100倍楽しむ海外旅行  時々国内旅行

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歳(終末期後期高齢者)のジジイの53

回の旅行103ヶ国を100倍楽しんだ話 付録で時々エンディングノート

「臨時特別」編 香港の思い出

2019年06月29日 08時05分24秒 | 香港

 

 最近「香港200万人デモ」のニュースを聞いて思い出すことがあります。2007年10月23日に掲載した以下の文章です。再録します。

「今回の旅の最初の目的地ナイロビまでは成田→(5時間)香港→(13時間20分)ヨハネスブルグ→(4時間)ナイロビ でした。その最初の香港までの機内で3人掛けの窓際に若夫婦(恋人?)がいて年寄りの私を気遣ってくれて手荷物の収納などを手伝ってくれました。日本人ではないようなので「チャイニーズ?」と尋ねてみました。答えはそれを否定する語調でホンコン(香港)でした。「! ? なるほど」が私でした。写真はその香港人の若夫婦です。]

 追記(2019年6月29日)

香港の人は漢字以外すなわちヨーロッ風の苗字を持っている人が多いようです。(同じく2007年10月23日紹介)

私は手がすこし不自由なので手荷物などの収納などでもたもたしますが、その時手伝ってくれるのは、中国系、韓国系か客室乗務員の人だけでした。


「東・南アフリカ」編 旅の始まり -香港2

2007年10月23日 09時02分10秒 | 香港

 写真は成田→香港の客室乗務員です。ビールにエビスビールがあるというので「エビス顔でいただきます」とおやじギャグを飛ばすと不審そうな顔をして意味を尋ねるので確認すると彼女も「香港人」だとのことでした。ふと名表(写真では分からない)を見ると「エレシア」となんとなくヨーロッパ風の名前なので聞いてみると香港ではイギリス風の名前が流行っているとの答えでした。また帰りの客室乗務員も「ロゼッティ」という香港人がいました。 

 ついでにこの話しとあまり関係ないようで私には関係があるような気がした喜望峰で出会った日本人女性の現地ガイドを紹介します。彼女は現地のアフリカ人と結婚しているとのことなので、夫の民族を聞いて見ました。最初は「カラード」(混血)とのことでしたがもう少し尋ねてみると「コサイン人」と答えながら「彼はそのこと(民族)はあまり気にしていない」と答えながら彼女自身もあまり良く知らないようでした。家庭内での会話は英語ということでした。

 ベネルックスでもご一緒させていただいたナショナリストのTさんの意見を聞きたいのですが


「東・南アフリカ」編 旅の始まり - 香港1

2007年10月23日 08時53分50秒 | 香港

 今回の旅の最初の目的地ナイロビまでは成田→(5時間)香港→(13時間20分)ヨハネスブルグ→(4時間)ナイロビ でした。その最初の香港までの機内で3人掛けの窓際に若夫婦(恋人?)がいて年寄りの私を気遣ってくれて手荷物の収納などを手伝ってくれました。日本人ではないようなので「チャイニーズ?」と尋ねてみました。答えはそれを否定する語調でホンコン(香港)でした。「! ? なるほど」が私でした。写真はその香港人の若夫婦です。 

 「猪」さんコメントありがとうございました。写真についてですが、このブログでは2種類あり、ひとつはバオバブの楽器のようにデジタル写真の場合は画面を1回クリックしていただければ画面いっぱいに出ますが、「西アフリカ」編の場合は多くはフイルム写真なので1回クリックでは左画面に少し大きく出るだけですが、その後1秒ぐらいで右下に拡大のアイコンが出るのでそれをも一度クリックしていただければ画面一面に表示されますのでよろしくお願いします。なお二枚のフイルム写真を入れている場合は画面からはみ出す場合がありますが、そのときはカーソルを適当に移動さしてご覧ください。私がデジタルカメラを使い始めたのは5年前の「西アフリカ」の旅から後です。