デオサイ高原(6月26日の地図)は標高4115メートル、世界で2番目に高いところにある高原です。広さは3千平方kmで、1993年に国立公園になりました。
少しふらふらしました。遊牧民がヤギを放牧していました。
というわけで送電されているホテルでも自家発電装置はありました。ブンブレット(6月26日をご覧ください)のホテルではこのような可愛い?水力発電装置もありました。どの程度の発電ができるのでしょうかね? 勿論本格的?な自家発電装置もありました。
今回ほど持参の懐中電灯が活躍したことはありませんでした。かなり電力事情が悪いようでした。自家発電だけのホテルもありましたが、そうでないところでも停電することは珍しくなく夜中には電気はつきませんでした。というわけでホテルには大概このように蝋燭が備えられていました。
パキスタンの荷物運びの車はすべてこのスタイルです。このデコレーションには所有者は競ってかなりの費用をかけるそうです。
Feng さんコメントありがとうございました。鳥葬、犬葬の説明が不十分だったようでごめんなさい。鳥葬とはゾロアスター教徒やティベット仏教徒の間で行われる葬法です。具体的にいえば人が死んだ後その死体を鳥に食べさすことです。ゾロアスター教では鳥が食べた後の骨を埋葬します。その骨の骨壺がウズベキスタンではオッスアリーと呼ばれていました。多分紹介したオッスアリーにはシルクロードの民でゾロアスター教徒のソグド人の鳥葬、又は犬葬の後の骨が入っていると思われます。ティベット教では生きている人間が死体を骨まで粉砕して残らず鳥に食べてもらいます。犬葬とは鳥の代わりに犬に食べてもらうことです。
このブログの6月18日を参考にしてください。
この光景には本当にびっくりしました。学校の生徒の遠足なんです。日本なら新聞トップの記事でしょうね。この遠足グループと中谷さん得意のウルドゥ語で日・パの交流が行われ写真の交換の約束ができたようです。中谷さん写真送りましたか。
パキスタンでは人が乗る車は例外なくすべてこの状態です。このようなバスの交通事故が一番多いそうです。イランとの比較で交通事故死の数字を尋ねて見ましたが良く判りませんでした。町の中は殆ど歩かなかったので交通信号など良く判りませんでした。この件に関してはイランの場合(5月25日のブログ)を参考にしてください。ガソリンは物価水準に比して高いようで90円ということでした。
現地ガイドの話ではイラン国境付近で石油は出るそうですが、(その他の地域では出ない)イラン当局との話し合いでそこを採掘しない代わりにイランから安い石油を輸入するという約束になっているそうですが。
Feng さんコメントありがとうございました。これはホテルに入る時の検査で、中に入ると自由で安全でした。
Skyさんコメントありがとうございました。アスカルさんでなく残念でした? 私が説明を受けたのはブハラの博物館でした。多分この地域では犬葬のことは常識なのでしょうね。Skyさんもご覧になられたと思いますが、ついでに犬葬か鳥葬かはっきりしませんがその骨壷(オッスアリーといいます)がこの博物館にあったので次のページに紹介しておきます。
サムエル記については、モーゼ5書以外は殆ど旧約を読んでいないのでその後、手元の聖書を取り出して該当部分を読んでみました。いまいち良く判らないところがあったのですが、幸い友人が「阿刀田高:旧約聖書を知っていますか」という本の該当部分を送ってくれ興味深く読みましました。ダヴィデ登場の場面ですね。
Mr. 周小平 Thank you very much for your comment on my blog.
ホテルの中庭にはこのように優雅に孔雀や鶴などがいましたが、良く見ると周辺にはシェパードが数頭つながれていて私を見ると盛んに吼えていました。
ペシャワールで観光するところはたくさんありますが、安全を確認できるところだけの観光でした。中谷さんの大阪外大時代の後輩(男性)が日本パキスタン大使館に勤務しているということで彼女が先輩の威厳で呼び出しスーパーマーケットに案内してもらいました。大使館員がいれば安心ですね。
パキスタン警備厳しく孔雀かな
灼熱のホテルの治安孔雀かな
生まれて始めての5・7・5 ???
ここペシャワールのホテルは5ツ星の最高級でした。いろんな設備が整っていました。ふとバトミントン競技場を見るとここにもこの写真のように銃を持ったセキュリティがいました。
Sky さん「鳥葬又は犬葬について」(6月18日のブログ)というコメントありがとうございました。私は聖書について殆ど無知なのでこの話は始めて知りました。
ウズベキスタンでの現地ガイドの名前は「アスカル・スルタノフ」ではありませんか。
なお鳥葬については今回のパキスタンでも出会いました。イスラーム教徒でなく独特の宗教を持つカラーシャ人の風習です。これについては後日紹介の予定です。
このペシャワールは地図で分かるとおり西方約50kmがアフガニスタン国境で、有名なアレクサンダー大王、マルコポーロも通過したカイバル峠があります。中谷さんもできれば行きたいと思っていたようですが、現地事務所と安全を確認して駄目だったようです。
ホテル入口には写真のように麻薬犬らしきものもいました。この背後を見てください、バリケードもあります。
日本を出発して約15時間、パキスタンの首都イスラマバードのホテルに着いたのは深夜でした。ここで最初に驚かされたのは、このホテルで今年最初の日本人旅行者ということで歓迎の記念撮影でした。そうなんです。現在パキスタンの政情不安、社会不安が外国旅行客を極度に少なくしているのです。その中では日本人旅行者が70%を占めているそうですが、この有様です。実際今回の旅行でヨーロッパ系の人に出会ったのはごく少数でした。70%の日本人もバックパッカーの2人だけでした。
そこで実際の治安はどうか、です。旅の前半はこのイスラマバードの早朝外出禁止を除いて不安はありませんでした。しかし後半の13日目のブンブレットからペシャワールにかけて緊張がはしります。(6月26日の地図をご覧ください)この路の西側はアフガニスタンとの国境に接し”tribal area” と呼ばれるパキスタン政府の実効支配がなされていない地域です。添乗員の中谷さんが今日のペシャワールまでコースはトイレ、写真休憩は極力短縮してホテルまで直行ですとの説明です。そしてホテルまでの近道を現地事務所に安全を確認しながら予定より少し早く到着です。
そのペシャワールのホテルの入口では写真のように銃を持った人の出迎えです。