パラークラマ・バーフ1世の業績で有名なのが「パラークラマ・バーフの海」と呼ばれている灌漑用人造湖です。
mariaさんありがとうございました。私も世界遺産よりもその国の人たちの日常生活に関心があるのですが、パックツアーと語学力の貧弱という制限があるので思いはほとんどかないません。今回の乏しい収穫の一つは、子供と女性の物売りがいなかったということでした。後日そのことに関連したことを紹介予定です。今後ともよろしく。
パラークラマ・バーフ1世の業績で有名なのが「パラークラマ・バーフの海」と呼ばれている灌漑用人造湖です。
mariaさんありがとうございました。私も世界遺産よりもその国の人たちの日常生活に関心があるのですが、パックツアーと語学力の貧弱という制限があるので思いはほとんどかないません。今回の乏しい収穫の一つは、子供と女性の物売りがいなかったということでした。後日そのことに関連したことを紹介予定です。今後ともよろしく。
11世紀アヌラーダプラにあったシンハラ王朝は南インドの王朝に追われここポロンナルワに首都を移しました。
ここでの王朝で最も有名なのがパラークラマ・バーフ1世(在位1153~1186)で写真はその宮殿跡です。宮殿は幅13メートル、奥行きは31メートル、地上7階建てで1000の部屋(「旅名人スリランカ」 「地球の歩き方」では50. lonely planetでも50.ちょっと違いすぎますね)があったといわれています。現在の姿は3階です。
そこで計算してみました。総面積は13×31×7=2821平方メートル。1000部屋とすると一部屋は2.821平方メートルになります。これではあまりにも小さいですね。50部屋とすると2821÷50=56.42メートルになります。50部屋のほうが真実に近いようですね。
寺院などの入り口にムーンストーンと呼ばれている石版がおかれています。半円形をした石版に細かな彫り物が施されています。写真はこの地で最も保存状態が良いとされているクイーズ・パビリオンと呼ばれている建物の入り口にあるものです。この建物はほとんど廃墟でこのムーストーンだけが残っています。この建物を「地球の歩き方」(p263)は王妃の館と記していますが、「旅名人ブックス スリランカ」(p44)は「名前とは異なりかっては仏像を安置した堂であった」としています。
石版は半円形の曲線で5つに区切られています。1番外側が炎、2番目は象、馬、獅子、雄牛、3番目は植物、4番目は鳥、内側はハスの花です。
やはりここでも敬虔な信者が祈りをささげていました。
mariaさんいつもコメントありがとうございます。 ところで、もしmaria さんがブログをやっていらっしゃらないならば、このブログにスリランカでの話を写真とともに寄稿していただけないでしょうか。承知いただければコメント欄にmaria さんのメイルアドレスをいただければ(コメント欄には写真が入らないので。確認、直ちに消去)わたくしのメイルアドレスを連絡させていただきます。よろしくお願いします。
「付録」
「2015年3月21日『南イタリア、シチリア、マル』編 マルタ共和国20 マルサシュロック村3」で
「マルタ名物のボート舳先に描かれた一対の目です。悪天候や不良から漁師を守る魔よけです。フェニキア人から伝えられたと言われています」と紹介しましたが、最近読んだ「網野善彦対談集3」(p135)に以下のような文章がありました。
「地中海から中国にいたる海域において、航海安全の護符として船首に目を描く習俗が古くからあった」 そして、日本にはほとんど無いが、すこしあるとのこと。たとえば筑後の柳川が挙げられていました。
仏陀がインド・ブッダガヤの菩提樹の下で悟りを開いたことはあまりにも有名です。その菩提樹の分け木がここアヌラーダプラにあります。言い伝えではBC3世紀の時代にインドのアショーカ王の娘サンガーミッタが持ち込みスリランカ王デーヴァーナンピア・ティッサが植樹したとされています。本家のインド・ブッダガヤの菩提樹は幾度も枯れ現在は4代目というわけでこのスリー・マハー菩提樹がいまや本家本元というわけです。
19世紀になり保護のためこのように柵で囲まれることになりました。