これからパキスタンに出かけます。帰宅予定は7月13日の予定なのでブログの再開は15日ごろになる予定です。
「イラン」編はまだ残りがありますし「中国シルクロード」、「西アフリカ」、「東・南アフリカ」も完結していないのですが、帰国してしばらくは「パキスタン」を入れその後に他の「編」にしたいと思っています。 写真は旅程図です。(西遊旅行社のホームペイジからの転載)今回はちょっと怖いようなところです。このようなツアーを組む西遊旅行社もそうですが、私も含めて10名の参加者も参加者ですね。
その西遊旅行社の今回の添乗員中谷愛さん(メグミ。いい名前ですね。愛を恵む)から彼女がパキスタンのラホール大学に留学中に出会ったパキスタンでは少数派のシーア派の哀悼行事アーシューラーの写真を送っていただきました。アーシューラーとは2008年6月8日に紹介したカルバラの敗亡を悼むシーア派の行事です。この行事は参加者が一種のトランス状態になるので見学は危険でツアーは組めないそうです。彼女はシーア派の友達と同行したのでこのような貴重な写真が撮れたようです。だから彼女はパキスタンの国語ウルドゥ語がペラペラのようです。今回は怖くて楽しい旅になりそうです。また後日アーシューラーについては「イラン」編でも紹介の予定です。以下彼女の説明で4枚の写真をご覧ください。
アルメニア人は拉致されたと書きましたが、これは日本での文献(ヨーロッパ経由?)で見る限りそうであって、どうやらイランでの見方はそうでないようです。エスファーハンでのガイドで観光局の長で学者でもあるReza Shayeste氏から彼の著書を頂いきましたがこの本にはオスマン帝国で迫害されていたアルメニア人を温かく向かいいれ厚遇したと書かれていました。何はともあれ彼らはその後ヨーロッパとの交易で重要な役割を果たしたことには違いないようです。
なお、この本によれば前頁で紹介したシナゴーグはエスファーハンには17あるそうですが、ユダヤ人の現在での境遇については触れられていません。
写真はReza Shayeste 氏のサインの入った本の表紙の裏です。Dedicated と書かれていますが15ドルで購入しました。300ページのエスファーハンのガイドブックです。(英語)
イランでは多くの少数宗教がありますがそのうちの一つアルメニア教を紹介しておきます。アルメニア教というのは古い歴史を持つキリスト教の分派の一つです。アルメニア教およびアルメニア人については2005年12月17日、19日に紹介しているので参考にしてください。17世紀アッバース1世が優れた商人であり職人であるアルメニア人を拉致したことにアルメニア人のイランでの歴史が始まります。エスファハーンにあるアルメニア教会を訪れました。(写真)イスラームのモスクとは雰囲気が全く違いますね。
イランにはアケメネス朝ペルシアのキュロス大王によって紀元前538年バビロンから解放されたユダヤ人のうち現地に留まった人もいます。彼らは伝統的に商業などイランで重要な役割を果たしてきました。現在でも30のユダヤ教の教会シナゴーグがイラン全土にあるそうです。このことから歴史的に見てイランとイスラエルは友好的な関係にありました。しかし1979年のイラン革命後アンチシオニズムの感情が高まり現在ではユダヤ人をイランで見かけることは少なくなりました。
その他、現在のイラン政府によって厳しく弾圧されているシーア派の一派バーブー教などたくさんの少数派の宗教集団があります。余談ですが面白いことに現在そのバーブー教の本部はイスラエルのハイファにあります。
イラン周辺にはゾロアスター教の跡が多数あります。現在アゼルバイジャンではゾロアスター教徒は殆どいないようですが前回紹介したようにインドの財閥によってこの地の遺跡が保存されています。写真は数年前にアゼルバイジャンを訪れた時に出会ったバクー郊外にあるゾロアスター教の聖地の聖火です。天然ガスの自然発火のようです 。
イランではゾロアスター教の残滓があちらこちらにあります。この写真はアブヤーネ(後日紹介の予定)という小さな村で見かけたものです。現地ガイドも、添乗員も紹介しませんでしたが、ふと上を見ると”fire temple”(火のお寺=拝火寺=ゾロアスター寺院)の文字が見えました。小さい文字なので大きく拡大してよく見てください。
追記
前々回スーフィーについて紹介しましたが忘れていたことがあるので追記しておきます。それは「一冊の本」(2008年5月号)という朝日新聞の書評誌の釈徹宗という人の一文です。
「今日本で一番知られているイスラーム系の名前といえば、日本ハムファイターズのダルビッシュ君でしょう。ダルビッシュ(ダルウィーンュ)とは、イスラームの中でも、スーフィーという神秘主義系の系統で使われる言葉で、聖者や修行者や呪術師などを意味します」
ゾロアスター教寺院の中の聖火です。この時の説明では1520年間燃え続けているとのことでしたがlonely planet には4000年燃え続けていると書いてありました。
ゾロアスター教に関する余談話を一つ。英語で魔術のことをmagic 日本語でもマジック(手品)と言いますがこれはゾロアスター教の祭司マギから来ているそうです。(異論あり)
また、キリスト降誕の時祝福に来た東方の3博士と訳されている人たちもマギです。
写真はヤズドにあるゾロアスター教寺院です。上部にこの写真でははっきりしませんが、アフラ・マズダの像があります。なおこの寺院に限らず世界中のゾロアスター教関係の施設などはインドに居住する金持ちのゾロアスター教徒(インドではパースィーと呼ばれています。25万~18万人)の寄付で支えられています。
インドのゾロアスター教徒は金持ちで有名で、たとえばムンバイ(ボンベイ)で有名なインド門を作ったのは彼らですし、現在国営になっているエアー・インディアインド航空の創業者も彼らです。
インドのゾロアスター教徒は今も鳥葬をやっているようです。
なおインドでのゾロアスター教について楽しく知る本に妹尾河童の「河童が覗いたインド」があります。
Coloさんコメントありがとうございました。マツダランプは書き忘れていました。しかし東芝の製品とは知りませんでした。
写真はヤズドにある沈黙の塔に晒された私です。幸か不幸か残念ながら「はげ鷹」は舞い降りてきませんでした。
ゾロアスター教はアレクサンダー大王が滅ぼしたアケメネス朝(紀元前559~紀元前330)時代にはかなり普及はしていたようですが、詳しいことは良く判っていないようです。次のサーサーン朝時代(紀元後226~651)には国教になり欽定アヴェスター(ゾロアスター教の経典、現在30%が現存)が作られます。しかし、651年イスラーム勢力によりサーサーン朝は滅ぼされゾロアスター教は衰退の一途をたどります。現在イランでのゾロアスター教徒の数は3万人~10万人といわれています。ここヤズドでは総人口30万の10%にあたる3万人がいるとされています。
ゾロアスター教は紀元前7世紀に生まれたゾロアスターを始祖とし、この世界は善神アフラ・マヅダと悪神アーリマンとの戦いで最終的にはアフラ・マヅダが勝利を収めるというイランで生まれた世界最初の一神教です。火を尊ぶということから拝火教とも呼ばれることがあります。ユダヤ教、キリスト教、イスラーム教に多大な影響を与えたとされています。
日本には関係ないと思われがちですが、かの松本清張は古代日本にイラン人がゾロアスター教とともに渡来し古代遺跡ならびに日本の習俗にその痕跡が見られるという説をかなりたくさん書いています。また、東洋工業の車はマツダ車といわれており、勿論創業者の松田に関係しますが、マツダのローマ字表記を見るとMazdaになっています。これは善神アフラ・マヅダに懸けています。
ついでにもう一つニーチェの「ツァラトゥストラかく語りき」のツァラトゥストラはゾロアスターのドイツ語です。
ゾロアスター教で有名なのは「鳥葬」です。(イランでは約30年前に禁止)大地と火を汚さないため塔の上(沈黙の塔)に遺体を置き鳥に食べさせます。写真はヤズドにある鳥葬の行われる沈黙の塔です。
なおこのゾロアスター教は中央アジア一帯に広がっており、ウズベキスタンでは鳥がいないところで犬に食べさせたという話しを現地ガイドがしてくれました。専用の犬を飼育していたというのです。日本に帰ってゾロアスター教の関係の本を読んでもそのような話しを見つけることはできませんでした。今回の旅行でも。ご存知の方は教えてください。
追記
前回 assassination の語源について紹介しましたが、異説があるようなので追記をしておきます。それは陳舜臣がNHKの「シルクロード第8巻」(43)で書いています。。「日本大使館の片倉公使は****私にいろんなことをお知えられた。暗殺者assassin の語源についても、原理主義を意味するアラビア語asas の複数形から来たという説も紹介された。現代ペルシア語でも、このことばは、原則、基礎の意味に用いられている。ペルシア語の辞書を引いて気付いたことだが、ほかにasasaに大集会という意味もある」