100倍楽しむ海外旅行  時々国内旅行

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歳(終末期後期高齢者)のジジイの53

回の旅行103ヶ国を100倍楽しんだ話 付録で時々エンディングノート

「臨時特別パキスタン」編 わだ晶子さんからのカラーシャ「鳥葬」説の誤りについてのメール

2009年03月01日 08時49分23秒 | パキスタン

 2008年9月19日~10月7日にかけてカラーシャ族について紹介しました。そのなかでの「鳥葬」について少し疑問なこともあったので、このブログにも登場いただいた現地在住の日本人わだ晶子さんに確認のメールを出しました。ご返事がいただけてそれを2008年10月30日にこのブログに転載しました。その後、今回もう一度詳しい「鳥葬」説の間違いをご指摘いただきました。そこでその全文を転載します。ありがとうございました。なお、画像はわださんの著書で人物の右端の方がわださんです。

 お元気で海外旅行をされていらっしゃるご様子ですね。お久しぶりにメールさせていただきます。ルンブール谷に住んでいるわだ晶子です。 今一時帰国で東京にきております。こちらはインターネットの環境がよいので、メールの整理をやっているところです。それで初めて山田さんの「百倍楽しむ海外旅行」を開かせていただきました。

 2008年10月にあるカラーシャ族の鳥葬の件ですが、前にも返事しました通り、山田さんが撮られた写真は鳥葬の場ではなく、あれは昔の自然葬の墓場なのです。棺にはふたをして大きい石を置いて、犬や鳥から守るのですが、死者は正装で棺に入っていますので、外部からのアクセサリーなどを狙う泥棒がふたを開けて墓荒らしをするケースが増えたために、土葬にするようになったのです。墓場は不浄の場(かつ先祖の魂が眠る犯されてはならない場所)なので、地元の人たちは決して近づきません。そういった地元の慣習に無知な観光客やアンティークを探す泥棒たちにはカラーシャの人たちは困っているようですよ。しかし、囲いがあるわけではないし、番人がいるわけでもないので、ムスリムのツアーガイドさんたちもアトラクションという乗りでお客さんを連れていっているのは事実ですね。山田さんが撮られたあの場所のあのような写真は今までにも多くの研究者、旅行者から撮影されて、いろんなところで目にしています。世界初公開というのは大げさでは?

 ちなみにパキスタンのガイドさんは場所を案内するガイドで民族学や歴史に関しては勉強していません。特にカラーシャ族に関しては。 ということです。せっかく感動されて発表されたブログですが、申し訳ありませんが、事実と異なる情報なので鳥葬の訂正をお願いします。今後も益々のご活躍をお祈りしております。

  わだ晶子

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「パキスタン」編 カラーシャ族17

2008年10月07日 08時16分02秒 | パキスタン

 男の子の踊りは女の子のとは少し違うようでした。この踊りはカラーシャ族独特でしかも一般的に広がっているようで、ドライブの途中の休憩時間中に運転手さんたちが踊って見せてくれました。またこの地のホテルでも夜この踊りの披露がありました。

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「パキスタン」編 カラーシャ族16

2008年10月07日 08時12分29秒 | パキスタン

 広場で子供たちが歓迎の踊りを披露してくれました

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「パキスタン」編 カラーシャ族15

2008年10月05日 08時14分25秒 | パキスタン

 村には水車がありました。写真は水車で動く臼です。

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「パキスタン」編 カラーシャ族14

2008年10月05日 08時11分17秒 | パキスタン

 家の中の見学もありました。かまどです。

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「パキスタン」編 カラーシャ族13

2008年10月05日 08時08分02秒 | パキスタン

 家のつくりをご覧ください。

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「パキスタン」編 カラーシャ族 12 鳥葬4

2008年10月03日 09時02分45秒 | パキスタン

 鳥葬が行われていたところは写真の左上のところです。このように人家に近いところです。

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「パキスタン」編 カラーシャ族11 鳥葬3

2008年10月03日 08時59分30秒 | パキスタン

 写真は遺体を運ぶ担架。

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「パキスタン」編 カラーシャ族10 鳥葬2

2008年10月03日 08時56分28秒 | パキスタン

 写真で見られるように人骨を安置した棺は部外者には無秩序に放置されているとしか思われませんでした。場所は人家とあまり離れていないところでした。なおこの鳥葬は20年ほど前から行われていないそうです。中止の理由は現地ガイドのサリームさん(イスラーム教徒イスマイール派)によればイスラーム教に影響されてということでしたが、私には?

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「パキスタン」編 カラーシャ族9 鳥葬1

2008年10月03日 08時52分26秒 | パキスタン

 これは人骨です。鳥葬の後の人骨です。人骨そのものについてびっくりしたのは当然ですが、和田さんの著書、ホームページなどでカラーシャ族について事前に調べていたのですが、鳥葬については全く触れられていないのでビックリが2倍になりました。帰国していろいろ調べたのですが、やはりカラーシャ族の鳥葬に触れられている文献に出会うことができませんでした。たとえば、ウィキペディアの英語版はかなり詳しく(A412ページ)カラーシャについての記載があるのですが、鳥葬についてはぜんぜん触れられていません。ただゾロアスター教の影響という文言はありました。というわけで9月27日に世界初公開の写真といったのはこの写真のことです。

 イランでのゾロアスター教の鳥葬については6月18日に少し紹介していますが、世界的にはその他チベット仏教が有名です。このカラーシャ族の居住地は地理的に両者に近いのですが、どちらの影響か、それともカラーシャ族独自のものかは私には分かりません。

 附録 犬葬について 

 犬葬については6月18日に少し触れましたが、その後SKYさんからのコメントもありましたが、そこで述べましたように他に証明するようなものはないかと探していたところ、見つかりました。そこでそれを紹介しておきます。吉田豊氏と景山悦子氏の月刊誌「しにか」(2002年9月号)記載の論文「ソグド人―典籍を補う最新の出土資料から」(p48~49)と吉田豊氏の週刊朝日百科 シルクロード紀行13「ソグド人」(p22)です。両者を付き合わせて紹介します。

 607年にソグド(ゾロアスター教徒)を訪れた葦説が「西蕃記」という報告書を書いています。その書は次のように記しています。「サマルカンドの郊外に200戸ほどの葬儀を行う集落があった。彼らの仕事は飼っている犬に死人の肉を食べさせ、残った骨を拾い集めることだった。ゾロアスター教は死人の腐肉が神聖な火・土・水に触れることを禁じている。」ソグトでは骨を収めた陶器(オッスアリ)が多数出土している。なお、このオッスアリはこのブログの2008年7月25日に紹介しています。

訂正

 後日わだ晶子さんに問い合わせのメールを出したところ「鳥葬」説の誤りをご指摘いただきました。2008年10月30日と2009年3月1日にその内容を転載しています。

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「パキスタン」編 カラーシャ族8

2008年10月01日 08時34分53秒 | パキスタン

多目的ホール作業場」の運営についての説明掲示板です。 日本女性のグローバルな活躍には脱帽ですね。「私の夫はマサイ戦士」(新潮社)を書いた永松真紀さんのことも思い出しました。

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「パキスタン」編 カラーシャ族7

2008年10月01日 08時31分35秒 | パキスタン

 「多目的ホール兼作業場」の説明掲示板です。 治安悪化のため観光客が極度に少なくなっていることを和田さんは嘆いていました。TBS系のテレビ番組{ウルルン滞在記}が来る予定になっていたのも中止になったそうです。しかしこの地方はアフガニスタンに接しているにもかかわらず治安は安全のようでした。

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「パキスタン」編 カラーシャ族 6

2008年10月01日 08時26分19秒 | パキスタン

 ここカラーシャ族の村に20数年来かかわりを持ち、ついにここに嫁入りした日本人女性がいます。わだ晶子さんです。彼女はここで生活の改善、公衆衛生、伝統文化の保存に地道に取り組み成果を挙げています。これらについては(カラーシャ族の風俗、歴史、宗教など)彼女の著書「パキスタンに嫁に行く」(三一書房)や彼女のホームページなどに詳しく述べられているのでご覧ください。ホームページは和田晶子またはカラーシャで検索(GOOGLEがよいかな)すれば出ます。

 写真は「多目的ホール兼作業場」で説明する「わださん」です。

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「パキスタン」編 カラーシャ族5

2008年09月29日 08時37分09秒 | パキスタン

 私たちはブンブレット谷にあるホテルに泊まりました。写真はホテルの中庭です。木の実はアンズです。アンズ狩りというわけです。その他子供の時の懐かしい桑の実もありました。桑には白い実をつけるのがあるということをここで始めて知りました。白い実のほうが美味しかったです。

 写真の右上を見てください、ここが深い谷あいにあることが分かると思います。

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「パキスタン」編 カラーシャ族4

2008年09月29日 08時30分16秒 | パキスタン

 歴史的には20万人もいた彼らは周囲のイスラーム教徒から劣った人間と差別され時には奴隷狩りの対象となりこの谷あいにかろうじて残った3000人が閉じ込められるようになったと思われます。現在ではイスラーム教徒と平和な通婚も行われているようです。写真の子供たちをご覧ください。カラーシャの服装とイスラームの服装の両方の子がいます。イスラームの子が元カラーシャの子でイスラームへの改宗者かもしれませんが。

  ここで思い出したのは2007年9月20日~9月30日に紹介したマリ共和国のドゴン人です。彼らもまた独自の宗教を持ち周辺の民族から奴隷狩りの対象になりながらあの断崖絶壁に住むことを余儀なくされてきました。

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