100倍楽しむ海外旅行  時々国内旅行

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歳(終末期後期高齢者)のジジイの53

回の旅行103ヶ国を100倍楽しんだ話 付録で時々エンディングノート

「臨時編」シーリーン・エバーディーさん

2009年11月29日 08時23分28秒 | イラン

 イランのノーベル平和賞受賞者シーリーン・エバーディーさんがそのメダルをイラン当局に没収されたとの報道があります。2008年5月5日にこのブログで彼女を紹介しているので興味のある方はご覧ください。左下にあるカレンダーで検索ください。写真は彼女の著書「私は逃げない」日本語版です。

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「パキスタンとイランの服装」編 イランのアブヤーネ村の場合 男

2008年09月25日 08時17分05秒 | イラン

 男の服装もこのように特徴があります。だぶだぶズボンは後日紹介予定のクルド人と良く似ているようです。

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「パキスタンとイランの服装」編 イランのアブヤーネ村の場合 女

2008年09月25日 08時13分17秒 | イラン

 イランでも服装が一色というわけでもありません。以前(今年6月22日)ゾロアスター教のことで紹介したアブヤーネ村(今年3月31日地図)の人たちはイランでは特色ある服装です。このことを「地球の歩き方」(p108)では「かつてこの村がゾロアスター教徒の村であった名残」と記しています。

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「パキスタンとイランの服装」編 女子学生2(イラン)

2008年09月13日 08時19分44秒 | イラン

イランのアンザリ(3月31日地図)で撮影しました。前頁と比べてみてください。

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「パキスタンとイランの服装」編 女6(イラン3)

2008年09月11日 08時28分34秒 | イラン

 サンジャン(3月31日写真)での写真です。彼女の服装も前頁と同じです。

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「パキスタンとイランの服装」編 女5(イラン2)

2008年09月11日 08時24分40秒 | イラン

 バム(3月31日地図)の近くでの撮影です。イランの人は野外で持参の弁当を取ることが好きなようです。極端なのは道路の分離帯の芝生での光景を見ました。赤ちゃんのお母さんの服装に注目ください。パキスタンとはえらい違いです。黒色だけではありませんが大体単色のようです。

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「パキスタンとイランの服装」編 女2 (イラン1)

2008年09月09日 08時25分12秒 | イラン

 こちらの写真はイラン22日間の全行程の運転手フセインさん親子の家庭訪問時のものです。左から全行程の助手を務めたフセインさんの息子さん、彼の奥さん、兄の奥さん、母親、兄です。前頁のサリームさん一家の女性と比べとかなり地味でしょう。フセインさんがもともとイラクに住んでいたせいかこれでも標準のイランの人よりはハデのようです。

標準的な女性の服装は次回に紹介します。

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「パキスタンとイランの服装」編 男3(イラン)

2008年09月07日 08時24分45秒 | イラン

 この写真はイランで撮影したものです。小さな公園で昼食の野外バーベキュウの用意をしている時に若者たちがたむろしているところへ例の調子でヒョコヒョコと入り込みました。服装は私たちのものと変わりません。この服装が5月7日にも紹介したようにイランでは一般的です。

 現在のイラン政府の国是は反欧米(文化)路線です。ところが服装はパキスタンのような民族衣装?ではなくこのような洋服です。しかし5月7日に紹介したようにネクタイを締めないというちょっぴり反欧米?があるようでもあります。5月31日に紹介したように現イラン政権は1972年親欧米路線を取るパフラヴィー王朝を倒したイスラーム政権です。しかし6月2日に記したようにその親欧米路線のパフラヴィー王朝を懐かしむ人たちも多いようです。このようなイラン人のアンビヴァレント(ambivalent 相反する感情)がこの服装に象徴されているというのは私の妄想か。勿論、この服装にはイラン人(ペルシャ人)の伝統的な反アラブ思想も関係しているのでしょう。 一方最近まで大統領であったムシャラフ大統領の路線は親欧米路線でした。

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「イラン」編 宗教 アルメニア教会・その他の宗教2

2008年06月24日 08時30分21秒 | イラン

 アルメニア人は拉致されたと書きましたが、これは日本での文献(ヨーロッパ経由?)で見る限りそうであって、どうやらイランでの見方はそうでないようです。エスファーハンでのガイドで観光局の長で学者でもあるReza Shayeste氏から彼の著書を頂いきましたがこの本にはオスマン帝国で迫害されていたアルメニア人を温かく向かいいれ厚遇したと書かれていました。何はともあれ彼らはその後ヨーロッパとの交易で重要な役割を果たしたことには違いないようです。

 なお、この本によれば前頁で紹介したシナゴーグはエスファーハンには17あるそうですが、ユダヤ人の現在での境遇については触れられていません。

 写真はReza Shayeste 氏のサインの入った本の表紙の裏です。Dedicated と書かれていますが15ドルで購入しました。300ページのエスファーハンのガイドブックです。(英語)

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「イラン」編 宗教 アルメニア教会・その他の宗派1

2008年06月24日 08時24分19秒 | イラン

 イランでは多くの少数宗教がありますがそのうちの一つアルメニア教を紹介しておきます。アルメニア教というのは古い歴史を持つキリスト教の分派の一つです。アルメニア教およびアルメニア人については2005年12月17日、19日に紹介しているので参考にしてください。17世紀アッバース1世が優れた商人であり職人であるアルメニア人を拉致したことにアルメニア人のイランでの歴史が始まります。エスファハーンにあるアルメニア教会を訪れました。(写真)イスラームのモスクとは雰囲気が全く違いますね。

 イランにはアケメネス朝ペルシアのキュロス大王によって紀元前538年バビロンから解放されたユダヤ人のうち現地に留まった人もいます。彼らは伝統的に商業などイランで重要な役割を果たしてきました。現在でも30のユダヤ教の教会シナゴーグがイラン全土にあるそうです。このことから歴史的に見てイランとイスラエルは友好的な関係にありました。しかし1979年のイラン革命後アンチシオニズムの感情が高まり現在ではユダヤ人をイランで見かけることは少なくなりました。

 その他、現在のイラン政府によって厳しく弾圧されているシーア派の一派バーブー教などたくさんの少数派の宗教集団があります。余談ですが面白いことに現在そのバーブー教の本部はイスラエルのハイファにあります。

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「イラン」編 宗教 ゾロアスター教5

2008年06月20日 08時26分22秒 | イラン

 イランではゾロアスター教の残滓があちらこちらにあります。この写真はアブヤーネ(後日紹介の予定)という小さな村で見かけたものです。現地ガイドも、添乗員も紹介しませんでしたが、ふと上を見ると”fire temple”(火のお寺=拝火寺=ゾロアスター寺院)の文字が見えました。小さい文字なので大きく拡大してよく見てください。

 追記

 前々回スーフィーについて紹介しましたが忘れていたことがあるので追記しておきます。それは「一冊の本」(2008年5月号)という朝日新聞の書評誌の釈徹宗という人の一文です。

 「今日本で一番知られているイスラーム系の名前といえば、日本ハムファイターズのダルビッシュ君でしょう。ダルビッシュ(ダルウィーンュ)とは、イスラームの中でも、スーフィーという神秘主義系の系統で使われる言葉で、聖者や修行者や呪術師などを意味します」 

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「イラン」編 宗教 ゾロアスター教4

2008年06月20日 08時18分05秒 | イラン

 ゾロアスター教寺院の中の聖火です。この時の説明では1520年間燃え続けているとのことでしたがlonely planet には4000年燃え続けていると書いてありました。

 ゾロアスター教に関する余談話を一つ。英語で魔術のことをmagic 日本語でもマジック(手品)と言いますがこれはゾロアスター教の祭司マギから来ているそうです。(異論あり)

 また、キリスト降誕の時祝福に来た東方の3博士と訳されている人たちもマギです。

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「イラン」編 宗教 ゾロアスター教3

2008年06月20日 08時11分17秒 | イラン

 写真はヤズドにあるゾロアスター教寺院です。上部にこの写真でははっきりしませんが、アフラ・マズダの像があります。なおこの寺院に限らず世界中のゾロアスター教関係の施設などはインドに居住する金持ちのゾロアスター教徒(インドではパースィーと呼ばれています。25万~18万人)の寄付で支えられています。

 インドのゾロアスター教徒は金持ちで有名で、たとえばムンバイ(ボンベイ)で有名なインド門を作ったのは彼らですし、現在国営になっているエアー・インディアインド航空の創業者も彼らです。 

 インドのゾロアスター教徒は今も鳥葬をやっているようです。

 なおインドでのゾロアスター教について楽しく知る本に妹尾河童の「河童が覗いたインド」があります。

 Coloさんコメントありがとうございました。マツダランプは書き忘れていました。しかし東芝の製品とは知りませんでした。

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「イラン」編 宗教 ゾロアスター教2

2008年06月18日 08時30分37秒 | イラン

 写真はヤズドにある沈黙の塔に晒された私です。幸か不幸か残念ながら「はげ鷹」は舞い降りてきませんでした。 

 ゾロアスター教はアレクサンダー大王が滅ぼしたアケメネス朝(紀元前559~紀元前330)時代にはかなり普及はしていたようですが、詳しいことは良く判っていないようです。次のサーサーン朝時代(紀元後226~651)には国教になり欽定アヴェスター(ゾロアスター教の経典、現在30%が現存)が作られます。しかし、651年イスラーム勢力によりサーサーン朝は滅ぼされゾロアスター教は衰退の一途をたどります。現在イランでのゾロアスター教徒の数は3万人~10万人といわれています。ここヤズドでは総人口30万の10%にあたる3万人がいるとされています。 

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「イラン」編 宗教 ゾロアスター教1

2008年06月18日 08時25分50秒 | イラン

 ゾロアスター教は紀元前7世紀に生まれたゾロアスターを始祖とし、この世界は善神アフラ・マヅダと悪神アーリマンとの戦いで最終的にはアフラ・マヅダが勝利を収めるというイランで生まれた世界最初の一神教です。火を尊ぶということから拝火教とも呼ばれることがあります。ユダヤ教、キリスト教、イスラーム教に多大な影響を与えたとされています。

 日本には関係ないと思われがちですが、かの松本清張は古代日本にイラン人がゾロアスター教とともに渡来し古代遺跡ならびに日本の習俗にその痕跡が見られるという説をかなりたくさん書いています。また、東洋工業の車はマツダ車といわれており、勿論創業者の松田に関係しますが、マツダのローマ字表記を見るとMazdaになっています。これは善神アフラ・マヅダに懸けています。

 ついでにもう一つニーチェの「ツァラトゥストラかく語りき」のツァラトゥストラはゾロアスターのドイツ語です。

 ゾロアスター教で有名なのは「鳥葬」です。(イランでは約30年前に禁止)大地と火を汚さないため塔の上(沈黙の塔)に遺体を置き鳥に食べさせます。写真はヤズドにある鳥葬の行われる沈黙の塔です。

 なおこのゾロアスター教は中央アジア一帯に広がっており、ウズベキスタンでは鳥がいないところで犬に食べさせたという話しを現地ガイドがしてくれました。専用の犬を飼育していたというのです。日本に帰ってゾロアスター教の関係の本を読んでもそのような話しを見つけることはできませんでした。今回の旅行でも。ご存知の方は教えてください。

 追記

 前回 assassination の語源について紹介しましたが、異説があるようなので追記をしておきます。それは陳舜臣がNHKの「シルクロード第8巻」(43)で書いています。。「日本大使館の片倉公使は****私にいろんなことをお知えられた。暗殺者assassin の語源についても、原理主義を意味するアラビア語asas の複数形から来たという説も紹介された。現代ペルシア語でも、このことばは、原則、基礎の意味に用いられている。ペルシア語の辞書を引いて気付いたことだが、ほかにasasaに大集会という意味もある」  

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