前項で以前から栄えた貿易中継港だと紹介しましたが、この写真を見てください。私たちはこの島を回るクルージングをしました。靴を脱いでズボンをたくしあげて海の中を歩いてこの小さな船に乗り込みました。船が小さく、しかも1艘しかいなくて午前と午後の2組に分かれてのクルージングでした。どうも港もないようで古の貿易が盛んなころの面影や 今いずこ、でした。
モザンビーク島はアフリカ大陸から3km離れたほぼ南北に長い、長さ3km、幅200m~500m、人口1万5000人の小さな島です。
この島を世界史的に有名にしているのは1498年ヴァスコ・ダ・ガマが喜望峰を通ってこの島に到着し、オマーン人の水先案内人を雇いインドに到着したことです。(2009年8月18日~20日に紹介)その後ポルトガルはこの島を支配しポルトガル領東アフリカの首都を置きました。現在の国名モザンビークはこの島の名前に由来します。ポルトガルの影響は深くモザンビークのただひとつの公用語はポルトガル語です。(2010年1月12日)
写真はヴァスコ・ダ・ガマです。なおこの写真は以前紹介したグイリゼ村の踊りと同じく西遊旅行社のパンフレットとホームページに使用されています。(2010年1月28日)
教会の内部をのぞかせてもらいました。私は今までバプテイスト派の教会をのぞいた経験がないのでよくわかりませんが、なんだかキリスト教の教会のようでなく現地の伝統的な宗教の色彩が色濃くあるような感じがしました。
付録
22日の朝日新聞の”GLOBE”にケニア・ナッツの社長佐藤芳之さんの 記事がありましたが2009年12月19日のブログでも紹介しています。
リチンガはただ宿泊だけでしたが、あさの散歩で見かけたところを以下3枚。
広場に飛行機の残骸がありました。何の表示もないので故事来歴はわかりません。後尾についているマークで国籍がわかるのでしょうが。ご存知の方がいらっしゃいましたら教えください。モザンビーク独立戦争のときのものではないのかな、と妄想をしました。