100倍楽しむ海外旅行  時々国内旅行

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歳(終末期後期高齢者)のジジイの53

回の旅行103ヶ国を100倍楽しんだ話 付録で時々エンディングノート

「カンボジア」編 メコン河の漁民、独立記念塔

2021年07月29日 07時53分06秒 | カンボジア

 プノンペンの早朝メコン河畔を散歩しました。早朝から漁民たち漁をしていました。写真左下はメコン河上にある漁民の家屋です。写真左中にも見えますね。
 写真右は1953年11月9日にフランスからの独立を記念して1958年に建造された独立記念塔です。

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「カンボジア」編 トゥースレン虐殺犯罪記念館 付エンディングノート

2021年07月26日 07時53分48秒 | カンボジア

  カンボジアのプノンペンではポル・ポト政権が作ったトゥースレン虐殺犯罪記念館(元刑務所)を訪れました。そこでの写真です。ここに約2万人が収容され6人だけが生還しました。虐殺された人の写真です(写真上中)
写真下は何だと思いますか。虐殺された人たちの頭蓋骨で形作られたカンボジアの地図です。あまりにも残酷なので2004年に撤去されました。
 1975年に成立したポル・ポト政権は1979年までの4年間に200万~300万人(国民の約三分の一)の自国民を虐殺しました。特にインテリ層が対象になりました。メガネをかけているだけでインテリとみなされ処刑されました。いままでナチスのユダヤ人虐殺、トルコによるアルメニア人虐殺を紹介してきましたが、カンボジアでは自国民虐殺です。アフリカのルアンダ、ダンフールの虐殺も他民族です。その点カンボジアの例はきわめて特異であると思います。

余談話(エンディングノート) 昨日87歳になりました。最近までは鹿児島市から88歳米寿の祝い金2万円をいただきそれでちょっと高級なワインと思っていましたが、どうもそれは無理なようです。わたくしはラディカルな無神論者ですが、死期間近になると神、仏を信じている人をうらやましくなります。彼らには「あの世」があるのですから。尊敬する加藤周一が死の直前カトリックに入信したことを思い出す今日この頃です。このブログは何時迄? 
若い時は神や仏を信ずる人をある意味で馬鹿にしていました。その後、人類の歴史を知るうちに宗教が重要な役割を果たしてきたことを知るようになりました。その後人間が宗教を発明しなかったら、戦争は少なく平和が続いていたように思うようになりました。人類史上飢餓や貧困での人殺しより宗教上での人殺しの方が多数であったように思います。わたくしは狂言の演目「宗論」が大好きです。
日本棋院のネットで毎日囲碁を楽しんでいます。数年前までは5段〰4段で打っていましたが、最近では4段〰3段、時には2段まで落ち込むことがあります。終焉ですね。
神や仏を信ずる人は幸せだ!
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「カンボジア」編 プノンペン

2021年07月23日 07時54分56秒 | カンボジア

ホーチミンから空路でカンボジアの首都、プノンペンに到着しました。当日のドリアン事件につては前回紹介しました。ホーチミンに比べて街頭風景は少し閑散としていますね。(写真上) きょろきょろとしていると祠のようなに出会いました(写真中)漢字表記ですね。
写真下は当時まだ存命中であったシアヌーク殿下の王宮です。
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「カンボジア」編 ドリアン事件

2021年07月20日 07時35分30秒 | カンボジア

2010年8月8日の修正、再録、
強烈な悪臭でしかし美味で有名なドリアンには子供の時からの思い入れがありました。当時日本は太平洋戦争真っただ中で時流に乗った南方冒険物語の児童書に胸をとどろかして読んでいました。南田洋一郎という著者がいまだに記憶にあります。お話の内容を今はすっかり忘れていますが、南方にはドリアンという果物の王様があるということだけは今日至るまで覚えています。
その憧れのドリアンに出会ったのは2001年カンボジア旅行の時でした。プノンペンの市場でドリアンを見つけ買い求めていてグループから逸れ添乗員からひどく叱られました。3ドルでした。この国の物価水準からいってかなり高価だったように思います。
昼食時にみんなと一緒に食べようとしたところまたも添乗員の「なんていうことを」と、しかられました。そこでやむなく宿泊のホテルに持ち込みました(本当はこれもいけないことでした)。夕食後皆さんを誘って私の部屋に集まって食べることにしました。こちら方面にたびたび旅行された方もいらっしゃいましたが、食べるのは初めてという方もいてかなりの人が私の部屋に集まりました。美味でした。匂いは思ったよりなくて少し拍子抜けの感じでした。その後幸せの気分でベッドに入りました。ところが夜中強烈な匂いで起こされました。ドリアンの残骸が発酵して強烈な匂いを発したのでした。その後、何日かは悪臭のためこの部屋の利用ができなかったでしょう。ごめんなさい。写真(上)はこのホテルで食べたドリアンです。この周りにある果物の名前はすっかり忘れました。
その後、2014年のマレーシア旅行の時キャメロン・ハイランドの屋台マーケットでドリアンを見つけました。ぜひ食べたいと思っていると、そこでドリアンを買い食べていた現地のマレーシア人夫妻が自分たちが購入して食べていたドリアンを食べなさいと勧めてくれました。感激して遠慮なく頂きました。写真下は旦那さんの撮影拒否で奥さんだけ。なお、この時も悪臭は全然ありませんでした。
以下「インドネシアを知るための50章」(p96~96)から
「インドネシアには、ドリアンを食べるために生きているという人が少なくない」
 「『ドリアンが落ちるとサロン(インドネシアの腰巻)が上がる』といわれているほど強精作用あることも周知の事実である」
 この「落ちる→上がる」はその時の旅行中に確認したしましたが、誰でも知っている話のようでした。

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「ヴェトナム」編 フエ 宮廷料理

2021年07月17日 07時52分10秒 | ヴェトナム

 ハノイからダナン→ホイアン→フエ→再びホーチミンとヴェトナムを南下しましたが、その間カメラ故障のため写真が1枚もありません。しかし同行の方からフエでの宮廷料理の写真を送っていただきました。
 フエはヴェトナム最後の王朝があったところでその面影が色濃く残っている古都です。そこでの夕食は民族音楽と王朝貴族の服装、宮廷料理を楽しみました。下の写真は王と王妃? 残念ながら料理の写真はありませんでした。
 次回からは「カンボジア」
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「ヴェトナム」編 ハノイ4 水中人形劇

2021年07月14日 07時51分44秒 | ヴェトナム
 
ハノイ最後の夜は「水中人形劇」で楽しみました。「ベトナムに来たらコレを見ないと始まらない!」は「地球の歩き方 ベトナム」(p87)の紹介フレーズです。「この水上人形劇は千年もの昔から伝わるもので、 もともとは農民たちが、収穫の祭りの時などに屋外の水辺を使って演じていた。11~15cの頃には宮廷にまで広がった」(「地球の歩き ベトナム」p87)
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「ヴェトナム」編ハノイ3

2021年07月11日 07時52分27秒 | ヴェトナム

「写真上」はハノイ郊外の農村風景です。わたくしの子供時代の農村風景と全く同じです。郷愁にかられました。でも寒かったですね。「ルチエム」という冷害に強い品種によって年に2、3回の収穫が可能になったそうです。
陶器の村を訪ねました。(写真中)左に見えるのは、燃料用の牛糞ですね。
(写真下)孔子を祀るために1070年に建立された廟を訪れました。1076年にはヴェトナム最古の大学が開設されました。壁には漢字が書かれていて我々日本人には少し理解できるがヴェトナム人にはさっぱり。ヴェトナムと中国とは古くから関係があるのですがその関係には古くから今に至るまで微妙であったようですね。
追記(7月18日)
「李朝(1009~1225)は、基本的には仏教王朝だったが、大乗仏教以外のベトナム土着の『神々』も王権の神聖化に活用された。1072年に孔子を祀る文廟が建設されているが、これも利用できる宗教は何でも活用する政策の体現だった」(東南アジア史10講 p22)
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「ヴェトナム」編 ハノイ2 ハロン湾クルーズ

2021年07月08日 07時52分10秒 | ヴェトナム

 ハロン湾クルージングを楽しみました。1500㎞2 の湾内に3000以上の奇岩、島々があります。島々の成りたちにはいくつかの伝説があるようですが、ここでは添乗員のメモにあるものを紹介します。「昔々、侵略者がこのあたりのヴェトナム人を攻めた。山の上に住んでいた竜はとても怒り、尾で山を割り、足跡は谷となった。海まで竜は逃げる侵略者を追いかけたので、陸に海水が流れ込み、谷は滝となり残った山は島となった」
 ちょっと見にくいですがこのような鍾乳洞(写真左下)は59あるそうです。
 昼食は船上でエビ、カニのシーフードをいただきました(写真右)
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「ヴェトナム」編 ハノイ1 寒い 

2021年07月05日 07時52分27秒 | ヴェトナム

 ホーチミン市からカンボジア、ラオス(後日紹介)を通りベトナム北部首都ハノイに入りました。ハノイは寒かったです。孫の厚着を幸せそうに微笑んで眺めているおじいちゃんと孫がいました。(写真上)いい写真でしょ。(自画自賛)ハノイの1月の最低気温は平均13度ですが、この年(2000年)はかなり寒かったようです。少し北部では雪が降ったそうです。この時期のハノイ旅行者は対策を考えておくことをお勧めします。
 ハノイでの最初の観光地はヴェトナム独立の父ホーチミン((1890~1969)の廟(写真中)でした。カメラ、ビデオは勿論イヤホンを持ち込むのも禁止、私語もダメという厳重な警備でした。
 次の観光は「一柱寺」(写真下)でした。池の上に柱を一本立ててつられています。1049年当時の王が悲母観音の夢を見て子宝を授かったことから感謝を込めて建立されました。
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「ヴェトナム」編 クチ

2021年07月02日 07時56分22秒 | ヴェトナム

 ホーチミンから北西に70㎞のクチを訪れました。クチの地下には延長250㎞ものトンネルが網の目のように張り巡らされています。これについて伊藤千尋は「観光コースでないベトナム」で「ホー・チン・ミンはベトナム戦争初期に『今はバッタと象の戦いでも、あすは象がはらわたをえぐりだされるだろう』と語った。しかし、兵士たちはバッタどころかアリのような暮らしをするようになった。****米軍のひざもとで戦った南ベトナムの解放軍兵士はアメリカという巨象を相手として戦いの中で、まさにアリになった」(p188)と紹介しています。そうですこの地下トンネルはアリになった南ベトナム解放軍の基地だったのです。
 トンネルは非常に狭く、たくさんの外国人もいましたが、彼らは中に入ろうとしません。我々日本人だけか中に入りました。太ったフランス人女性に半分になって中に入りなさいとからかってみました。ごめん。
 写真下はトンネルから顔を出した兵士です。
 ちょっと蛇足を。アメリカ軍がヴェトナムに落とした爆弾は第2次世界大戦で全世界に落とされた爆弾の量より多いそうです。(観光コースでないベトナムp26) その上に枯葉剤の被害がありました。「ベトちゃん、ドクちゃん」という結合双生児の話は有名ですね。
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