チャーチル(1874~1965)は私の世代では葉巻のポーズ(注1)でなじみ深いのですが今の世代では知る人も少ないと思いますので少し紹介しておきます。彼は第1次世界大戦時にイギリスの海軍大臣、のちに植民相、そして、第2次世界大戦時には首相だった人物です。今では知る人も少なくなっているかもしれませんが。冷戦時代を象徴する「鉄のカーテン」の命名者でもあります。また彼は麗筆家といても知られ主著「第2次世界大戦」でノーベル文学賞を受けています。
彼とアフリカの関係はボーア戦争(1899~1902)(注2)に従軍記者として参加したことに始まります。その時ボーア軍の捕虜となり脱走しその手記が評判になり政界入りとなりました。
その彼がその著「私のアフリカ紀行」でウガンダを”the Pearl of Africa “「アフリカの真珠」と言っています。その部分がカンパラのホテルに紹介されていました。” a paradise on earth “ 「地上の楽園」というウガンダ賛歌、それ自体はそれなりに悪くは感じませんが、もう一面、根っからの帝国主義者、植民地主義者チャーチルの言と考えれば、なんとなく以前紹介したカスビで見た(11月1日)勲章と軍服姿とを連想して素直な気持ちにはなれませんでした。
また、アジア・アフリカの植民地支配を正当化する言説、エドワード・サイードの言うオリエンタリズムを感じるのは私の思いすごしでしょうか。
(注1) なぜか、私はこのポーズで日本占領のため厚木飛行場に降り立つ時のマッカーサーのパイプ姿を連想しますが、チャーチルとマッカーサーとは遠戚関係になるそうです。
(注2) 17世紀にオランダなどから今日の南アフリカ共和国に来たボーア人(アフリカーナ)と後から来たイギリスとの戦争。なお、ボーア人(アフリカーナ)については10月26日に触れています。