ペナン島から大橋を渡ってマレー半島に上陸し1時間ほど行ったところのブキットメラ湖にある絶滅危惧種オランウータンの保護島に行きました。「ロングステイ」というのは現地ガイドのジョークの言葉ですが、それには意味があります。オランウータンの生息地はボルネオ島とスマトラ島だけです。ここマレー半島には生息してはいません。オランウータンはいろんな事情でボルネオ島で保護されここにロングステイしているというわけです。小舟に乗って島に上陸です。絶滅から私を助けてくださいと書いてありますね。
ペナンからマレー半島本土へはフェリーもありますが、今年3月2日に開通したばかりの全長24kmの大橋で渡りました。(3月12日)本土とつなぐ橋は1985年に開通した全長13.5kmの大橋もありましたが、私たちはこの新しい橋で渡りました。出来たばかりのせいか車はほとんど見ませんでした。この時は通行料無料でしたが、その後の情報によれば(ウィキペディア)4月1日から普通車8.5リキッド(約250円)になったそうです。
写真はペナン島からこの大橋を遠望したものです。拡大してみてください。
この「ペナンの食は屋台にあり」は「地球の歩き方」からのパクリです。マレーシア、特にペナンでは外食の人が多いそうです。というわけでペナンの初日の夕食はフリーであったので屋台に出かけました。小学校の校庭ぐらいの広場に屋台群が林立していました。食べ物は日本円で約100円で美味しくて満足でした。ところがビールは食事をした屋台にはなく別のところで求めるのですが、値段は約400円でした。マレーシアがイスラーム教国ということからか、アルコール類(ほとんどビールだけ)はかなり割高でした。
このコーンウォリス要塞はペナン島、マレーシアの歴史を象徴しています。1786年当時のイギリス東インド会社提督コーンウォリスの名にちなんで木造で建造され1810年レンガ作りに改造されました。というわけでこの要塞はイギリス植民地支配の拠点として造られました。写真はその要塞の砲台です。この大砲の砲身には写真では見えませんが、VOC(オランダ東インド会社)のマークがついています。ということは最初にこの地に進出したのがオランダであったということです。それが次にポルトガルがそれを奪い、イギリスに引き継がれたということです。というわけでこの地へのヨーロッパ諸国の進出の変遷をこの砲台が物語ってくれているのです。
ペナン島での最初の観光は極楽寺でした。ヴォキャブラリーの貧困な私には壮麗、壮大な寺院と言うしかありません。1890年から40年かけて中国からの移住者Kek lok Si が建造したマレーシア最大のお寺です。写真に見られるようにパゴダ(仏塔)に特徴があります。高さ30mで、多民族文化のマレーシアらしく、上からビルマ(ミャンマー)、中国、タイの3様式が混在して造られています。なかには1万体の仏像が納められているそうです。
朝、ホテルのプライベートビーチに出てみました。人影が見えますが近寄って「グットモーニング」と挨拶を交わしましたが、日本人でした。朝の散歩をしているロングステイのご夫婦でした。ホテルの一室の一日朝食付き6000円のロングステイだそうです。ここペナン島とキャメロンハイランド(後日紹介)がマレーシアでの日本人ロングステイのメッカのようでした。
ブルネイ王国は石油で潤う富豪国です。そのため各国から沢山の出稼ぎ人が来ています。写真はブルネイの空港の売店で出会った出稼ぎのフィリッピン人と私です。写真を撮ってくれた空港従業員もフィリッピン人でした。みなさん明るい人たちでした。
グルン・ムルン国立公園では昼食をするレストランなどはありません。普通はホテルなどでランチボックスなどが用意されるのですが、ここではガイドのフィリップの奥さんの手作り弁当をいただきました。美味しかったです。ジンジン!
ボルネオ島サラワク州にある世界遺産のグヌン・ムル国立公園の案内は少数民族プナン人(2万人)のフィリップさん(マレーシアの人たちはヨーロッパ風のニックネームを対外的によく使用します)でした。公園の密林で植物にかかわる彼らの伝説を熱っぽく語ってくれました。彼らの言葉を一つ教えてもらいました。「ジンジン」ありがとうという意味です。というわけで、最後の別れの挨拶はジンジンでした。ちなみにマレー語の「ありがとう」は「テレマカシ」でどこかで聞いたことがあると記憶をたどるとインドネシア語と同じでした。