しかし、広場にイギリスの軍艦に配置されていた機関銃が展示されていました。Hotchkiss Gun というのがそれで機関銃のことのようです。これが本物か、レプリカかはわかりませんでした。
なお、余談ですが文房具のホッチキスという名前はこの機関銃からきています。すなわち機関銃のように次々に針が出てくるということです。
また私の感想ですがイギリス植民地時代の名残がこのように後生大事に展示されていることにさみしさを感じました。2009年11月1日に述べたウガンダのカスビでの感想と同じです。
しかし、広場にイギリスの軍艦に配置されていた機関銃が展示されていました。Hotchkiss Gun というのがそれで機関銃のことのようです。これが本物か、レプリカかはわかりませんでした。
なお、余談ですが文房具のホッチキスという名前はこの機関銃からきています。すなわち機関銃のように次々に針が出てくるということです。
また私の感想ですがイギリス植民地時代の名残がこのように後生大事に展示されていることにさみしさを感じました。2009年11月1日に述べたウガンダのカスビでの感想と同じです。
前回この地はヨーロッパ列強の植民地支配の拠点であったと紹介しましたが、19世紀末からイギリスとドイツ、ポルトガルはマラウィ湖に軍艦を配置していました。イギリスの軍艦はHMS Guendolinといい1899年にマンゴチで組み立てられ、340トンで当時としては最高の12ノットのスピードをほこり、二つの強力な銃を持っていました。本国政府同士は不和でしたがイギリスとドイツの艦長は仲が良くお互いに行き来してパーティーなどしていました。ところが1914年第一次世界大戦が勃発したとき、いち早くそれを知ったイギリスの船長は情報を知らなかったドイツの戦艦を奇襲し捕虜にしました。これが第一次世界大戦でのイギリス軍の最初の勝利した海戦になりました。Lonely planet はこのことをunsporting event と書いています。(ここまではlonely planet “Southern Africa”p205によります)
さてこのイギリスの軍艦の一部のレプリカがマラウィ湖博物館に展示されているということなので見たいと思っていましたがツアーコースに入っていなくて残念ながら見ることはできませんでした。しかしその前をバスが通過したので博物館の写真だけは撮ることだけはできました。しかし、次ページへ。
マンゴチはモザンビークへ向かう地理上の要地でもあります。マラウィ湖から流れ出るシーレ河を渡ってモザンビークへ向かう橋が老朽化し日本政府からの援助で2002年に新しい橋ができました。写真は古い橋から新しい橋を見たものです。
湖畔のコテージ風の旅籠に泊まりました。
20010年1月22日に紹介したマラウィで活躍しているジャイカの松永和之さんが実家のある北海道喜茂別町のホームページに紹介されています。そこには彼の「マラウィ通信」も掲載されています。興味のある方はご覧ください。喜茂別町で検索すれば出てきます。
グイリゼ村からマラウィ湖畔の街マンゴチに向かいました。2009年9月25日の地図をご覧ください。
マラウィ湖は陸上での世界最大の地球の割れ目大地溝帯でできた湖です。世界で9番目の広さで鹿児島県を除いた九州と同じ広さです。モザンビーク、タンザニア、マラウィと国境を接します。マラウィという名前は「光、炎」を意味します。湖畔からの写真です。
これがフィナーレです。
この踊りはチュワ語でgule womkulu と言います。この踊りを通じて肉体と霊が一体となるとチュワ人は信じています。
グイリゼ村の皆さん有難うございました。 なお、同じアフリカ、マリ共和国のドゴン人の仮面踊りを2007年9月28日に紹介しているので未見の方はご覧ください。ドゴン人の踊りでは竹馬で踊るのが有名ですが、このチュワ人の踊りgule womkulu でも竹馬踊りがあるようですが、今回は見られませんでした。
中谷さんコメント有難うございました。今後ともよろしくお願いします