こちらが本場イタリア、ヴェネチアのマルコポーロの生家です。但しここも生家は特定されていなくゴンドラ客へのサーヴィスだと思います。写真(ゴンドラから)ではよく見えませんが確かにマルコポーロの生家と書いてありました。
追記
7月14日のこのブログでコトル湾の景観を「北欧のフィヨルドのように見えるのですが」と書きましたが、インタネット百科辞典ウイキペディア英語版によれば最南端のフィヨルドといわれているが、実際は河の浸食によって形成されたということでした。
クロアチアのコルチュラ島(このブログの4月2日をご覧ください)はクロアチア政府観光局のパンフレットによればマルコポーロの出生地となっています。(写真の二階部分)これによれば彼は旅行家、探検家で中国から蚕をもたらしたとあります。ご存知の通り通説はイタリアのヴェネチア出身ですがクロアチアはクロアチア出身だと考えているようです。どうやらマルコポーロの先祖はコルチュラ島であることはかなりの信憑性があるようです。しかし中国から蚕をもたらしたとは?
追記
前日まで紹介していたブドヴァ(Budva)はインターネット百科事典ウイキペディアの英語版にはかなり詳しく載っていました。(日本語版にはない)2006年7月22日の修正版ですから最新情報です。つまみ食い的に少し紹介しておきます。 伝説によればBC5世紀にフェニキア人によって建設されました。現在人口は約一万人でモンテネグロ観光の目玉地ということです。砂浜、各種の夜の歓楽そして美しい地中海様式の建造物で有名。2005年の夏には25万人の観光客が訪れたそうです。私が訪れたのは10月でオフシーズンだったのですね。若者にはnightlifeに人気があるようです。
このような小さいビーチもありましたが、観光客はいませんでした。一般にアドリア海の海岸は砂浜はあまりなく、しかも砂は砂利と言ったところです。
城内は中世人が現れそうな雰囲気をただよわせていました。日本ではあまり知られていない穴場の観光スポットでした。
この街の故事来歴は私には全然分かりません。日本語の資料は見つかりませんでした。16世紀地中海の歴史を描いたブローデルの名著であり大著「地中海」の索引を見ても1箇所も出てきません。ちなみに前々回紹介したコトルは14箇所あり、ドブロヴニクにいたっては100箇所以上ありました。
古代から栄えた海洋城塞都市(現在人口2万5千人)です。写真のように峻険なバルカン山地に囲まれた地中海貿易中継地でした。 この山地に住むモンテネグロ人は勇猛果敢でチトー率いるパルチザンで活躍し旧ユーゴーでは職業軍人の占める割合は高かったのです。