ミラノの観光で予定されていた観光は終了しましたが、帰国準備まで半日自由時間があったので世界的に有名な避暑地であるコモ湖に出かけました。遊覧船で楽しみました。避暑以外で有名なのがムッソリーニが1945年にここで処刑されましたことです。
スカーラ広場にレオナルドダヴィンチ像がありました。彼は1482年ころから約20年間宮廷付きの技術者としてこの地で活躍しました。
彼の世界的に有名な「最後の晩餐」をこの地のサンタ・マリーア・デッレ・グラツィエ聖堂の食堂で鑑賞しました。当時(1996年)は修復中(1977~1999)でもあり撮影禁止でした。わたくしは全く美学音痴ですが当時のわたくしのメモには「写真ではあまり遠近法なるものがよく分からなかったが実物を見るとよくその立体感がわかった」とありました。
ここでびっくり事件。フラッシュ撮影をした同行の人がいました。24年たった今も忘れられない大事件でした。
現在は撮影許可のようですが、ノーフラッシュでしょう。
ヴェローナの次の訪問地はミラノでした。ミラノはAd3世紀に西ローマ帝国の首都になりAD313年コンスタンチヌス大帝が「ミラノの勅令」を発しキリスト教を公認したことで歴史的に有名な地です。
写真はスフォルツァ城です。1364年に建てられた居城で1450年スフォルツア家によって再建され、現在は博物館です。内部は撮影禁止で写真はありませんが、当時のわたくしのメモには「ダ・ヴィンチの鏡字ミケランジェロの未完のピエタ」書かれていました。
ヴェネツィアの次の観光地はヴェローナでした。
「丘陵に囲まれ川が流れ、ローマ時代のアーチにゴシック期の柱廊という、外国人がイメージする典型的なイタリアの一都市がここにある」(「読んで旅する世界の歴史と文化 イタリアp97」
というわけで、丘陵から眺めたヴェローナです。
最初にカタコンベが単なるお墓と書いたとき、以下のようなコメントをいただきました。
納得できません (bosch)
「キリスト教徒はローマのネロ帝による、ローマの大火の責任転嫁やディオクレティアヌス帝によって大迫害を受けました。事実、ペテロ、パウロは殉死しています。カタコンベは本来墓地ではなく、迫害されたキリスト教徒が地下に作った信仰の場所です。303年以降キリスト教の大迫害はなく、その後何度もの会議が重ねられて少しずつ認められていきましたが、キリスト教成立初期の頃はローマの全ての皇帝が寛容だったわけではありません」
わたくしは最近までこのコメントは普通のキリスト教徒(会)の普通のカタコンベ理解だと思っていました。ところがそれは全くわたくしの誤解、勉強不足でした。
最近いくつかのキリスト教会に電話をしました。鹿児島のカトリック教会の方はカタコンベと迫害は全く関係ないと話していただきました。プロテスタント教会の方も同じでした。「ものみの塔」も同じでホームページを見てくださいとのことで拝見しました。ホームページにはかなり詳しくカタコンベについての記述がありましたが迫害については一言もありませんでした。
日本バプテスト鹿児島基督教会の牧師田淵さん(65歳)の話が面白かったので紹介します。最初に電話をした時の回答は「高等学校の教科書で迫害とカタコンベについてそう習い今もそのように思っています。神学部時代にもそう習ったような気がします」そこで私が「神学部時代の資料があれば教えてください」とお願いしました。その後お便り(写真公開了承済み)をいただきました。神学部時代の教科書には記載がなかったのですね、迫害とカタコンベについての知識は山川出版の「世界史教科書」のみだったのですね。なんだか変な話ですね。
ますますわたくしの疑問は深まるばかりです。なぜ高等学校の歴史教科書が誤った記載をしたのか? 田淵さんの神学時代の本には1957年出版(翻訳本なので原著はそれ以前)というかなり古い本があります。最近になって迫害とカタコンベの関係が否定されてきたという言い訳は甚だ疑問ですね。
博物館でいろいろなガラス製品を見ましたが、これもわたくしはチンプンカンプンでした。
今回で「ヴェネツィア」は終わりますが、体調不良(ボケ)のため紹介忘れを2つ。
ゴンドラ観光の時、水の汚れがひどいと思いました。ところが今回のコロナウィルスのため観光客の激減のためこの水がきれいになったという報道がありました。
もう一つ。当時のわたくしの簡単メモに「ドゥカレ宮殿。貞操帯を見る。写真に撮れなかったのが残念」とありました。ドゥカレ宮殿はほとんど撮影禁止でしたが、特に貞操帯については今も残念というわけです。貞操帯?十字軍の兵士たちが残していく妻の浮気を心配して妻につけたものです。具体的にどんなものかは皆さん妄想をしてください。
「三十日 晴れ
九時ヨリ舟ニ上リテガラス(原文漢字)製造場ニ至ル、0是場ハ府ノ北方ナル島中ニアリ、町会所ヲ以テガラス博物館トナセリ、威尼斯ニ於テガラスヲ製スルコトハ、其起リハナハタ久シ、抑ガラスヲ製スルノ濫觴ハ、4千年の古ヘ***欧州ニ誉高ク、全島内ニ此工ヲナスモノ4千人アリ」(「米欧回覧実記」岩波文庫㈣p355~6)
「米欧回覧実記」はその他製造法やその歴史について2ページにわたって記しています。
自由時間にこの文章に惹かれて世界的に有名なヴェネチアンガラスのムラーノ島へ向かいました。勿論現在も製造しています。ところがイタリア語はもちろん英語もほとんどわからず、ほとんど何もわからず仕舞いでした。
マルコポーロはこの地ヴェネツィアに生まれたというのが通説です。しかし場所は特定化されてはいません。写真は見にくいですが、看板にはマルコポーロ生誕地と書かれていました。なお、クロアチアのコルチュラ島説もあります。クロアチアの公式観光リーフレットにもそう書かれていました。2006年7月26日にコルチュラ島の生誕地を紹介しています。