ここは海賊通りです、という説明だけでその由来の説明はありませんでした。帰国後、調べてみると、どうやらフランス、ボルドー生まれの海賊ジャン・ラフィトに由来するようです。彼はメキシコ湾、カリブ海で暴れた海賊でしたが、第2次の独立戦争とも呼ばれる米英戦争(1812~1815)の終末を飾るニューオリンズの戦いでアメリカ合州国の将軍アンドリュー・ジャクソンと取引をして、合州国側に付きイギリス軍撃退に貢献しました。そのため市内には彼の痕跡が残っています。
ニューオリンズはかってはフランス領ルイジアナの首府でしたが1803年ナポレオン皇帝がアメリカ合州国に売却しました。したがって今なお市内のフレンチ・クオーターと呼ばれる地区にはフランス植民地時代の雰囲気が残っています。
有名なバーボン通りの名前もその一つでフランスの貴族ブルボン家に由来します。
元来、この地は元プランテーション経営者の子孫たちの南北戦争前の奴隷所有社会の懐古趣味での観光地でした。しかし、公民権運動以降、ナチェズの公的な歴史に黒人の経験を付け加えたいと考える黒人から、次第に異議がでるようになってきました。そこで現在はこの掲示に見られるように悲惨な奴隷制度の説明が1993年にナチェズ国定歴史公園に指定後なされるようになりました。かなりの数がありましたが、その一部を紹介します。日本語訳は恥をかきそうなのでやめておきます。