この広場には古代ローマ帝国カリグラ帝(在位37~41)がエジプトから強奪したものを16世紀にカトリック教会が手に入れたオベリスク(高さ25,37m)がありました。オベリスクは古代エジプト時代に作られた記念碑の一種ですが古代ローマ帝国によりその多くが強奪され世界各地に拡散されました。トルコのイスタンブールにもありましたが、その時の現地ガイドのハーカンにエジプトが返してくれといっているよと、いったところ絶対に返さないと、いきまいていたことを思い出しました。(2006年2月27日紹介)
サンピエトロ寺院を出ると広場があります。その出口にはこのようなスイス人の傭兵が警備をしています。この服装のデザインはミケランジェロという説があるそうです。人員は12月24日に紹介したように約110人です。傭兵は世界で2番目に古い職業だそうです。1番目は売春だそうです。(「傭兵の2千年史」p14)その中でスイスの傭兵は古くから優秀として知られてきました。歴史に残るものとしてはフランス革命の際フランス王家をため1792年殉死したしたのが有名です。現在もスイスのルツェルンにライオン記念碑としてそのモニュメントがあります。(2006年8月23日に紹介)スイスは国策として傭兵は重要な輸出産業でしたが1874年輸出禁止、1927年自国民の外国軍への参加を禁止しました。しかしヴァチカン市国へは例外といて認めています。
ヴァチカンのスイス衛兵になるには、19~30歳の独身で道徳的なカトリック信者であることと、身長が174センチ以上などの多数の条件が必要です。(郷富佐子著「バチカン」p88)
はっきり記憶していませんが、このあたりに教皇選出のコンクラーベの部屋があります。コンクラーベは「根比べ」ではなくラテン語で「鍵がかけられた」という意味のようです。13世紀に教皇がなかなか選出されなくて選挙人の司教を閉じ込めて選ばせたということから始まりました。それでもなかなか選出されないときは差し入れの食事の質を落としていったというエピソードがあります。現在はマスコミとの接触厳禁という条件で外出は認められているそうです。
博物館は宝物の宝庫です。しかし美痴の私には豚に真珠です。しかし気になることもあります。20数年前にここを訪れたときから気になっていることがありました。それはここのたくさんの全ての男子彫刻像のペニスにキャップが付けられていることです。それは明らかに後からつけられているものです。変なことを書いてごめんなさい。
サンマリノをバスで出国してイタリアに入りボローニャから高速列車でローマに到着しヴァチカン市国観光に向かいました。ヴァチカン市国は面積が東京ドームより小さく世界最小の国です。ただし約12億のカトリック教徒の総本山でいろんな意味で世界に強い影響力を持っています。人口は約800名で市民権保有者は約550人でそのうちスイス人衛兵(後日紹介予定)約110人で全てが2重国籍保有者です。
なお国際法上の国家として認められたのは1929年ファッシスト政権ムッソリーニとの間に結ばれたラテラノ条約からで、それによりムッソリーニ独裁体制がより強固になったというのが私にはちょっと興味があるのですが。
さて観光は博物館から始まりました。入り口ですがこのようにものすごい込みようです。