100倍楽しむ海外旅行  時々国内旅行

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歳(終末期後期高齢者)のジジイの53

回の旅行103ヶ国を100倍楽しんだ話 付録で時々エンディングノート

「ロマンチック・ドイツ」編 ミュンヘン博物館の人力車

2021年02月26日 07時52分27秒 | ドイツ

2007年3月16日の再録です。(一部修正)
世界最大規模の自然科学、産業技術などを展示するミュンヘン大博物館で面白いものを見ました。ツアーでは観光コースには入っていませんでしたが、自由時間を利用して出かけてみました。写真も自由に撮れこの方面に興味のある人には必見のところです。
 時間も経過し安いプリントで見にくい写真ですが人力車です(写真中)。隣にはジェイムスワットの蒸気機関車(写真下)、前には第2次世界大戦でドイツが世界に誇った飛行機メッサーシュミット(写真上)が展示してありました。この中での人力車です。正直なところちょっと嫌な気がしました。
人力車は明治2年(1869年)日本人が発明したもので東南アジア、インドなどで現在も活躍しており、英語にもなっています。“Rickshaw”は 簡単な英和辞書にも載っています。
ついでに余談話。 人力車と並んで日本的なものとされている乗り物が「駕籠」です。歴史学者田中彰氏はその著「岩倉使節団『米欧回覧実記』」岩波書店(p179)で「『回覧実記』がコペンハーゲンの国立博物館で「日本ノ物件モ頗ル備リ、大ナルハ駕籠に至ルマデ陳列セリ」(岩波文庫四p147)と書き記しているとし、氏は「この駕籠はいまもある」と述べています。
 この駕籠は日本「特有のもの」ではないそうで(以下は板倉聖宣「日本史再発見」朝日選書による)1623年ロンドンで発明されました。西洋の場合「椅子駕籠」なのでラテン語の「腰掛ける」という意味のセダンと呼ばれそれが現在の自動車のセダン型の名前になったそうです。

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「ロマンチック・ドイツ」編 燻製ビールとフランケンワイン

2021年02月23日 07時51分57秒 | ドイツ

 2012年10月2日の再録です。(修正)
 ドイツのバンベルクでちょっと変わったビールに出会いました。燻製の香りがするRauchbier(燻製ビール)です。1678年創業シュレンケラ燻製ビール醸造所兼居酒屋(Aecht Shlenkerla Rauchbier Brauerei –Ausschank seit 1678)(写真下)で味わいました。1998年のことなのでその味を忘れました。そこで相原恭子氏の「もっと知りたい!ドイツビールの愉しみ」の以下の一文を紹介しておきます。
 「シュレンケラで2種類を味わった。ラオホメルチェンは樫の木の樽から注がれた。まず感じるのはスモークの香り、口に含むと苦味とかすかな酸味がモルトのコクのあるわずかな甘みと調和して、不思議な美味しさである。喉を通る時、燻製の香りがして再びそれが鼻に抜けるようである。ラオホヴァイツェンは、爽やかでフルーティーなモルトと酵母の味わい。コクがあるのだが、ボディは穏やかで優しい。両方とも、もう少し、もう少しと、たくさん飲んでしまう口当たりの良さがある」(p44)
 なお、相原氏は燻製ビールができたエピソードを紹介しています。
「ある修道院の醸造所が火事になり、せっかくのモルトが煙でくすぶり図らずも燻製になってしまい、捨てるにしのびず偶然できたのがラオホビールであったという。他にも、修道士が窓を開けずにモルトを焙煎していたため燻製モルトなってしまったという説もある」(p39)
 ドイツバンベルクにお出かけの方は是非お試しあれ。ただ最近では日本にも輸入されているそうです。
 なお、バンベルクの旧市街地は世界遺産にも指定されている素晴らしい景観の街です[山田1][山田2]。
 また、バンベルクはフランケン地方にありフランケンワインも素晴らしい味です。(写真上)
  私はドイツ旅行をするまでドイツのワインは甘いものだという先入観を持っていました。したがって私には合わないと思っていました。ところがバンベルクのメッサーシュミットというレストランで購入したフランケンワインは辛口で私の今まで経験したうちでは最高の味でした。“Trocken” と表示されているのが「辛口」です。甘口は“Süß” です。
 なお、瓶のデザインはよく見かけるポルトガルのマテウスワインに似ているのでご注意ください。
 


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「ロマンチック・ドイツ」編 ポツダムの風車と米欧回覧実記

2021年02月20日 07時53分03秒 | ドイツ

1998年5月27日〰6月10日「ロマンチック・ドイツ」というツアーに参加しました。2007年3月18日の再録(一部修正追加)から始めます。この旅行で一番印象深く勉強になったことです。

写真は何の変哲もないポツダムにある風車です。日本にも直接には関係ありません。しかし私はドイツ旅行を決めたとき、もしこの風車がまだ存在していればぜひ見たいものだと期待しました。勿論観光コースに入っていませんので、現地のガイドに尋ねると現在も存在しているとして場所を教えてくれました。見たかった理由は今から約140年前に岩倉使節団(注1)の一員としてここを訪れた久米邦武(注2)が書いた「米欧回覧実記」という本の以下のような一節です。
 「宮殿の西に1つの風車がある。フリードリッヒ・ウイルヘルム(大王)が宮殿の修築を行った際、このあたりの土地を買い増したところ、そこに風車があって庭園の風景の邪魔になるので、風車の持ち主に命じて取り壊させようとした。ところが風車の持ち主がこれを聞き、ベルリンには法律家は1人もいないのかと言って、返事をせず、取り壊そうとしなかった。このことがついに政府の問題となったが、国王の権限でも、個人財産を除去することはできないという結論が出て、とうとうそのまま取り除けずに済んだ。このことは今も美談として伝えられ、風車はその子孫に相続され今なお、屹立しているのである。」(慶応義塾大学出版会現代語訳本3巻p402 岩波文庫3巻p356) 
 フリードリッヒ大王は専制君主ですがその「専制」前に啓蒙的と付くのでなるほど納得しました。しかし人権は当然尊ばれるとされる現代日本(現実は?)と違った明治初期の日本人がこのエピソードを書き残していることに私は一種の感動を覚えました。幕末→維新期→明治初期にかけての私の歴史認識に一定の修正を迫る一節でした。ドイツを旅行する機会があれば現地ガイドにでも聞いてぜひこの風車を見てきてください。パックツアーでは行きません。  
 ついでにこの本の中からちょっと面白い話を1つだけ紹介しておきます。(同じドイツでの話) 「淫蕩な風儀が年々盛んになっていることは、政治家たちもおおいに心配しており、その抑制のためのよい方法を世界各国を訪問しながら検討をしたことがあり、わが国が寛永年間に江戸の吉原を設けて規制の実を挙げたことを称賛し、それを真似して適宣な公娼設置法を作ろうという議論を行ったことがあるという。****写真屋に行ったところ、店の者が酔って秘戯の写真を公然と売りつけようとしたことがある。ヨーロッパ諸都市で春画を公然と売るのに出会ったのは、この街(ベルリン)だけであった。」(慶応義塾大学出版会現代語訳本3巻p342 岩波文庫3巻p305) 
まだまだ面白い話がたくさんあります。この本は世界的にも著名になり英訳本もできました。 欧米への旅行者には必読の書です。
(注1) 岩倉使節団は、明治4年11月12日(1871年12月23日)から明治6年(1873年)9月13日まで、日本からアメリカ合州国、ヨーロッパ諸国に派遣された使節団です。岩倉具視を正使とし、政府のトップ(実力者の半数)や留学生を含む総勢107名で構成されました。そのときの報告書が久米邦武による「米欧回覧実記」です。原文は和漢混交文で岩波文庫5分冊に収められています。ごく最近現代語訳(慶応義塾大学出版会)が出たので前記の引用文はそれによります。私の偏見ですが欧米に出かける現代日本人の必読の書です。
 (注2) 久米邦武(1893~1931)佐賀藩出身。1881年東京帝国大学史学科初代教授。論文「神道は祭天の古俗」で1892年辞職。
以下のようなコメントが入りました
「フリードリヒ大王の無憂宮の風車の話、どうしても思い出せませんが、どこかで僕は読んだことがあるんです。「米欧回覧実記」は読んでいませんから、あるいは、戦時中の子供の読み物かもしれません。大王を讃える物語になっていたように思います。
  久米邦武は、名君賛美ではなく、人民の法的権利に着目している点、なかなかの見識だと思います。しかし、まあ、この程度の常識がなければ、西欧文化を摂取することは出来なかったのでしょう。 天皇の「権威」が確立してくるのは軍人勅諭、教育勅語以後ではないのでしょうか」

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「フランス物語」 ニース

2021年02月17日 07時52分29秒 | フランス

 人口40万の市民の半数が観光に携わる観光リゾート都市ニースを訪れました。写真左上は早朝なので少し閑散とした街角風景です。写真左下はたくさん瓶が並んでいますね。酒屋さんだったと思います。わたくしも日本人ですね。右の写真に出会ったときはやっぱりうれしかったですね。肖像は柔道の創始者、講道館設立者嘉納治五郎(1860~1938)ですね。
 今回で「フランス物語」を終了します。次回からは「ロマンチック・ドイツ」編です。
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「フランス物語」 カンヌ

2021年02月14日 07時53分03秒 | フランス

 世界的な高級リゾート地として、カンヌ映画祭開催地として有名な地中海に面したカンヌを訪れました。皆さん楽しんでいますね(写真中下)。 映画祭で賞をもらった人の手形がたくさんあり、そのうちの一つ黒澤明監督(1910~1998)が1980年にグランプリを獲得した時の彼の手形が写真上です。わたくしはこの方面には疎いのですが、2010年セルビアを旅行した時黒沢明、小津安二郎に関心を持っている人(セルビア人でスイス在住)に出会ったことがあります。2011年1月14日のこのブログで紹介しました。
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「フランス物語」 マルセイユ2

2021年02月11日 07時52分45秒 | フランス

 街をぶらぶらしていると双子の赤ちゃんに出会いました。
 写真左は海を見下ろす海抜162mにあるノートル・ド・ギャルド寺院です。高さ46mの鐘楼の上にカトリック定番のイエスを抱いたマリア像があり、街と港を見守っています。
 写真右下に見える中央の小さな島がイフ島でイフ城があります。16世紀に要塞砦として建設され、長年政治犯、宗教者(ユグノー)の監獄でした。小説「巌窟王」の主人公モンテクリスト伯が幽閉された牢獄とされました。
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「フランス物語」 マルセイユ1

2021年02月08日 07時52分49秒 | フランス

 港町マルセイユにやってきました。自由時間に街をぶらぶらしているとき屋内でトランプゲイム(?)をしている人たちがいました。何の気なしに無断で撮影しました。(写真左)するとそのうちの一人が飛び出してきてフィルムを抜け(と言っているようです)と怒りだし、かなり長く付きまとわれましたが無事でしたが、その恐怖を今も忘れることはできません。(エー、このブログの写真を見てまた追っかけてくる!怖い!助けて! 自業自得)
 マルセイユは漁業の町でもあります。浜辺にある露店の魚市場を見学しました。(写真右上)その市場の一人が魚をお手にして我々に向かって「アンコウ、アンコウ**」と叫んできました。そこでその人と私の写真を同行の人に撮ってもらいました。(写真右下)なぜ「アンコウ」という日本語を知っていたのでしょうね?
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「フランス物語」 エクス・アン・プロヴァンス セザンヌ

2021年02月05日 07時53分10秒 | フランス

 後期印象派画家として有名なセザンヌ(1839~1906)の生地エクス・アン・プロヴァンスを訪れました。写真上は彼がよく描いたサント・ヴィクトワール山(1011m)の遠望です。(遠くかすかに見えるかな?)
彼のアトリエ訪れましたが撮影禁止でした。そこで監視員のお兄さんに頼んでこのアトリエで仔細らしく画集を見ている私を撮影してもらいました。(写真中)
 町の中心のミラボー通りにセザンヌお気に入りのカフェ、レ・ドゥ・ギャルソンがありました(写真下)。ピカソもよく通っていたそうです。
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「フランス物語」 アルル

2021年02月02日 07時52分09秒 | フランス

 古代遺跡の街アルルを訪れました。写真上はローヌ河から見たアルルの町です。またも古代ローマ遺跡の定番BC1世紀の円形闘技場。このころから古代ローマ遺跡に食傷気味。街をぶらぶらしていると盆栽の店に出会いました。(写真下)記憶があやふやですが、確か「盆栽」という表示があったような気がします。
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