スリランカ最後の夜は「スリランカが生んだ偉大なトロピカル建築家」(地球の歩き方p38)Geoffrey Bawa(1919~2003) 最後(1998年)の作品”THE BLUE WATER”というホテルでした。
この写真はロビーから見たものです。「地球の歩き方」(p39)は「ロビーの中を流れる水はそのままプールへとつながり、視線はさらにその向こうのインド洋へと向かう」と記述しています。
説明の標示板です。この近辺がいちばん被害がひどかった地域です。
余談噺
以前から「津波・tsunami」 という日本語が何時?なぜ?世界共通語になったのかと思ってきました。2007年7月22日のブログに以下のようなことを書いていました。
「アイルランドのダブリンで見かけたものです(「津波、tsunami」と書かれた張り紙)が、いったいこれは何のビラですかね。良く判りません。 Tsunamiはかなり昔からの用語のようです。19世紀末ハワイの海底火山が爆発し津波が起きた時の新聞報道をNHKの教育TVで見たことがあります。そのときに映し出された新聞記事にtsunami とありヘエーと思ったことを思い出しました 」
2004年のスマトラ沖大地震によるスリランカでの犠牲者は3万5322人にも及びました。写真は日本からの追悼のため立てられた仏様です。場所は2015年11月21日の旅程図をご覧ください。コロンボから南に下ったアンバランゴダの近くです。
日本にとってスリランカは1951年に行われたサンフランシスコ講和会議でセイロン代表としてジュニウス・リチャード・ジャヤワルダナ大統領が出席、「憎悪は憎悪によって止むことなく、愛によって止む(Hatred ceases not by hatred, but by love.)という仏陀の言葉を引用、対日賠償請求権の放棄を明らかにしたことで忘れることのできない国です。
今回の旅行で出会ったスリランカと日本の関係の証を二つ紹介します。
写真は2016年4月18日に紹介したデボンの滝の近くにあった紅茶カフエにあったものです。
Lonely planetの言うタミル人のbarracks-like buildingsに隣接するホテルに宿泊し、翌日ヌワラ・エリアの中心部に向かいました。そこはイギリス植民地時代の名残が色濃く残る町でした。その代表的な建物がこの郵便局です。イギリス植民地時代1828年建てられものです。