シェイクスピアの生地ストラトフォード・アポン・エイヴォンから「嵐が丘」の著者ブロンテ姉妹の生地ハワースに向かいました。ここも自然豊かな地でした。上部の写真は「嵐が丘」? 運転手の勘違いでこの地への到着が遅れ彼女の博物館は閉じられていました。下の写真は姉妹の父親パトリックが説教をしていた教会です。
写真の上部はシェイクスピアの生家です。中部は彼の妻アン・ハザウエイの生家です。下の写真はホテルの中庭から眺めたエイヴォン川です。水鳥がいますね。庭にはウサギがピヨンピヨン跳ねていました。写真がないのが残念。このようにストラトフォード・アポン・エイヴォンは自然豊かな街でした。このストラトフォード・アポン・エイヴォンだけでなくイギリスは自然が豊かに残された国だということを今回の旅行でしみじみ感じました。
2009年のウガンダ旅行でのウガンダ人現地ガイド・サムエルさん(2009年11月19日紹介)の話を思い出しました。彼は日本で4年間仕事をして帰国後旅行会社を立ち上げました。彼の来日前の日本のイメージはトヨタやソニーなどの工場ばかりで、畑や田んぼの緑があるとは思ってもみなかったそうです。わたくしもサムエルさんと似たイメージを産業革命の発祥の地イギリスに持っていたようです。
PC修理完了。再開します。
ロンドンはウィンザー城だけの観光で(最終日に再度ロンドン観光)大学都市オックスフォードに向かいました。写真はいずれもオックスフォード大学です。真ん中の風景について「地球の歩き方」(p220)は以下のように記しています。「カレッジは中庭を囲むように学舎が建ち、Closterと呼ばれる回廊が庭を取りまいている。ひんやりと湿った空気の中、長い年月の間にすりへった石畳の回廊を歩くと、まるでカレッジの学生になったような気がしてくる」
下の写真はこの大学のクライストチャーチの卒業生のジョン・ロックの記念プレートです。
旅行はロンドンから始まりました。朝から大失敗。部屋の鍵をなかに置いたまま外に出て部屋から閉め出し。ウロウロ。瞬間思い出しました。出発直前聞いたNHKの英会話入門に同じ状況が。そこでの”I’ve locked myself out
of my room”をフロントで。危機脱出。
早朝散歩に出かけました。仕事に向かう黒人を数多く見ました。ただしロンドン以外ではあまり黒人には出会いませんでした。
そののち、朝食。黒いソーセージ風のものが出ました。名前を聞くとblack pudding. 現地ガイドに聞くとイギリスでのポピュラーな朝食の食べ物で豚の血が入ったソーセージだそうです。(写真がないのが残念)
イギリスの料理は評判通りまずかったです。当時狂牛病が席巻していて代わりに七面鳥が出ましたがこれまた不味い。
でも、いつもお世話になっている「米欧回覧実記」(岩波文庫3 p53)には「諺ニ曰ク、倫敦(ロンドン)ノ食イ倒レ、巴里(パリ)ノ衣倒レ」と記されています。
さて最初の観光はウインザー城でした。上の写真です。女王が滞在中で女王旗が翻っています。
2枚目の写真はウインザー城での衛兵交代です。
3枚目の写真はウインザー城に見学に来ていた高校生たちです。気が付きましたか? 多人種ですね。間違いなくイギリスの高校生です。
2006年3月21日の再録(一部修正加筆)
シェイクスピアの生地ストラッドフォード・アポン・エイヴォンでの現地ガイドはWendyおばさんでした。彼女は元気で活発な愉快な人でした。ガイドも丁寧でゆっくりと説明してくれるので私でもなんだかその英語が分かったような気分になりました(注)。そこで私は彼女に“You are windy “ といいました。そのとき私は「あなたは風のごとく元気でさわやかな人」という意味でWendy とwindy をかけていったつもりでした。彼女は”No, I am Wendy”と答えました。 “ Yes , Your name is Wendy . and you are windy “ と私が言った瞬間周囲にいた観光バスの運転手たちがいっせいに笑い出しました。英語のダジャレが通じたと思って嬉しくなりましたが、日本に帰って辞書で調べたところwindy には「風のごとく元気でさわやか」という意味は無く「ほら吹き」という俗語表現がありました。その後がいけません。英語が分かると誤解したWendy おばさんは私に盛んに話しかけてくるのです。降参! 何はともあれ私の一生に一度の英語のダジャレのお粗末談でした。
写真はダジャレの瞬間と思われるシーンを同行の人が写してくれたものです
(注)彼女だけではなく英語音痴のわたくしでもイギリス女性の英語は何となく分かるような気分になりました。それに対して男性のほうは分かりにくい気がしました。この時の旅行で偶然に日本人留学生に喫茶店で出会いそのことを話したところ彼もそう感じると話してくれました。ついでにもう一つ。私たちの観光バス男性ドライバーの「ラター」の発音にびっくりしました。”later”のことであったようです。ロンドンで使用される「なんとか英語」ですね。
ついでに、イギリス女性の親切話二つ
親切で、暖かい人たちでした。自由時間にロンドンのハイドパークを散歩して方向音痴の私は帰り道がわからなくなって地図を見ながらキョロキョロとしていると30代くらいの女性が寄ってきて何処へ行くのか尋ねてくれました。ホテルの名前を言うと親切に教えてくれました。本当を言うと英語なので半分ぐらいしか分からなかったのですが。私の最大限の英語力で“Thank you very much for your kindness” というとバスに乗り込もうとしていた彼女はこちらを向いてにっこりと微笑んでくれました。旅行中に方向音痴の私はキョロキョロすることが多いのですがこんなことは初めてでした。
スコットランドのエジンバラで1人でお店の準備をしていた50代くらいの女性に両替所を尋ねました。私の唐人ぶりをすばやく察知したのか、お店をそのままにして両替所の所まで手をとるようにして連れて行ってくれました。
さて土産物屋さんの売り子がなぜGlorious Revolutionという単語を知らないのかの疑問氷解は簡単でした。書店で歴史の教科書、学習書を探しました。副産物はイギリスの書店ではmilitary historyというコーナーが必ずあることでした。さて11歳から14歳が対象の歴史学習書を見つけ購入しました。帰国後読んでみるとGlorious Revolution という単語は見つかりませんでした。勿論1688年の革命の記述はあります。UK(日本語のイギリス人)の人には一般常識としてGlorious Revolutionという単語は不要なのです。
名誉革命の名前がないのは学習参考書だけではありません。イギリスの著名な歴史家Trevelyanも名誉革命という用語は使用していません。手元にある「イングランド革命」(みすず書房、原題The English Revolution 1688~1689)という本は1688年の革命を対象としたものですが、名誉革命という用語は使用していません。この本の訳者松村赳氏が「凡例」で「この革命は一般には『名誉革命』の名で知られており、本訳書名も当初は『名誉革命』にするつもりであったが、みすず書房編集部より、原名通りにしてはどうか、との意見が出され、訳者としても再考の末共感するところがあり、原名のようにした。また、原文では、イギリスの一般の例に従って、この革命のことは単にthe Revolution*****と書かれており、ことさら『名誉』という表記は用いられていない***」と記されています。
写真はイギリスで購入した「歴史学習書」です。
1997年6月22日~7月6日「英国物語」というツアーに参加しました。この当時まだこのブログを開設していなかったので未紹介のことを中心に「英国物語」編を始めます。
日本語で「英国」または「イギリス」と呼ばれる国の正式な名称は”The United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland"で”UK"と略されることがあり、Britain=England +Scotland+Irelandであることを最初に確認しておきます。わたくしのいつものセリフ"Where are you from?" は国の名前を期待して尋ねますが、「スコットランド」「バスク」という返事が返ってきたことがあります。
そのスコットランドのGlencoeとGullodenの博物館の土産物屋の売り子さんに「Glorious Revolution はスコットランドにとってgloriousではないですね?」と質問しました。どう答えたと思いますか。さてこの私の質問に対する答えは両者ともキョトンとしたままでした。わたくしの英語が通じないないのかと思い添乗員の英語で再度尋ねてもらいました。やはり同じ反応でした。どうやらGlorious Revolution という単語を知らないようです.GloriousRevolution
は1688年のイギリスでの革命で日本の高校の教科書などではこの国名では血が一滴も流されなかったので名誉革命と呼ぶと書かれています。しかし、これには注が必要です。Englandではbloodlessだったということを。ところがこのスコットランドのGlecoeとCullodenでは1688年の革命の反対勢力が(ジャコバイト)がイングランドに虐殺されているのです。それでこの地の人に前記のような質問をしたのです。現地のガイドさんに同じ質問をしたところ猛烈な勢いの反応があり、どうやらわたくしの意見に賛成のようでした。そうですスコットランドにとって1688年の革命はbloodlessではなかったのです。写真はGlencoeとGullodenの戦場跡です。次回に続きます。
スペインのセゴビアでいただいたこの地の名物料理です。生後15日~20日の子豚をオーブンで焼いたこの地の名物料理です。これを目の前で小皿に切り分けていただくのですが****。
2009年5月6日から途中中断をはさみ今日までの「スペイン・ポルトガル」編を今回で終了します。次回からは?