100倍楽しむ海外旅行  時々国内旅行

89
歳(終末期後期高齢者)のジジイの53

回の旅行103ヶ国を100倍楽しんだ話 付録で時々エンディングノート

「スリランカ」編 お土産 緑茶

2016年06月21日 08時30分04秒 | スリランカ

 

 これは現地の旅行手配会社のお土産に頂いた緑茶です。味痴の私でもまずいと感じました。緑茶はやはり日本ですかね。

 次回からは「中国東北部5都市紀行」です。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「スリランカ」編 お土産 シナモン2

2016年06月21日 08時27分24秒 | スリランカ

 

 写真はシナモンの樹木です。「米欧回覧実記五」(p294)は「肉桂(シナモン)ハ世界一ノ美ニテ、其値三万五千ポンドノ多キヲ輸出ス」と記述しています。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「スリランカ」編 お土産 シナモン1

2016年06月21日 08時23分09秒 | スリランカ

 

 「スリランカ」編の最後にお土産を紹介します。すでに普通の紅茶とARRACKというお酒は紹介しました。これはシナモン紅茶です。おいしかったですよ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「スリランカ」編 ゴール9 オランダ東インド会社3

2016年06月18日 08時35分08秒 | スリランカ

 

 オランダ東インド会社の全形です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「スリランカ」編 ゴール8 オランダ東インド会社2

2016年06月18日 08時31分51秒 | スリランカ

 

 このオランダ東インド会社は現在海洋博物館になっています。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「スリランカ」編 ゴール7 オランダ東インド会社1

2016年06月18日 08時27分55秒 | スリランカ

 

 オランダは1658年~1796年この地を支配します。写真はこの時代のオランダ東インド会社です。門の上にあるのがオランダ東インド会社の紋章です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「スリランカ」編 ゴール6

2016年06月15日 08時34分03秒 | スリランカ

 

 灯台です。イスラーム教徒の姿がありますね。以前にも(2016年2月16日)紹介したようにゴールに最初に来た交易商人はイスラーム教徒でした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「スリランカ」編 ゴール5

2016年06月15日 08時30分34秒 | スリランカ

 

 監視塔跡です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「スリランカ」編 ゴール4

2016年06月15日 08時27分08秒 | スリランカ

 

 砲台跡です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「スリランカ」編 ゴール3

2016年06月11日 08時35分50秒 | スリランカ

 

 この城塁をめぐって各国間で争奪戦がありそのせいで牢獄もできました。写真の地下がその牢屋です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「スリランカ」編 ゴール2

2016年06月11日 08時33分45秒 | スリランカ

 

 1889年政府が此の「城塁」を撤去する方針を出しました。その時ゴールのあらゆる階層の人々から反対の声が上がり「城塁」は守られました。その後世界遺産に指定されました。写真は此の保存活動を主導したアンソニスを記念して立てられた時計台です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「スリランカ」編 ゴール1

2016年06月11日 08時26分34秒 | スリランカ

 

 

 スリランカ最後の観光地はゴールでした。(2015年11月21日地図参照)このブログにたびたび登場してもらっている岩倉使節団(1871年~1873年)はスエズ運河を通りこのゴールに立ち寄り帰国しています。その記録「米欧回覧実記」(2007年3月18日紹介)は以下のように記述しています。

「此港、元ハポルトガル(原文漢字)人ヨリ占領シテ、埠頭トセシヲ、ホルランド国(オランダ 原文漢字)ヨリ取リ、千六百六十五年ニ、城塁ヲ造リテ、***千七百九十五年ノ頃***英人ハ因テ兵をヲ労セスシテ、此地ヲ取リ、此ヨリ其所属地ニウツリ、元『ゴール』市ハ、此塁内ノミナリシニ、今ハ塁外ニ溢レテ、***人口ハスベテ一万五千二百八十九人アリ、内二百三十七人ヲ欧州人トス」(岩波文庫「米欧回覧実記五」p283~284)

 ちょっと話題が外れますが、以前このブログで(2016年5月11日)「スリランカでは物貰い(乞食)には出会いませんでした。路上での物売りには出会いましたが、成年男子だけで子供、女子はいませんでした」と書いています.

 ところが此の「米欧回覧実記」(p288)では「村々ノ童幼、客ヲ認ムレハ、集テ銭ヲ貰ヒ、テントシテ恥ナク」とあります。

 というわけでゴールは植民地港湾都市として発展してきました。今も異国情緒が色濃く残る都市で観光もそういったところをめぐりました。

写真は「米欧回覧実記」の言う「城塁」の一つ「サン保塁跡」です。

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「スリランカ」編 Geoffrey BawaのTHE BLUE WATER 13

2016年06月08日 08時33分08秒 | スリランカ

 

 このような仕事でした。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「スリランカ」編 Geoffrey BawaのTHE BLUE WATER 12

2016年06月08日 08時30分51秒 | スリランカ

 

 

 スポーツ木登り?ではありません。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「スリランカ」編 Geoffrey BawaのTHE BLUE WATER 11

2016年06月08日 08時28分33秒 | スリランカ

 

 早朝の庭園です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする