村の由来が書かれていました。ウィキペディア(英語版)の説明を加えてちょっと紹介しておきます。元々は1098年に出来た村であったのがフランスとスペインの領土争いで要塞化していきました。この写真の説明ではフランスとスペインのpolitical chess game とソフトに書かれていますが、支配地をめぐる両者の戦争の戦略的位置にあったのですね。そのためmilitary hospitalであったという表示の建物がありました。そして現在はフランス領というわけです。2008年に世界遺産になっています。
なお、フランス王ルイ14世に仕えたヴァーバン(1633~1707)がこの城塞の強化に携わったことが、この写真の説明にありますが、彼の著書のオランダ語訳が函館の五稜郭建築の手引書になっています。
余談話 驚愕
「移民国家アメリカの歴史」(貴堂嘉之著)を読んでいたら以下のような文章に出会いました。
「日系人として始めて下院議員となったダニエル・イノウエが1959年来日**岸総理と面談」「イノウエ『いつか日系人が米国大使となる日が来るかもしれません』、**岸総理『日本には、由緒ある武家の末裔、旧華族や皇族の関係者が多くいる。彼らが今、社会や経済のリーダーシップを担っている。あなたがた日系人は、貧しいことなどを理由に、日本を棄てた『出来損ない』ではないか。そんな人を駐日大使として、受け入れるわけにはいかない』(ETV特集『日系アメリカ人の日本』2008年9月28日放送)(p199)
「m&m」さんコメント有難うございました。マルセーユの屋台の魚屋さんの話がありましたが、私も1997年ここを訪れました。その時魚屋さんが私に「アンコ、アンコ」と言って魚を見せてくれた思い出があります。写真はその時のものです。この顔に見覚えはありませんか。