100倍楽しむ海外旅行  時々国内旅行

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歳(終末期後期高齢者)のジジイの53

回の旅行103ヶ国を100倍楽しんだ話 付録で時々エンディングノート

「中国東北部5都市紀行」瀋陽 九・一八歴史博物館11 平頂山虐殺事件

2016年09月28日 08時25分38秒 | 中国東北部

 

 平頂山虐殺事件殉難者の遺品が展示されていました。七三一部隊については日本でも比較的知られていますが、この平頂山虐殺事件については日本ではあまり知られていないようです。恥ずかしながら私も今回の旅行までは知りませんでした。

 事件は満州国成立まもなくの1932年のことです。撫順炭鉱が抗日ゲリラに襲われことに対して平頂山の住民が事前にこのことを知っていったにもかかわらず、日本軍に通知しなかったという言いがかりをつけて日本軍は住民3000人を虐殺しました。生き残り数名。日本軍はその罪を隠蔽するために、ガソリンを用いて遺体を焼き、山を崩して遺体を埋めました。そのため遺品はこのようなものしか残っていないのでしょう。

 

 

 

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「中国東北部5都市紀行」瀋陽 九・一八歴史博物館10 七三一部隊2

2016年09月28日 08時22分46秒 | 中国東北部

 

 この七三一部隊の使用した事務机がありました、

 

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「中国東北部5都市紀行」瀋陽 九・一八歴史博物館9 七三一部隊1

2016年09月28日 08時19分29秒 | 中国東北部

 

七三一部隊跡を訪問した日本人調査団の記事がありました。

1980年の森村誠一の「悪魔の飽食」で一般にもよく知られるようになりましたが、それまでは秘密のヴェールに包まれていました。1936年~1945年までハルビン郊外にあった日本軍の細菌兵器の研究施設でその人体実験の犠牲者は「マルタ」と呼ばれ中国人、朝鮮人、ロシア人など約3000人におよびました。

 この存在が長く隠されてきた理由の一つは部隊長石井四郎をアメリカ軍がその秘密のデーターの引き換えに免罪にしたことによります。

 私もこの機会にぜひ此の地に行きたいと思いましたが、ハルビン郊外25kmということであきらめましたが、同行の若夫婦は当日のハルビン観光をキャンセルしていかれました。 私もそのほうがよかったかなと今にして思っています。

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「中国東北部5都市紀行」瀋陽 九・一八歴史博物館8

2016年09月25日 08時29分16秒 | 中国東北部

 

 「揺り篭」という満州時代に使用されていた反満、反日の人々を拷問するための刑具です。

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「中国東北部5都市紀行」瀋陽 九・一八歴史博物館7

2016年09月25日 08時26分05秒 | 中国東北部

 

 このようなものも展示されていました。八紘一宇とは世界を一つの家とするという意味でアジア太平洋戦争中日本の海外進出を正当化するために用いた標語です。戦争が終わるまで意味もわからずに私が使っていた日常言葉です。

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「中国東北部5都市紀行」瀋陽 九・一八歴史博物館6

2016年09月25日 08時22分40秒 | 中国東北部

 

 この写真は関東軍奉天(現瀋陽)特務機関長・土肥原賢二が旧満州の「奉天市長」の職に就いていたとき使用していたときの机です。

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「中国東北部5都市紀行」瀋陽 九・一八歴史博物館5

2016年09月22日 08時27分09秒 | 中国東北部

 

日本からの日中友好使節団の模様です。

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「中国東北部5都市紀行」瀋陽 九・一八歴史博物館4

2016年09月22日 08時24分35秒 | 中国東北部

 

 懐かしい、私の青春時代?の愛読書、井上清(1913~2001)の著書の中国版がありました。

 余談ですが、井上清はすでに1975年に「尖閣問題」について発言をしています。

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「中国東北部5都市紀行」瀋陽 九・一八歴史博物館3

2016年09月22日 08時21分05秒 | 中国東北部

 

 館内にはこのような掲示がありました。全く同感です。「売国奴」というコメントがまたありそうですね。 

 余談噺 ナショナリズムは(こそが)現代社会の悪の元凶です。

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「中国東北部5都市紀行」瀋陽 九・一八歴史博物館2

2016年09月19日 08時22分44秒 | 中国東北部

 

 博物館入り口にある国家主席であった江沢民の「九・一八を忘れるな」というサインです。

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「中国東北部5都市紀行」瀋陽 九・一八歴史博物館1

2016年09月19日 08時19分09秒 | 中国東北部

 

 1931年9月18日、日本の関東軍は自ら満鉄の柳条湖付近の線路を爆破し、これを中国軍の仕業とする謀略を決行します。謀略の中心人物は関東軍の板垣征四郎高級参謀と石原莞爾作戦参謀でした。これにより日本の中国侵略戦争が始まります。この戦争が「日中15年戦争」の始まりであり「アジア太平戦争」の始まりでもあります。この中国人にとって屈辱的な柳条湖事件(中国では九・一八事件と呼びます)の現場近くにあるのが九・一八歴史博物館です。

 写真はカレンダーを9月18日の日付で開いた形をした博物館の入り口です。右側にある黒い塊は日本軍が造った記念碑を抵抗の証として横倒しに引き倒しにしたものです。

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「中国東北部5都市紀行」瀋陽 張作霖、張学良旧宅跡3

2016年09月16日 08時30分00秒 | 中国東北部

 

 張学良の通学用の車です。近くにお住まいの大連出身の方は張学良はただの「ぼんぼん」「坊ちゃん」に過ぎないと評価されました。現地のガイドさん二人とも中国歴史上一番尊敬する人物は「張作霖」次が孫文、毛沢東と私に語ってくれました。張学良は歯牙にもかけないといった様子でした。

 中国の歴史教科書にも出ていない人物「張作霖」を最も尊敬する人物というこの地の一般人の歴史認識に出会ったことが今回旅行の一番の収穫でした。私と安部総理とは歴史認識でかなりの隔たりがありますが、これほどでは無いように思います。

 

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「中国東北部5都市紀行」瀋陽 張作霖、張学良旧宅跡2

2016年09月16日 08時26分22秒 | 中国東北部

 

 いくつもある建物の一つ大青楼です。張学良が立てた建物で彼はヨーロッパに留学したことがあり西洋かぶれ的なところがありこのような建物になりました。

 

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「中国東北部5都市紀行」瀋陽 張作霖、張学良旧宅跡1

2016年09月16日 08時22分36秒 | 中国東北部

 

 瀋陽にある張作霖(1875~1928)張学良(1901~2001)父子の私邸兼官邸跡を訪れました。張作霖は20世紀初頭中国東北部の実質的支配者でした。そこで満鉄を拠点とする日本との関係が微妙でした。結果日本関東軍によってこの瀋陽近郊の鉄道に爆薬を仕掛けられ爆死します。この爆死現場はツアーコースにはなかったので自由時間を利用して訪れる予定にしていたのですが体調不良のためあきらめました。

 その子張学良も日本軍との関係は微妙でしたが、結局、日本軍との対決を決断して当時の中国での2大勢力蒋介石国民党と中国共産党との対日統一戦線結成のため蒋介石を西安の華清池の一角に閉じ込め説得し国共合作に成功します。(1936年)したがって現代中国では張学良を「愛国的将校張学良」(世界の教科書シリーズ 中国の入門歴史p988)と評価されています。ところがこの書では張作霖爆死事件についての記載はありません。というわけでこの屋敷跡の入り口にこの様な張学良の銅像がありました

 なお、西安事件とその現場をこのブログn2011年1月22日に紹介しています。

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「想い出のつぶやき」蓮舫さんの2重国籍問題で想いだしたこと

2016年09月13日 08時26分32秒 | 想い出

 

20数年前朝日新聞に「ヨーロッパ共通歴史教科書」の出版話題が記事となっていました。そこでその時まだ日本語版がなかったので英語版を取り寄せました。その本のgeneral editorのFrederic Deloucheのprefaceにあった ”By good fortune, I have British, French, and Norwegian nationality”という一文に無学な私はちょっとしたカルチャーショック?を受けました。そのときのことを想いだしながら蓮舫さんも台湾国籍から離脱するのでなく二重国籍をgood fortuneとしてインタナショナルな政治家として活躍してほしいと思いました。

写真はこの本ですが、私の生涯で全ペイジ読み通し、且つ日本語訳(フロッピー2枚)にまでした最初にして最後の英書です。途中で日本語訳が出ましたが、完訳後購入、俺の日本語訳のほうがいい箇所もあると、ひそかに思ったことを今に想いだします。(ただし、日本語版は仏語版からなので、それが関係しているのかも)

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