中国三大石窟(莫高窟、麦積山石窟、炳霊寺石窟)はすでに紹介済みだと思っていましたが調べてみると麦積山(それも一枚だけ)だけでした。写真は古く(1998年)フイルム写真でボケていますが、敦煌莫高窟、麦積山、炳霊寺石窟の順番で紹介します。
まずは敦煌莫高窟の入り口です。
華清池はもうひとつ大きな歴史の舞台になりました。それは前々回に蒋介石で紹介した1936年の西安事件です。このままでは中国は完全に日本の植民地になると危惧した中国東北地方の軍閥張学良(1901~2001 日本軍に殺された張作霖の息子)がここ華清池に蒋介石を幽閉し共産党と協調して日本の侵略に対抗せよと迫ったところです。その結果第2次の国共合作ができ統一抗日戦線が成立したという中国近代史で極めて重要なところです。
西安には温泉と風光明美で有名な華清池があります。唐の玄宗皇帝と楊貴妃(719~756)のロマンスで有名です。楊貴妃がここの温泉で美しい肌に磨きをかけたという話は白居易の長恨歌にあります。(写真1998年フィルム以下同じ)
フートンというのは北京の市街地に残った古の北京の風情を残す町並みです。中国政府は2008年の北京オリンピックまでにこの地域をすべて再開発する方針でしたが、内外からの保存の要望が出てきて該当地域の15%は保存すると決定したとの話をこの時(2006年)聞きました。この地の観光は写真のように自転車タクシーで行います。
Fengdanさんコメント有難うございます。残念ですが「中国シルクロード」もあと残り少なくなりました。
王精衛(1883~1944)にはもっとびっくりしました。彼は孫文の一番の側近でしたが、1940年に日本の傀儡政権南京政府の主席になり典型的な「漢奸」(売国奴)とされている人です。よく見ると林彪(1908~1971、1969年毛沢東の後継者とされたが1971年毛沢東殺害を企て飛行機でソ連逃亡中墜落死した。真相は今なお霧に包まれています)もいますね。
なお、孔子の復活については2008年7月15日に少しふれています。
2006年の中国は西安空港から始まりました。その空港の売店で蒋介石(1887~1975)と題された本を見つけました。ちょっとびっくりしました。彼は中国共産党によって中国本土から追い出され台湾に逃げ込んだ中国共産党にとっては不倶戴天に敵であったからです。もっとも最近では名高い西安事件からの第2次国共合作が評価されつつあるという話は聞いていましたが、彼の息子の蒋経国(1909~1988)の本まであるとは思いませんでした。
「放浪の旅人」さんコメント有難うございました。本当にアルバニアは不思議な国ですね。「放浪の旅人」さんの旅の思い出話を写真と共にこのブログに投稿していただけませんでしょうか。メールアドレスをいただければ(私が確認次第すぐに削除)折り返し連絡します。
その内部です。この廟の別名が香妃墓です。清朝の乾隆帝が夢でホージャー一族の娘香妃を見初めて?呼び寄せました。ところが彼女は乾隆帝になびかないため殺されます。(異説あり)遺体が返されこの廟に葬られました。そこで香妃墓とも呼ばれています。
中国最大のイスラーム教寺院エィティガールモスクがここカシュガルにありますが、なぜか私のカメラにありませんでした。そこでこのモスクと並んで著名な別のイスラーム関係の建造物アパク・ホージャ廟を紹介します。
前述のように仏教徒だったカシュガルの人たちは10世紀ごろイスラーム教徒に改宗しました。そして17世紀頃ムハンマド(マホメット)の子孫と称するホージャー一族がこの地の政治、宗教を握ります。この一族のお墓(廟)がアパク・ホージャ廟です。写真はその正面です。