「交易商人たち2」で紹介した写真のあたりを歩きました。「蔵浜通り」と呼ばれています。多分交易商人たちの蔵が立ち並んでいたことからきているのでしょう。そこで思い出すのが交易商人=密貿易です。私が最初坊津で思い浮かべたのも鑑真と密貿易でした。
多分出ていないだろうと思って、でも念のためと、今までたびたび登場していただいた世界で最も売れているガイドブックlonely planetの”Japan”編を見てみました。出ていました。たった3行ですが。
“a fishing village that was unofficial trading link with the outside world via Okinawa during Japan`s two centuries of seclusion.”
「鎖国時代の200年間沖縄を通じて外国と密貿易をしていた漁村」
そこで「海洋国家薩摩」など多数の研究書があり密貿易の研究で博士号をお取りになった西郷南州顕彰記念館の徳永和喜さんにこのlonely planetの記述についてお伺いした所全面的にこれを否定されました。揮津館の橋口さんから頂いた徳永さんの論文のコピー「海洋国家・薩摩―薩摩に鎖国はなかった」によれば「(薩摩の)琉球口貿易は幕府公認の貿易」です。したがってLonely planet の「沖縄を通じて***」は誤りのようです。そしてまた坊津が薩摩に隠れて「沖縄と**」という史実もないようです。
坊津は享保以来全くの寒村になりますが、それは徳永論文によれば「幕府の貿易統制(正徳新例)が薩摩藩におよび、薩摩藩が(山川港に貿易港としての権能を集約し)領内の統制を極めた結果と考えられる」
三島村に今日から旅行します。帰宅は30日の予定なのでブログの再開は6月2日を予定しています。実は三島村の硫黄島は坊津と関係が深いのです。そのこともあっての三島村観光です。その報告はいずれ後日。