コンツタンティーヌから少し西方にジェミラ古代遺跡があります。AD1世紀に古代ローマ帝国の建設した植民都市です。当時の名前はクイクイムでした。ローマ帝国の崩壊後7世紀にアラブ人がここにやってきたときには廃墟になっていました。ここには入植はしませんでしたが、アラビア語で「美しいもの」を意味する「ジェミラ」と名づけました。
1982年に世界遺産に登録されました。
「(アルジェリア生まれの)the French writer Albert Camus observed, “a lesson in love and patience”」とlonely planet (p133)は紹介していますが、不学の私には意味が分かりません。誰か教えてください。この文章の前に“you can come closer to understanding the Roman aesthetic; the marriage of order and beauty”とあるのですが。
礼拝時には手を洗い、口をすすいで身を清めます。写真はそのための施設です。付け加えておきますとモスクには必ずトイレが付随しています。イスラーム教国イランを旅行していたときベテラン添乗員瀬川さんが「トイレ休憩のときトイレが見つからないときはモスクを探します」と話されていたことを思い出します。というわけでイランではモスクのトイレに何度かお世話になりました。ところでキリスト教の教会ではこのような設備もトイレがないのが普通ですね。モスクと教会の一番の違いだといつも私は思っています。
この襖の向こうが女性の礼拝場です。壁で完全に区切られてはいなく出入り自由の感じでした。イスラーム教では男女の区別が厳しくてこのように部屋を分離しているのと、同じ部屋で前方を男、後方を女と区切る場合と、モスクそのものが男女に分かれている場合があるようです。男女別々のモスクはブルネイで出会いました。(未紹介 後日紹介予定)
時刻表がありました。一番上は現在の時刻、2番目が開場、3,4,5,6,7が礼拝、最後が閉場の時刻です。
イスラーム教徒は一日5回メッカ(マッカ)方向に向かってお祈りをします。そのお祈りの時間は1日5回の礼拝(お祈り)でその時間帯は① 日の出前 ② 昼過ぎ ③影が自分の身長と同じになる ④日没後 ⑤就寝前となっています。季節により時間が変わるのでこのように時間指定されているのだと思います。
アルジェリアの国民的英雄アブド・アルカーディルについては6月14に少し紹介しています。その彼の名前を冠したモスクがここコンスタンティーヌにあります。
建設の計画は当初1968年に収容人員1万人の予定で始まりましたが、時の大統領Houari Boumedieneが関与することによって規模が拡大し1万5000人収容の世界最大のモスクの一つとして1994年に完成しました。
アルジェリアは1518年から300年余りオスマン帝国の支配下にありました。オスマンの土着化した軍人のデイの支配下の下で国土は3分割されそれぞれの州にデイに任命されたベイが統治していました。その東部の中心がコンスタンティーヌでその地の最後のベイがアフマド・ベイ(任期1826~1848)でした。フランスの侵略は1930年に始まり、彼は抵抗しますが、1848年に降伏します。
このアフマド・ベイがこの宮殿を1825年に計画し1835年に完成しました。それが現在残されていて観光名所になっています。オスマン帝国時代の最も優れた建物のひとつといわれています。
これは何かの理由で抹殺されなかった戦死者の名前だとは伊藤さんの説明でしたが、私は第1次世界大戦の戦死者の名前は完全に抹消されていて、これは独立戦争の時殉死した人の名前ではないかと思っています。それの方が理にかなっていると思います。真実は?