100倍楽しむ海外旅行  時々国内旅行

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歳(終末期後期高齢者)のジジイの53

回の旅行103ヶ国を100倍楽しんだ話 付録で時々エンディングノート

「ヴェトナム」編 フエ 宮廷料理

2021年07月17日 07時52分10秒 | ヴェトナム

 ハノイからダナン→ホイアン→フエ→再びホーチミンとヴェトナムを南下しましたが、その間カメラ故障のため写真が1枚もありません。しかし同行の方からフエでの宮廷料理の写真を送っていただきました。
 フエはヴェトナム最後の王朝があったところでその面影が色濃く残っている古都です。そこでの夕食は民族音楽と王朝貴族の服装、宮廷料理を楽しみました。下の写真は王と王妃? 残念ながら料理の写真はありませんでした。
 次回からは「カンボジア」
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「ヴェトナム」編 ハノイ4 水中人形劇

2021年07月14日 07時51分44秒 | ヴェトナム
 
ハノイ最後の夜は「水中人形劇」で楽しみました。「ベトナムに来たらコレを見ないと始まらない!」は「地球の歩き方 ベトナム」(p87)の紹介フレーズです。「この水上人形劇は千年もの昔から伝わるもので、 もともとは農民たちが、収穫の祭りの時などに屋外の水辺を使って演じていた。11~15cの頃には宮廷にまで広がった」(「地球の歩き ベトナム」p87)
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「ヴェトナム」編ハノイ3

2021年07月11日 07時52分27秒 | ヴェトナム

「写真上」はハノイ郊外の農村風景です。わたくしの子供時代の農村風景と全く同じです。郷愁にかられました。でも寒かったですね。「ルチエム」という冷害に強い品種によって年に2、3回の収穫が可能になったそうです。
陶器の村を訪ねました。(写真中)左に見えるのは、燃料用の牛糞ですね。
(写真下)孔子を祀るために1070年に建立された廟を訪れました。1076年にはヴェトナム最古の大学が開設されました。壁には漢字が書かれていて我々日本人には少し理解できるがヴェトナム人にはさっぱり。ヴェトナムと中国とは古くから関係があるのですがその関係には古くから今に至るまで微妙であったようですね。
追記(7月18日)
「李朝(1009~1225)は、基本的には仏教王朝だったが、大乗仏教以外のベトナム土着の『神々』も王権の神聖化に活用された。1072年に孔子を祀る文廟が建設されているが、これも利用できる宗教は何でも活用する政策の体現だった」(東南アジア史10講 p22)
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「ヴェトナム」編 ハノイ2 ハロン湾クルーズ

2021年07月08日 07時52分10秒 | ヴェトナム

 ハロン湾クルージングを楽しみました。1500㎞2 の湾内に3000以上の奇岩、島々があります。島々の成りたちにはいくつかの伝説があるようですが、ここでは添乗員のメモにあるものを紹介します。「昔々、侵略者がこのあたりのヴェトナム人を攻めた。山の上に住んでいた竜はとても怒り、尾で山を割り、足跡は谷となった。海まで竜は逃げる侵略者を追いかけたので、陸に海水が流れ込み、谷は滝となり残った山は島となった」
 ちょっと見にくいですがこのような鍾乳洞(写真左下)は59あるそうです。
 昼食は船上でエビ、カニのシーフードをいただきました(写真右)
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「ヴェトナム」編 ハノイ1 寒い 

2021年07月05日 07時52分27秒 | ヴェトナム

 ホーチミン市からカンボジア、ラオス(後日紹介)を通りベトナム北部首都ハノイに入りました。ハノイは寒かったです。孫の厚着を幸せそうに微笑んで眺めているおじいちゃんと孫がいました。(写真上)いい写真でしょ。(自画自賛)ハノイの1月の最低気温は平均13度ですが、この年(2000年)はかなり寒かったようです。少し北部では雪が降ったそうです。この時期のハノイ旅行者は対策を考えておくことをお勧めします。
 ハノイでの最初の観光地はヴェトナム独立の父ホーチミン((1890~1969)の廟(写真中)でした。カメラ、ビデオは勿論イヤホンを持ち込むのも禁止、私語もダメという厳重な警備でした。
 次の観光は「一柱寺」(写真下)でした。池の上に柱を一本立ててつられています。1049年当時の王が悲母観音の夢を見て子宝を授かったことから感謝を込めて建立されました。
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「ヴェトナム」編 クチ

2021年07月02日 07時56分22秒 | ヴェトナム

 ホーチミンから北西に70㎞のクチを訪れました。クチの地下には延長250㎞ものトンネルが網の目のように張り巡らされています。これについて伊藤千尋は「観光コースでないベトナム」で「ホー・チン・ミンはベトナム戦争初期に『今はバッタと象の戦いでも、あすは象がはらわたをえぐりだされるだろう』と語った。しかし、兵士たちはバッタどころかアリのような暮らしをするようになった。****米軍のひざもとで戦った南ベトナムの解放軍兵士はアメリカという巨象を相手として戦いの中で、まさにアリになった」(p188)と紹介しています。そうですこの地下トンネルはアリになった南ベトナム解放軍の基地だったのです。
 トンネルは非常に狭く、たくさんの外国人もいましたが、彼らは中に入ろうとしません。我々日本人だけか中に入りました。太ったフランス人女性に半分になって中に入りなさいとからかってみました。ごめん。
 写真下はトンネルから顔を出した兵士です。
 ちょっと蛇足を。アメリカ軍がヴェトナムに落とした爆弾は第2次世界大戦で全世界に落とされた爆弾の量より多いそうです。(観光コースでないベトナムp26) その上に枯葉剤の被害がありました。「ベトちゃん、ドクちゃん」という結合双生児の話は有名ですね。
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「ヴェトナム」編 ホーチミン2 カオダイ教

2021年06月29日 08時00分11秒 | ヴェトナム

 ホーチミン郊外にあるちょっと変わった新興宗教カオダイ教寺院を訪れました。仏教、道教、儒教ヒンドゥー教、キリスト教、イスラーム教とありとあらゆる宗教まぜこぜにした宗教で1926年にゴ・ミン・チューが始めました。その中心地タイニン省では住民の大半が信者で独立の軍隊を持ったことがあります。したがって政治的にもなかなか複雑の動きをしたようです。現在も200万人(100万〰300万)の信者がいるといわれています。写真下は12時から行われていた礼拝の儀式です。
 カオダイ教の信者のディ・ヴァン・デーが「アジア読本 ヴェトナム」で記述している「カオダイ教 世道と天道をめざして」(p231~235)が日本語で紹介されている中ではたぶん一番教義につての解説が詳しいと思います。
 
 
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「ヴェトナム」編 ホーチミン1 街角風景

2021年06月26日 07時54分27秒 | ヴェトナム

 2000年1月19日〰2月4日「インドシナ物語」というツアーに参加しました。旅程はヴェトナム(ホーチミン)→カンボジア→ラオス→ヴェトナム(ハノイ→ホーチミン)でした。後半のヴェトナムはカメラ故障のため残念ながら紹介できません。後半のヴェトナムはハノイだけです。
 写真上はハノイの早朝散歩の街角風景です。わたくしの後日のメモには「予想以上のバイクとその警笛のやかましさ」とあります。余談話ですが、
「アジア読本 ヴェトナム」(1995年)という本に「なぜバイクが買えるのか」(p88~96)という一節があります。
 騒音の中リヤカーを引いたわたくしの好きなココナツミルク屋さんがいたのでいっぱいいただきました。(写真中)
 幸せそうな家族にも出会いました。(写真下)

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「世界の景観 風景」編 ヴェトナム2 ハロン湾

2006年03月11日 09時03分15秒 | ヴェトナム

ヴェトナムきっての景勝地ハロン湾です。

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「世界の景観 風景」編 ヴェトナム1 郷愁

2006年03月11日 08時55分58秒 | ヴェトナム

 ヴェトナムのハノイ近郊の農村風景です。懐かしいかっての日本です。

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