100倍楽しむ海外旅行  時々国内旅行

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歳(終末期後期高齢者)のジジイの53

回の旅行103ヶ国を100倍楽しんだ話 付録で時々エンディングノート

「忘れられない」編 現地ガイド21 中国カシュガル

2023年07月30日 07時53分35秒 | 忘れられない

 ウイグル人の言語はテュルク語系のウイグル語でイスラム(スンナ派)を信仰する人たちです。人種的にはモンゴロイドとコーカソイド(白人)の混血ですが、かなり地域差があるようでウルムチあたりの人たちとカシュガルのあたりの人たちとは見た目が違っていました。
 写真はカシュガルのウイグル人現地ガイドのパリダさんです。ご覧の通り色が白く顔立ちもヨーロッパ的です。カシュガルは一番西方なのでコーカソイドの血が濃いのでしょう。
 彼女は独身19歳の敬虔なイスラム教徒で4回の礼拝、ラマダン、服装もこのような仕事以外はイスラム風だそうです。結婚相手にイスラム教徒以外は考えられないそうです。もしイスラム教徒以外の男性が好きになったらとしつこく尋ねてみましたが、そんなことは考えられないときっぱりとした返事でした。


「エンディングノート」89歳になりました

2023年07月27日 07時52分02秒 | エンディングノート

7月25日に89歳になりました。たぶん「90歳になりました」は書けないでしょう。そこでわたくしの一生を少し数字を中心に振り返ってみます。
わたくしは兄弟姉妹のない一人子です。結婚1回、離婚1回。子供は一人(30歳でチェコのプラハで自殺)というわけで今は全くの天涯孤独。
病気に侵されていなかったのは15年間だけ。肋膜炎(小学1年生)、腎不全(小学2年)、18歳でリュウマチ発症現在に至る、その後盲腸炎(摘出)、胆嚢炎(摘出)、喘息、扁桃腺炎(摘出)ポリープ摘出、前立腺がん(薬服用)、脊椎管狭窄症(手術)、大腸がん(手術)、現在リュウマチ(食事に箸使用不能スプーン使用、PCのマウス使用不能)高血圧、肺がん(疑い、精密検査拒否)。計12の病気。
 職場3回(うち2回労働組合結成、そのうち1回はそのため解雇)
住居変更15回。
海外旅行 53回、訪問国103ヶ国
ブログ開始 2005年10月15日
現在の最大の労働 食事の材料購入(自転車怖い)調理、ブログの更新、日本棋院ネット碁の対戦(3年ほど前は4段~5段、現在は3段)散歩30分。読書時間は最近極度に減少(1時間未満)
 音楽は音痴、しかしクラシックはよく聞く、一番はドボルザークの「新世界より」二番はベートーベンの「九番」。その他、モーツアルト、ショスタコーヴィチ、ブラームスなど。最近では美空ひばりをPCから。PCにはスピーカ付き。
TVはフィクション物は見ない。ドラマ、紅白歌合戦[山田1]は見たこともない。最近のお笑い芸人は大嫌い。ただし落語は大好き。CD、DVDをかなり所有、桂枝雀「地獄八景亡者戯」が一番(師匠の米朝の話とはだいぶ違う。最後の落ちが最高)最近よく見るようになったTV番組「Youは何しに日本へ」
晩酌 週に4回ワイン(1回半瓶)週3回日本酒(一回400㏄)いずれも最低価格商品。
 わたくしの最大の望み、ただし100%不可能、それは人類滅亡の時を見届けること。
私の一生の幸福度 客観的には全くのマイナス、主観的にはプラス。



「忘れられない」編 現地ガイド20 モルドヴァ

2023年07月24日 07時54分18秒 | 忘れられない

 モルドヴァについては今回の旅行前まではワインが有名だということしか知りませんでした。1991年までソ連邦の一員であったことぐらい少しは知っていましたが恥ずかしながら隣国のルーマニアと言語もほとんど同じの同一民族の国であることは知りませんでした。したがって。両国の統一問題が常に政治問題になっているようです。
 そこで、現地ガイド(写真)にあなたはルーマニアとの合併を望みますかと尋ねてみました。彼女は長々とその間の事情を説明してくれているようですが、私にはほとんど理解不能です。そこでもう一度あなた自身は統合に賛成ですか、反対ですかと尋ねました、彼女の答えはガイドとしてはその質問には答えることができないという返事でした。政治的に微妙な問題のようです。

「忘れられない」編 現地ガイド19 ベラルーシ2

2023年07月21日 07時53分14秒 | 忘れられない

 写真はベラルーシのブレストのガイド、ニーナさんです。彼女の日常会話はやはりロシア語だそうですが、両親はベラルーシ語だったそうです。彼女にあなたの母語はと尋ねた場合「ベラルーシ語」と答えたような気がします。ロシアとの統合は反対であるとの返事でした。そして若者は反対の傾向が強いと付け加えてくれました。

「忘れられない」編 現地ガイド18 ベラルーシ1

2023年07月18日 07時56分52秒 | 忘れられない

 ロシアのウクライナ侵攻でベラルーシの去就が注目されています。わたくしがベラルーを訪れたのは2012年でしたが、その時の2人の現地ガイドの話に問題のヒントがあるようです。まずは ベラルーシの首都ミンクスのガイドはベロニカさんから。(写真)。
あなたは家庭では何語で話しますかと尋ねました。もちろんロシア語で、98%の人がロシア語を話すという返答でした。この場合98%の人がロシア語を解するという意味か、98%の人の日常言語がロシア語であるという意味なのかはわかりませんでしたが、彼女のニュアンスでは後者の意味のようでした。
 服部倫卓氏は「不思議の国ベラルーシ ナショナリズムから遠く離れて」で次のように書かれています。
 「ベラルーシでは、ロシア語かベラルーシ語かという二者択一の枠に収まりきれない面がある。その最たる例は、『トラシャンカ』と呼ばれるロシア語とベラルーシ語のチャンポン言葉が蔓延していることである。つまり、ロシア語を話そうとしているのにベラルーシ語の単語や発音が混じってしまったり、ロシア語の影響を強く受けたベラルーシ語をしゃべったと言ったことが起きる」(p137)。
 また2009年の国勢調査によれば母語をベラルーシ語と答えた人が53%、ロシア語と答えた人が41%です。ちなみに、民族構成ではベラルーシ人が84%、ロシア人が8%となっています。(「ウクライナ・ベラルーシ・モルドバ経済図説」p19)何がなんだかよくわかりませんね。
 次に質問したのは「ロシアとの統合を望みますか」でした。その質問はあまり意味がなく現実はすでに統合されていると同じであり私の夫もロシア人ですと言うのが彼女の答えでした。(この場合のロシア人はベラルーシ国籍を持つロシア人か、ロシア国籍のロシア人かはよくわからない。多分彼女にとってそんなことはあまり意味のないことかも)
 服部氏は「ベラルーシ民族・国民としての独自のアイデンティティが充分に確立されていないことをうかがわせるデータは枚挙にいとまがない」(p165)と述べられています。


「忘れられない」編 現地ガイド17 レバノン

2023年07月15日 07時54分57秒 | 忘れられない

 レバノンの現地ガイドは女性のエリッサさんでした。(写真=背景はキリスト教徒が住むカディシャ峡谷)ヒジャブをつけていませんね。同行の方の一人が非イスラームの客に遠慮してつけていないのだろう話されました。違いました。彼女はイスラーム教徒ではなくマロン派のキリスト教徒でした。(注1)外貌は全くヨーロッパ人でした。目もブルーで、髪の毛はブロンドと黒のまだらでしたが、子供のときは完全にブロンドだったそうです。毎日曜日ではないが教会に時々行くそうです。フェニキア人(注2)の末裔かとの質問にフェニキア人の遺伝子を持っていると答えてくれました。十字軍の遺伝子もあるのではないか、という質問をすべきであったと今になっては思っています。
 カルロス・ゴーン日産自動車社長(2006年当時、ブラジル、フランス、レバノンの国籍を持つ)の父親がレバノン人であることも知っていました。
 彼女にもローレンスを尊敬していますかという同じ質問をしてみました。ヨルダン、シリアのムスリムガイドとは違って、積極的な感じはありませんでしたが、イエスの返事でした。サラディーンに関しても勿論肯定的でしたがあまり関心があるようには感じませんでした。
 同行の1人がレバノン内戦について質問しましたが彼女は答えませんでした。彼女が心に深い痛みを抱いていると私は推測しました。
 (注1) 典礼はギリシャ正教会と同じで、ローマカトリック教会に属し全人口 の21%を占めます。その他キリスト教徒には、ギリシャ正教会、ローマカトリック教会、アルメニア教会、プロテスタント教会などに属する人たちがいて全人口の14%を占めます。したがって全キリスト教徒は35%ということになり、その他はスンニ派、シーア派、ドルーズ派のイスラム教徒になります。ただしこれらの数字は政治的、宗教的対立の問題があり1932年以来国勢調査が行われていないため不正確です。ここに記した数字は“lonely planet “ の”Lebanon” によっています。
(注2)フェニキア人は、紀元前15世紀頃から紀元前8世紀頃にティルス、シドン、ビュブロス(現在のレバノン)などの都市国家を形成して海上交易に活躍し、のちにはカルタゴなどの海外植民地を建設して地中海沿岸の広い地域に広がった。フェニキア人は系統的には様々な民族と混交していたが、アフロ・アジア語族セム語派に属するフェニキア語を話し、言語的に見ればカナン人の系統にある民族である。彼らがフェニキア語を書き表すために発明したフェニキア文字は、ギリシャ文字・アラム文字・アラビア文字・ヘブライ文字など、ヨーロッパ(英語などのアルファベット)・西アジアの多くの言語で用いられる文字の起源となりました。
 

「忘れられない」編 現地ガイド16 シリア

2023年07月12日 07時54分09秒 | 忘れられない

 シリアの現地ガイドはニダールさんでした。(写真)ヨルダンのジャミールさんとは違って肌色は白人と同じで白色でした。写真は少し黒く写っていますが白人特有の赤色の日焼けです。
 肌の色といえば、ペトラ遺跡の売店で働くかなり肌の色の黒い人にヨルダン人ですかと尋ねると、そうだと答えた後、エジプト人ではないと付け加えました。
 元に戻り、ムスリムですか、との質問にニダールさんは、ハーフ(半分)と答えてくれました。その意味するところは二つあったようです。ひとつは仕事の関係もあってきちんとしたお祈りなどができないことでした。そして”moderate” なムスリムだということでした。彼が本当に言いたかったのは”moderate” (穏健な)というコトバに象徴されることだったようです。彼の説明に”moderate” という言葉が盛んに出てきました。イスラームを皆さんはすべて過激派と考えているようだが、そうではなく大多数は”moderate” なんだということをハーフというコトバで説明したのだと私は理解しました。
 彼は出来るだけ客観的にものを考えようとしているように感じました。パルミラの最後の女王ゼノビアの末路について彼は私の質問に答えて、アラブではこう考え、ヨーロッパではこう考えられているという説明をしてくれました。(注)
 彼にもローレンスついて尋ねました。他の外国の観光客がいたためか、声を潜めて私の耳元でスパイ、” faker “(詐欺師)とささやいてくれました。サラディーンについても勿論尊敬の返事でしたが、同時に彼よりもfavourite(好きな)な人物がアサド大統領と言ったのには少し驚きました。大統領は自転車で買い物に出かけるような気さくな人物だと話してくれました。
  (注) パルミラはシルクロードの要地として特にBC2世紀からAD3世紀にかけて繁栄しましたが、クレオパトラの末裔と称した女王ゼノビアは属領でありながらローマ帝国に反旗を翻しAD272年ついに滅ぼされます。その後パルミラは廃墟と化し現在巨大な遺跡として繁栄の跡がしのばれるだけです。敗れたゼノビアは捕虜になりましたがローマに送られる途中で毒を飲み死んだという説(アラブ側説)とローマにまで連れて行かれ余生を平穏に過ごしたという説(ヨーロッパ側説)があります。塩野七生氏は「ローマ人物語ⅩⅡ」で「ヨーロッパ側説」よって説明していますが、牟田口義郎氏は「物語 中東の歴史」で両方の説(アラブ側説については断食餓死説)を紹介しています。
なお、18世紀のイギリスの歴史家ギボンはその著「ローマ帝国衰亡史」で「ゼノビアは黒い肌、真珠のような白い歯を持ち、大きな黒い瞳は火のように輝いており、その男性的な知性は学習によっていっそう強化されていた」(lonely planet “Syria” p258からの孫引き)と叙述しています。


「忘れられない」編 現地ガイド15 ヨルダン

2023年07月09日 07時55分59秒 | 忘れられない

「ヨルダン、シリア、レバノン物語」(2006年4月18日~5月2日)の旅でのヨルダンの 現地ガイドジャミールさんは浅黒い肌の典型的な?中東の人でした。写真の後ろの旗はヨルダン国旗です。
 彼は豚肉を食べないし、ラマダンも行う敬虔なムスリム(イスラム教徒)でした。奥さんは1人だそうです。彼にローレンス(アラビアのローレンス)を尊敬しているかと尋ねてみました。彼はスパイでcheater(ペテン師)だとの返事でした。サラディーン(注1)について同じ質問をしてみました。勿論尊敬しているとの返事なので次の質問をしてみました。バイバルス(注2)についてはどうかと。この質問は牟田口義郎の「バイバルスはサラディーン**より今でも庶民の間で人気があり」(物語 中東の歴史 p221)を確認したかったからです。ところが期待したような強い返事が無く牟田口氏の説を確認できませんでした。これはシリアのガイドの場合も同じでした。

  • 十字軍と戦い勝利したイスラム軍の将軍で後にエジプトのアユーブ朝の建設者。アメリカのブッシュ大統領がイラク侵略戦争をする時に十字軍を引き合いに出し、これに対して当時のイラクのフセイン大統領がサラディーンの名前で対抗したしたので一躍有名になりました。ところがサラディーンはフセインが抑圧したクルド人出身であったことは皮肉でした。(1138年~1193)
  • 最終的に十字軍をこの地方から追い出し、またモンゴル軍にも勝利した奴隷上がりの将軍でマムルーク朝のスルタンになりました。トルコ系遊牧民クマン人出身。(1228年頃~1277年)クマン人は現在、他民族に同化し殆ど消滅しましたが、ハンガリーの傭兵として現在のハンガリーに定住した人たちがマイノリティーとして残っています。ブタペストの北東100kmにある木造建築(世界文化遺産)で有名なホローケー村がそうです。(前年NHKのスペシャル番組「ドナウ河紀行」でここが紹介されましたが、クマン人の末裔の住む村であることに触れられなかったのは残念でした


「忘れられない」編 現地ガイド14 ダブリン

2023年07月06日 07時52分30秒 | 忘れられない

「アイルランド旅行」(2003年5月22日~7月15日)首都ダブリンでの現地ガイドはカトリック教徒の男性と結婚した日本人女性でした。残念ながら写真がありません。日本国籍を離脱するつもりはないそうです。日本国籍を離脱せずにアイルランド国籍をとるように勧められたがそれも断ったそうです。リヒテンシュタインの日本人ガイドと同じですね。やさしくて暖かい感じの人でした。共和国ではプロテスタントは少数派ですが何かお金持ちとかの特別の存在ですかと彼女に尋ねました。特別の存在ではないが、ケチだといわれることがあるとの答えでした。また彼女に結婚に際しての宗教の問題について質問しました。彼女の父親がカトリック教徒であったので歓迎されたということでした。アイルランドのカトリック教徒にとって相手がカトリック信者であるかどうかが最大の問題で人種、民族は問題ではないそうです

「忘れられない」編 現地ガイド13 ルーマニア

2023年07月03日 07時55分04秒 | 忘れられない

 ルーマニア現地ガイドは日本語ペラペラの美人コリーナさんでした。(写真はハンガリー人村の博物館での夕食時のハンガリーダンスを踊るコリーナさん)  彼女は日本の飯坂温泉のホテルの若旦那と最近結婚したそうで結婚式の写真を見せてくれました。すこし気になったのは夫側の親族(両親も含め)の姿が全然見えなかったことでした。また彼女は夫がルーマニア正教会に改宗したことを非常に喜んでいました。後日離婚したと情報がありました。