宿泊はマハラジャのラルガル宮殿ホテルでした。現在もマハラジャ一家はこの宮殿に住んでいて空き部屋がホテルというわけです。マハラジャは本来はヒンディー語で偉大な王という意味でしたが次第に日本でいう戦国大名の名称になりイギリス時代は3分の1の地域がこのマハラジャからの間接支配地になりました。当時マハラジャは600以上いました。3分2はイギリスの直接支配です。イギリス帝国の典型的な間接支配体制です。したがってマハラジャはイギリスからは可愛がられ(?)マハラジャ自身もイギリス国民のような気分になっていました。このビカネールのマハラジャもそうでした。
「1887年から1943年まで統治していたここビカネールのマハラジャ・ガンガ・シン将軍は、ラージャスターン州の王子の中で最もよく知られており、インドの英国総督のお気に入りでした。第一次世界大戦中の帝国会議でインド代表、ベルサイユ平和会議で大英帝国を代表する帝国戦争内閣のメンバーを務めました。」(ウィキペディア英語版)
横道ついでに。ガンディーも最初はそうでした。イギリス留学を終えてアフリカに行ったとき差別を受け、始めてインド人意識に覚醒して、そこからインド独立を考え始めます。
もうひとつ横道。このガンディーのインド人意識の覚醒の時、南アフリカ原住民への差別についてガンディーはどう考えていたのかが、わたくしの長年の疑問でした。1999年に大阪外国語大学助教授秋田茂氏の論文「植民地エリートの帝国意識とその克服」(「大英帝国と帝国意識」の内の論文)に関連して秋田氏に質問をしました。以下氏の回答文の一部
「***ガンディーの関心は、もっぱら在住インド系住民の権利擁護に向けられており、現地人については、意識的に無関心を装っていた。あるいは、関心を振り向けるだけの余裕はとてもなかった、というのが実情ではないでしょうか。私も今回の論文では、ご指摘の点は少し意識しておりましたが、十分にフォローできませんでした」
アンダーラインの部分について(私)実証性がないのでわたくしの長年の疑問はいまだに疑問のままです。