説明の標示板です。リンガとは書いてありませんでした。
「三島村」は今回で終了します。
観光案内所所長大町さん、ガイドをしていただいた山田さん、川元さん、徳田さん、村役場の皆さん、そしてお世話になった民宿「ミナミン風」「はまゆう」「ガジュマル」の皆さんたいへんありがとうございました。三島村が世界的な観光地になることを祈って終わりにします。
これが現在の長浜家屋敷(黒木御所)です。今は無人で当主は島外にお住まいとの事です。敗戦後まもなく何人かの「自称天皇」が現れそのうちの一人「熊沢天皇」が最も有名でよく覚えていますが、「長浜天皇」の名前もかすかに私の記憶に残っています。
安徳天皇はこの硫黄島で成人し子孫を残します。それが代々のこの地の長浜家です。これが黒木御所です。長浜家の屋敷が「黒木」御所と名づけられている理由が不学の私にはよくわかりませんでした。三島村職員の方のヒントを基に調べてみると答えは簡単でした。広辞苑に「黒木の御所―丸木造りの粗末な御殿。天皇の行在所」とありました。ちなみに「黒木」をひくと「皮を削らぬ丸木の木材」とありました。参考までに太平記には後醍醐天皇が隠岐に流され「黒木ノ御所ヲ作テ皇居トス」とあります。
臣下のお墓です。どのようにして特定したのかは知らないほうがよいのかもしれませんね。
この場所は人家の近くにあり小学校とも隣接しているのですが、ガイドの徳田さんの小学生時代は神々しくて近くには立ち寄らなかったそうです。
安徳天皇は平清盛の娘徳子を母とする第81代の天皇ですが、源平の争いのなか壇ノ浦の合戦で平家物語によれば安徳天皇を「二位殿やがていだき奉り『波の下にも都のさぶらふぞ』となぐさめ奉って、千尋の底へぞ入り給う。***いまだ十歳のうちにして、底の水屑とならせ給ふ」なのですが、生き延びて生涯を全うしたという伝説が各地に残っています。10数箇所あります。その一つが硫黄島です。墓地がありました。