古襲来」も含めて世界的な観光地に名乗りを上げてはいかがですか。平家、俊寛(後日紹介)、安徳天皇(後日紹介)伝説、孔雀が彩りを添えて。勿論、温泉も、アフリカ音楽も。三島村当局のかたがた、いかがですか。
ついでにもう一つ余計なお節介を。出土した中国陶磁器は島内の適切なところに保管し展示公開されてはいかがですか。現地保存が考古学のルールでもあったような気がするのですが。