2006年にシリア・レバノン・ヨルダンを旅しました。現在はダメですね。この地は多種多様の民族、宗教の人々が暮らし、その対立と共生の国々です。この時の旅ほど多種多様な人たちと出会った旅行はありませんでした。観光に訪れていた人たちもまた多様でした。しかし、いつもは多いアメリカ人だけは一家族に出会っただけでした。圧倒的に多かった観光客はラテン系の人々、特にこの地がフランスの委任統治領であったことからフランス人が目立ちました。
行き帰りのエミレーツ航空(アラブ首長国連邦)からして多民族構成でした。客室乗務員14名、コックピット内3名全員の国籍が違うことがあるそうです。
ちなみに、帰りの飛行機では客室乗務員はイギリス人、インド人、チェコ人、フランス人、南アフリカ人、エジプト人、フィリッピン人、シンガポール人、韓国人、日本人、コックビット内はドバイ人(アラブ首長国連邦)、カナダ人、フランス人でした。
写真は帰りの飛行機での客室乗務員で右から日本人、インド人、中国系シンガポール人です。
狭い飛行機の中で民族対立があれば飛行機は墜落ですね。狭い地球も同じですよね。
帰りの飛行機にエミレーツの客室乗務員で15日の休暇で日本に帰る人がいました。(居住地はドバイ)彼女は「日本路線に乗りたいのですが、ヨーロッパ路線ばかり」と不平を言っていました。
観光客の国籍、民族も多様でした。キプロス共和国の人に出会いました。北か南かと尋ねると、憤然とした様子で勿論「南だ!」との返事でした。
南といえば韓国の人と旅行中始めて親しく言葉を交わし握手までしました。初め韓国の人はわからず、 いつもの私の馬鹿の一つ覚えの“Where are you from?” で始まり “ Korea” (韓国)(日本では「北朝鮮」「韓国」ですが英語では"North Korea " "South Korea" です)との返事でしたが、そのあとすぐに” South Korea “と 追加したのが印象深く感じました。彼らは全員クリスチャンでダマスカスの「目からウロコ」で有名なパウロゆかりの聖アナニア教会で賛美歌を歌っていました。どうやらパウロの跡をたどる旅のようでした。
どこか忘れましたがバスク人(スペインに住む少数民族、スペインからの独立運動が盛ん)に出会いました。私の例の質問に「バスク」と答えましたが聞き取りにくかったのでもう一度尋ねると「北スペイン」と答えたのがこれまた印象深く感じましました
レバノンでイラク人にも出会いました。レバノンのベイルート近郊のジェイタ鍾乳石洞窟(今まで見た内で最も繊細で美しいー撮影禁止)で出会ったのはキリスト教徒のイラク人一家でした。イラクには平和がないので近々アメリカに移住すると話していました。もう一組のイラク人は同じ洞窟の入口付近にいた2人のムスリム、シーア派(イスラーム教徒)の青年でした。観光に来ているのかと聞くとそうだと答えてくれましたが。
ヨルダンのペトラ遺跡ではアラブ系イスラエル人に出会いました。Arabic Hebrew (アラブ系ユダヤ人)か、と確認したところイエスと答えたのですが。
前述のようにアメリカ人は殆ど見かけなかったのですが、観光中の一組の子供づれの夫婦をレバノンで見かけました。アメリカのシアトルということなのでイチローを知っているかと尋ねるとにっこり笑ってバットを振るしぐさをしました。城島についてはいまいちの反応でした。
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