トレドは写真で見るように高い岩場にある城塞都市なので水の確保が古来より問題でした。16世紀にイタリアの時計技師、機械技師ファネロ(スペイン名)なるものが水揚機を作り宮廷内部の貯水槽に満々とした水を溜めることに成功しました。そこで「コロンブスの卵」という諺は古くスペインでは「ファネロの卵」に由来するそうです。
トレド(3月29日地図)はローマ時代交通の要所として栄え、560年以後はゲルマンの一派西ゴート王国の首都になり711年にイスラーム勢力に滅ぼされ、その後ウマイヤ朝が崩壊した後にイスラームの小国家(タイファ)の首都になり1085年にカトリックカスティーリヤ王国にレコンキスタされました。この1085年は長いレコンキスタ運動の中でもっとも重要な年とされています。このように古来より政治的に重要な都市であったので写真で見るように典型的なスペインの城塞都市の面影を良く遺しています。写真の中央がアルカサス(城)です。
少し余談噺を。1085年よりカトリック教国に支配されましたが1942年まではカトリック、ユダヤ、イスラームは平和的に共存していました。12世紀から13世紀、「トレドの翻訳グループ」と呼ばれる学者が活躍しました。イスラーム教徒、ユダヤ教徒、キリスト教徒の共同作業によって、古代ギリシア・ローマの哲学・神学・科学の文献がアラビア語からラテン語に翻訳されました。この成果が中世西ヨーロッパに大きな刺激を与えました。すなわちギリシア・ローマの古典文化はここトレドからアラビア語からの翻訳により西ヨーロッパに伝えられたのです。
スペインは諸王国の分裂抗争時代が長かったのでロンダのみならずこのように外敵に簡単に攻められないような日本で言う山城の要塞が多く現在もそこを中心に街が発展しています。添乗員の堤さんがスペイン人は高いところが好きなようですという話をされていました。
余談噺
日本では山城も戦国時代最盛期にはたくさん作られますが後期ごろから平城が多くなり山城を中心とした町は形成されませんでした。現在残されている天守閣をもつ山城は岡山県高梁市の備中松山城だけです。勿論現在の高梁市の街は城から歩いて20分ぐらい下りたところにあります。
ロンダ(3月29日地図)は1485年フェルナンドレコンキスタ軍によって攻略された断崖絶壁の城塞都市です。フェルナンドは堅固なつくりに正面からの攻撃をあきらめ水の供給を止めるという戦略で1週間で攻略したという話が残っています。
以下断崖絶壁の街の写真を3枚。
街中で見かけた彼の騎馬像です
今日の朝日新聞に中国の身分証について書かれていますが、このブログ2006年11月9日でも触れているのでご覧いただければ幸いです。
Fengdanさんいつもコメントありがとうございます
イザベルとフェルナンドがレコンキスタの英雄の最終ランナーとすればエル・シド(1043?~1099)は叙事詩「わがシドの歌」で有名な初期レコンキスタの国民的英雄とされています。本名はロドリーゴ・ディアス・デ・ビバールで、エル・シドはアラビア語起源でエルは定冠詞でシドは君主を意味します。レコンキスタの英雄のあだ名がアラビア語というのも面白いですね。しかし彼は時にイスラームの小国家(タイファ)とも手を組む権謀術数に長けた戦国武将であったようです。時代がたつにつれレコンキスタのイデオロギーが強化され彼が次第にレコンキスタの英雄になっていったと思われます。
彼の生まれはブルゴス(3月29日地図)なのでこの地でたくさんの像を見ました。カテドラルでの絵画です。
レコンキスタの終着は1492年のイザベルカスティーリヤ女王とアラゴン国王フェルナンド国王の連合軍のグラナダ無血開城ですが、二人が結婚したのは1469年で当時はまだ皇女、王子でした。1474年に兄の国王がなくなってここセゴヴィアのアルカサスでイザベルは女王就任宣言をしました。写真はこのアルカサスで彼女の就任宣言の模様を描いたものです。なお夫のフェルナンドのアラゴン国王就任は1479年です。
二人の結婚、彼女の国王就任宣言などについては面白い話がたくさんありますが、その話は歴史書などに譲るとして、中丸明の「プラド美術館」(p107)にあるイザベルの話を紹介しておきます。
「この女王はレコンキスタに狂奔するあまり化粧もせず、汚れの目立たない黒い服に身を包んで、めったに風呂にも入らず,ノミ、シラミをわかせながら、異教徒をスペインから一掃することに生涯を捧げた女性であった。(彼女の言)『キリスト教徒たる者は、むやみに水を浴びたり、風呂に入るものではありません。あれはモーロ人(イスラーム教徒)の風習ですから』」
続いて中丸の「こうも不潔だと***フェルナンド王があちこちに私生児を生ませたのも故なしとしない」は余計なお節介かな。二人の間には有名な狂女王ファナを含めて5人の子がいます。?
7月3日に両カトリック王はグラナダにイスラームの服装で入城したと紹介しましたが、それと矛盾するようですが私はどちらも本当だったと思います。イスラーム文化への憧れと憎しみの相矛盾するアンビバレント気持ちがあったような気がします。
711年にイスラーム勢力がイベリア半島に侵入して瞬く間にほぼ全域を支配します。その後1031年に統一王朝後ウマイヤ王朝が崩壊しイスラーム勢力は20あまりの小国家(タイファ)に分裂し北部にはこれまた小国家のカトリック教国が林立し互いに抗争を繰り返し日本の戦国時代のような様相を呈します。それが次第に北部のカトリック教国のイスラーム教国の追い出しというイデオロギーに収斂し再征服レコンキスタ運動になり1492年のイザベルのカスティーリヤ王国とフェルナンドのアラゴン王国の連合カトリック軍のグラナダ占領でイスラーム勢力はイベリア半島から追い出され決着します。
その間約800年にわたる戦いの跡を示すのがスペイン各地の高地にある砦、城塞です。以下その城塞を中心としてこのレコンキスタ、戦国時代を見ていきます。
セゴヴィアすでに水道橋を紹介しました(6月15日)しましたが、標高1008mにあるアルカサル(城)はディズニー映画の「白雪姫」のモデルとして有名です。セゴヴィアは1085年にカトリック教国に占領されます。
これまで紹介してきたようにスペインを旅行していると各地でイスラーム文化の痕跡に出会い、しかも今も生きています。
アラビア語起源のヨーロッパ語もたくさんあります。たとえば英語などのalgebra(代数)やalcohol(アルコール)などalの付く語が良く知られていますが、ここではスペイン語になっている単語をついでにいくつか紹介しておきます。日本語、アラビア語、スペイン語の順序です。
レモン=laimun→limon オレンジ=narangia→naranja 砂糖=sukkar→azucar 歳時記=al-manah→almanaque 料金表=tarifa→tarifa
そのイスラーム教徒をスペインの地からカトリック教徒の王たちが追い出す運動をレコンキスタ(直訳すると再征服)といいます。それを次回から観光をしながら少し紹介します。
アルコス・デ・ラ・フロンテーラは前回紹介したマラガの近くの町です。11世紀にイスラーム教徒のベルベル人(2008年11月23日を参照ください)の小国家があったところです。当時の街並みが残る典型的なアンダルシア風の景観です。1492年にここスペインから追放されモロッコに居住した人たちのアンダルシア風の街並みはすでに「モロッコ」編で紹介しました。(2008年12月29日、2009年1月28日など)以下、3枚紹介します。
Fengdanさんいつもコメントありがとうございます。そういえば鹿児島には屋上プールは無いようですね。