100倍楽しむ海外旅行  時々国内旅行

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歳(終末期後期高齢者)のジジイの53

回の旅行103ヶ国を100倍楽しんだ話 付録で時々エンディングノート

「オーストリア物語」ハーフェレカー山

2022年06月29日 07時52分59秒 | オーストリア

 インスブルックの午後は自由時間なので「天気がよかったら迷わずに、ケーブルカーとローオープウエイを乗り継いで、ハーフェレカー山(2334m)に登ろう」(地球の歩き方p242)
 写真上左は勿論頂上の私、その右がそこから見たアルプス山脈のノルトケッテ連峰です。
 写真中はここから眺めたインスブルック市街地です。下は登山道の説明掲示版です。ちょっと見にくいですが2人の人物の歩く道路にGoethe Weg(ゲーテ道路)と記されていますが文豪ゲーテがここを登山したのでしょうかね?

「オーストリア物語」アンドレアス・ホーハー

2022年06月23日 07時51分56秒 | オーストリア

 チロル地方の中心都市インスブルックに向かいました。最初に出会ったのはアンドレアス・ホーハーの記念碑でした。(写真左上はウィキペヂア英語版からの借用)恥ずかしながらわたくしはこの旅行前まではこの人物を全く知りませんでした。オーストリアでは(いや世界的にも)最も尊敬されている人物でした。ウィキペヂア英語版では以下のように紹介されていました。
Hofer is still today venerated as a folk hero, freedom fighter and Austrian patriot. His great-grandson Andreas Hofer was a member of the very important resistance group against Nazi Germany 。 
イギリスのウィンストン・チャーチルは1946年南チロルのイタリアへの割譲について下院で演説し「***この美しい土地、愛国者であるアンドレアス・ホーハーの土地の住民が、自分たちの運命についてなぜ発言を許されなかったのでしょう***」(「オーストリアの歴史」(リチャード・リケット著、青山孝徳訳)p169)
肝心のホーハー業績の紹介ですが、長くなるので以下簡単に紹介。
1805年のアウステルリッツの戦いでナポレオンに破れたオーストリアは、プレスブルクの講和(1805年)によって、チロル、フォアアールベルグ、ヴェネツィアをフランスに譲渡することになりました。
  そして、チロルはナポレオンと同盟したバイエルンに与えられました。 バイエルンの統治と圧政はチロルの人々の憤激を買いました。その時宿の亭主、兼家畜商のホーハーが地域の住民に反抗の指導者に本人は望まなかったが選ばれました。そして一時はフランス・バイエルンに勝利しましが結局敗北し1810年ナポレオンの命により銃殺されます。


「オーストリア物語」エアーヴァルト→ノイシュヴァーンシュタイン城→ロイテ村

2022年06月20日 07時53分18秒 | オーストリア

 オーバーグルグルからエアーヴァルトのツークシュピッツェ(標高2964m)へケーブルで向かいそこからの展望を目指したのですが、あいにく濃い霧でダメでした。(写真上)
 その代わりというわけでドライバーのヨハンの協力でドイツのノイシュヴァンシュタイン城に向かいました(写真中)国境では全くチェックなしでした。ノイシュヴァンシュタイン城は1869年に竣工し1886年完成の新しい城ですがドイツで最も美しい城と言われています。
その後オーストリアに戻り人口5500人のロイテ町に向かいました。ここはこの地生まれの画家ヨハン・ヤコブ・ツァイラー(1708~1783)のルフト・マレライ(空気絵)という「だまし絵」が描かれた家並が少し残っていました(写真下)


「オーストリア物語」オーバーグルグル2

2022年06月14日 07時51分46秒 | オーストリア

リフトを乗り継いで(写真上)標高2670m(地球の歩き方2659m、現地のパンフレット2566m)のホーエムート(写真中)からロートモース氷河(写真下)を見渡しました。写真中のGletscher(ドイツ語)は氷河です。氷河展望所という意味なんでしょうね。
 現地のパンフレットには”Obergurgl was chosen by the UNESUCO as a model village for life in the mountains.と記載されていました

「オーストリア物語」編 シルヴレッタ・ガルテューア村

2022年06月05日 07時51分49秒 | オーストリア

 フェルトキルヒはオーストリアの西部にある国境の町なのでここから東部にある首都ウィーンへ向けての西部→東部のバス旅です。最初の休憩地は標高2030mにある発電用の人造湖シルヴレッタでした。(写真右上)そこでオーストリア人観光客と出会い写真を撮り撮り合いました。彼らはオーストリアは美しいだろうと盛んに宣伝し同意を求めてきました(のように思えた)(写真右中)
 次の訪問地は人口約700人の小さなガルテューア村ですが(写真左、右下)年間3400人のスキー客が訪れます。1999年に雪崩があり村人40名が死亡しました。

「オーストリア物語」編 フェルトキルヒ

2022年06月02日 07時52分30秒 | オーストリア

 2001年6月27日〰7月11日「オーストリア物語15日」に参加しました。ルフトハンザ航空でフランクフルト→スイス・チューリッヒ(一泊)→ルクセンブルグを通過してようやくオーストリアの国境の町人口2万3千人のフェルトキルヒに到着しました。写真左上は国境の税関です。
 城塞の町なのでいくつかゲートがあります。写真左中はその一つでクール門です。
 写真右下は15世紀に造られた市町のシンボル「猫の塔」です。
 写真右上は聖ニコラス聖堂です。
 写真左下はマルクト広場(市街地の中心にある広場)に面した建物です。ヨーロッパではヴェランダから花などがよく見えるようになっていますが、日本では何か隠すようになっていることが多いいような気がしますが。