高さ14mのこの断崖にポルトガルの詩人カモンイスが詠んだ詩の一節を刻んだ石碑がありました。写真では見にくいので転記します。” AQUI ONDE A TERA E O MARCOMECA __ ここに地果て、海始まる“ わたくしの当時のメモ(1回目)に「陳腐なセリフながら感無量」とありました。
ガウディの作品でバルセロナ以外にある数少ない作品の一つをスペイン北西部の旧レオン王国の首都レオンに見ました。1892年~1894年かけてこの町の金持ちの繊維業者の依頼で建設され現在は銀行になっています。今まで紹介してきたガウディの作品とは少し違う感じがしますね。それについて堀田善衛は「スペイン断章」(p59~60)で以下のように酷評しています。
「****注文主の大度量があって、このカタルーニャの建築家は、ほとんど思う充分のことが出来た。それはむしろ例外なのである。建築家といえども、注文主なしには仕事は出来ないのであってみれば、そこに妥協ということがつねにつきまとう筈である。****ほとんど正方形の5階建ての建物の、四隅の尖塔を除いては、ガウディらしさみたいのものはあまり見られないのである。****私はそのほとんど保守的な建物を眺めながら、芸術家と金、あるいは注文主というものとの、生臭い弁証法ついて考えていて、しまいにはその建物の石が生臭く匂いを発しているのかにさえ思ったものであった」
トリヴィア
86歳になりました。地獄の閻魔さんが久しぶりに登場「まだかよ。早くこちらに来いよ!待ちくたびれたよ!」私「ごめんなさい。間もなくです。ところでわたくしの極楽移籍の件は忘れてはいないでしょうね」 閻魔さん「もちろんだよ。約束を破って舌を抜かれ地獄に落ちた先代の閻魔とは違うよ。ところでお前の約束、世界中を旅行して手に入れたブログにも書けない極秘のニュースを俺に教えるという約束を忘れてはいないだろうね」私「もちろん。舌を抜かれたくないから」(cf 枝雀の『地獄八景亡者戯』)
カサ・ミラはバルセロナのグラシア通りにある建築物でガウディが54歳の時に設計し1906年から1910年にかけて実業家のペレ・ミラとその妻ルゼー・セギモンの邸宅として建設されました。1984年にユネスコの世界遺産に登録されました。この建築物は通常の建築物というよりむしろ彫刻であると見做すことができる。実用性に欠けるという批判もあるが、圧倒的な芸術性を持つことは否定できない。皮肉にも建設当時のバルセロナ市民はカサ・ミラを醜悪な建物と考え、「石切場(ラ・ペドレラ)」というニックネームをつけたが、今日ではバルセロナを代表する歴史的建造物となっている(ウイキペディアより)
最上階にガウディに関する展示室があり見学の予定でしたが入場者制限があり写真でわかるとおり多人数が待機していたので時間の関係上スルーしました。残念!
最後の一枚。
トリヴィア
北欧のフィヨルド観光船で観光していた時の話です。同乗者にスペイン人がいました。そこでわたくしはガウディの国ですねと挨拶をしました。すると少し首をかしげてから、わたくしのガウディというフラットな発音を訂正してガウディと「ディ」にアクセントがあることを教えてくれました。ついでにもひとつ。スウェーデンで同じく「ノーベル」とフラットな発音をして「ノーベル」と「ベ」にアクセントがあることを教えてくれた人がいました。
スペイン・ポルトガルには「スペイン・ポルトガル紀行」(1996年10月28日~11月9日)と「スペイン・ポルトガル大紀行」(2009年4月2日~5月1日)の2回旅行しました。ブログは2009年3月29日~2009年9月23日と2015年10月4日に書きましたがまだ紹介していないところがあり、未完のままでした。
バルセロナにあるガウディのグエル公園から再開します。
ガウディ(1852~1926)はスペインのアール・ヌーボ建築の代表的人物です。未完のサグラダファミリアは最も有名ですがすでに紹介しているので今回は省略して、バルセロナにあるグエル公園、カサ・ミラとレオンの「カサ・ロス・ボディーナス」を紹介します。
まずはグエル公園から。
実業家グエル伯爵がイギリス風の住宅地としてガウディ依頼して1900年から1914に設計建設されましたが、あまりにも当時の人には前衛的過ぎて売れませんでした。そこでグエルは1923年バルセロナ市に寄贈して市営公園になりました。写真は正面入り口です。