わたくしはなぜか世界に散らばるユダヤ人の痕跡(ディアスポラ)に興味があり旅行の度に探して回る癖があります。パックツアーにはめったにそういうところにはいかないので自力での探索になります。そこで時には添乗員とトラブルになったこともあり、添乗員のアドバイスで行くことができたこともあります。現地のポン引きガイドにお前は”Japanese Jew?”と言われたこともありました。
というわけで専門家は別としてわたくしほど世界に散らばるユダヤ人の跡を紹介して者はいないと自負しています。このブログでユダヤ人、シナゴーグを検索してみてください(右上にある検索欄)(カテゴリのユダヤ人はすべてをカバーしていません)世界各地のユダ人跡がたくさん出てきますよ。わたくしのこのブログでの自慢の一つです。
さて今回のアルジェリアにはかなりのユダヤ人が居住していたようです。そこで今回もその跡を訪ねたいと思い事前に旅行社に問い合わせしました。しかしダメでした。現地でガイドに聞いても何も答えてくれませんでした。知らないのかと当初は思いましたが、今になって別の理由があるのではと思います。それについてはこの後。
ここムサブの谷にもかなりの数のユダヤ人がイスラーム教徒ムザブ人と共存していたことは事前に知ってはいましたが、その跡を知ることはできないとあきらめていました。ところが突如伊藤さんがここムザブで「ここは旧ユダヤ人住居跡です」と説明がありました。たぶん私を意識しての説明だったように思います。それは後日の伊藤さんのメモ用紙には記載ないので。
というわけでアルジェリアではここが(写真)唯一出会ったユダヤ人跡でした。
ところでアルジェリアでのユダヤ人の社会的地位は少し他地域とは違っていました。フランス植民地時代アルジェリアでは原住民のイスラーム教徒は参政権を持たない下級市民でしたが、ユダヤ人はフランスの完全な市民権がありました。そこでアルジェリアが独立すると多くのユダヤ人はフランス国民としてフラン本土に行きました。そこで現地ガイドがユダヤ人についての質問に答えなかったのは、知らなかったのではなく、ユダヤ人への微妙な感情がそうさしたのではないかと私は思います。