私の父親はインパール作戦の生き残りです。インパール作戦とはアジア太平洋戦争時、ビルマ-インド間の要衝にあって、連合国から中国への主要な補給路(援蒋ルート)遮断を戦略目的としてインド北東部の都市インパール攻略を日本軍が目指した作戦のことです。補給線を軽視した杜撰な作戦により、多くの犠牲を出して歴史的敗北を喫し、無謀な作戦の代名詞として現代でもしばしば引用されます。犠牲者数についてはいろんな説がありますが、一説では参加数8万6000人の内、戦死者(ほとんどは飢死)3万2000人、戦病死4万人とされています。「ビルマの竪琴」という児童文学書はこの戦争とその後の日本兵を描いた名著として有名です、私も子供の時読み感動したしたことを覚えています。旅行前に再読して感動を新たにしました。
その生き残りの父親は多くの戦友を亡くしその亡霊に取りつかれように夜中にうなされていたことを子供心に気付いていたことをいまだに思い出します。
ところが、意外に彼は「ビルキチ」(ビルマ大好き)であったような気がビルマ旅行を通じて思うようになりました。
ビルマ復員後我が家の共通語にビルマ語が入りました。80年近く前のことですのであらかた忘れましたが「アーロンビービ」という言葉だけは覚えています。意味は「すべて終わり」とかすかな記憶がありました。そこでビルマ(ミャンマー)で現地ガイドのオウマさんに確認しました。正解で発音が良いと褒めてもらいました。そこでさっそく試してみました。食事が終わって片づけに来たウエイターに「アーロンビービ」と言いました。通じましたが、彼は私がビルマ語が分かると思ったのかビルマ語でペラペラと話しかけてきました。
皆さん「火吹き竹」をご存知ですか。昔、家庭では必須の道具でした。広辞苑によれば「吹いて火をおこすのに用いる竹筒。一端に残した節に小穴をあけて、息が強く吹き出るようにする」 この言葉もいずれ広辞苑から消えていくでしょう。この「小穴」に注目ください。父親はビルマ復員後、ビルマではこの小穴は無く節を取ってしまった大穴の「火吹き竹」で、このほうが火がおこりやすいという話をしました。さっそく実験をした結果ビルマ方式に軍配が上がりそれ以後我が家の「火吹き竹」はビルマ「大穴」方式になりました。ビルマの旅行でこのことが気にかかっていました。民俗土産店でそれを見つけました。大感激です。写真がそうです。