車内での昼食です。美女軍団に囲まれて「ヤニサガッテイル」わたくしの紹介ではなく、皆さんが手にしているワイングラスの紹介です。下の写真のワイングラスです。氷河特急名物「傾きワイングラス」です。わたくしはめったに土産物は買わないのですがこれは購入。
1996年8月30日~9月8日に「ヨーロッパ三大名峰とアルプスハイキングを楽しむ旅」というツアーに参加しました。
サンモリッツからツェルマットまで世界的に有名な観光山岳列車、氷河特急を楽しみました。スイスを代表する山岳リゾートを結ぶ291キロメートルの区間を約8時間かけて結ぶ特別列車です。最高地点2033mのオーバーアルプ峠を越え、7つの谷、291の橋、91のトンネルを抜けて走ります。平均時速は約34kmになるため、「世界一遅い急行(特急)」とも言われています。2010年7月23日に事故があり日本人観光客が死亡しました。
最近アメリカで黒人男性が白人警察官によって殺害されたことを契機に”black lives matter”のプラカードに象徴される差別の根絶を目指しての運動が世界的に広がりを見せています。その運動の一つの形態として人種差別者とみなされている人物の像などの撤去運動があります。(もちろん以前からこの運動はあります)2017年にアメリカ合州国を旅行した時にその対象者の一人南北戦争(アメリカ語ではThe civil war)時の南軍司令官リー将軍のレリーフに出会いました。それについて2017年9月20日に紹介していますが今回少し修正追加をして以下再録します。
それはアトランタ州にあるストーンマウンテンに刻まれていました。ストーンマウンテンは面積236ヘクタール(東京ドームの約180倍)標高519m周辺からの高さ251mの世界最大の花崗岩です。
近寄ってみると南北戦争時の南部同盟(英語名 Confederate States of America)の英雄たちのレリーフが見えました。左からこの南部同盟の唯一の大統領ジェファーソン・デイビス、ロバート・E・リー総軍、トーマス・ジャクソ将軍のレリーフでした。リー将軍は南軍の総司令官で北軍を大いに苦しめた名将として知られています。
今回のアメリカ旅行帰国後シャーロッツビルでリー将軍の像の撤去問題をめぐって事件が起きました。この事件で私は南北戦争はアメリカでは過去の歴史ではなく現代の問題でしかも非常にセンシティブの事柄であるということを、いまさらながら知ることになりました。
このレリーフ工事は1923年に始まり途中中断があり1964年に完成します。この土地の最初の所有者が白人至上主義者のグループでもっとも過激な“K・K・K”のメンバーであったことからもこの工事に”K・K・K”が深く関与していたことは明らかです。
そして現在撤去運動があります。
このパークの公式のリーフレットにはこのレリーフについての記載が全くありません。この写真のようなものもありません。その理由はすでにパーク当局がこのレリーフ除去をジョージア州に提案し拒否されていたことにあるのかもしれません。ただし、この地は南軍の拠点でもあって南北戦争の経過など公園内の敷地の掲示板に記載されていました。その掲示板の説明は私の語学力では正確ではないかもしれませんが、ただ戦闘経緯だけが書かれていたように思います。1213頁の大冊Lonely planet ”USA”には「ストーンマウンテン・パーク」の記述すらありません。日本のガイドブック「地球の歩き方」は730頁ですがちゃんと記載があります。ウィキペディア日本語版にはレリーフの紹介はありますが撤去運動につては触れていません。英語版は設置のいきさつ、現在の撤去運動についてかなり詳しく触れています。
1963年公民権運動の指導者キング牧師がかの有名な"I Have a Dream"の演説で"let freedom ring from Stone Mountain“とストーンマウンテンに触れていることから彼の像をここに作るという計画もあります。(わたくしはこの案に賛成です)
ちょっと横道にされますが、ここでの現地ガイドが日本人で少し変わったガイドをしたので紹介します。現地の日本人ガイドがわれわれに配ったリーフレット(アクセスジャパン作成)の一部を紹介します。南部大統領ジェファーソンの遺言が記載されています。
「先の戦争に負けたからといって、南部が間違っているとか、悪かったとは思ってはなりません。なぜならば、我々の大義は正しかったからです」
もう一枚には。
「先の大戦はアメリカの公民権運動までこじ開けた」「日本は白人支配からアジアを開放した」と書かれていました。
なおこの日本人ガイドは特定の主義主張を広めるためのボランティア団体のメンバーか、と思い念のため帰国後旅行会社に問い合わせたところ、普通の商取引の契約とのことでした。
ミラノの観光で予定されていた観光は終了しましたが、帰国準備まで半日自由時間があったので世界的に有名な避暑地であるコモ湖に出かけました。遊覧船で楽しみました。避暑以外で有名なのがムッソリーニが1945年にここで処刑されましたことです。
スカーラ広場にレオナルドダヴィンチ像がありました。彼は1482年ころから約20年間宮廷付きの技術者としてこの地で活躍しました。
彼の世界的に有名な「最後の晩餐」をこの地のサンタ・マリーア・デッレ・グラツィエ聖堂の食堂で鑑賞しました。当時(1996年)は修復中(1977~1999)でもあり撮影禁止でした。わたくしは全く美学音痴ですが当時のわたくしのメモには「写真ではあまり遠近法なるものがよく分からなかったが実物を見るとよくその立体感がわかった」とありました。
ここでびっくり事件。フラッシュ撮影をした同行の人がいました。24年たった今も忘れられない大事件でした。
現在は撮影許可のようですが、ノーフラッシュでしょう。
ヴェローナの次の訪問地はミラノでした。ミラノはAd3世紀に西ローマ帝国の首都になりAD313年コンスタンチヌス大帝が「ミラノの勅令」を発しキリスト教を公認したことで歴史的に有名な地です。
写真はスフォルツァ城です。1364年に建てられた居城で1450年スフォルツア家によって再建され、現在は博物館です。内部は撮影禁止で写真はありませんが、当時のわたくしのメモには「ダ・ヴィンチの鏡字ミケランジェロの未完のピエタ」書かれていました。