チロル地方の中心都市インスブルックに向かいました。最初に出会ったのはアンドレアス・ホーハーの記念碑でした。(写真左上はウィキペヂア英語版からの借用)恥ずかしながらわたくしはこの旅行前まではこの人物を全く知りませんでした。オーストリアでは(いや世界的にも)最も尊敬されている人物でした。ウィキペヂア英語版では以下のように紹介されていました。
Hofer is still today venerated as a folk hero, freedom fighter and Austrian patriot. His great-grandson Andreas Hofer was a member of the very important resistance group against Nazi Germany 。
イギリスのウィンストン・チャーチルは1946年南チロルのイタリアへの割譲について下院で演説し「***この美しい土地、愛国者であるアンドレアス・ホーハーの土地の住民が、自分たちの運命についてなぜ発言を許されなかったのでしょう***」(「オーストリアの歴史」(リチャード・リケット著、青山孝徳訳)p169)
肝心のホーハー業績の紹介ですが、長くなるので以下簡単に紹介。
1805年のアウステルリッツの戦いでナポレオンに破れたオーストリアは、プレスブルクの講和(1805年)によって、チロル、フォアアールベルグ、ヴェネツィアをフランスに譲渡することになりました。
そして、チロルはナポレオンと同盟したバイエルンに与えられました。 バイエルンの統治と圧政はチロルの人々の憤激を買いました。その時宿の亭主、兼家畜商のホーハーが地域の住民に反抗の指導者に本人は望まなかったが選ばれました。そして一時はフランス・バイエルンに勝利しましが結局敗北し1810年ナポレオンの命により銃殺されます。