ブータン東部のブムタンのお寺で撮影した小坊主君です。ブータンの公用語はチベット系のゾンカ語ですが、国全体で約16の言語がありそのゾンカ語を母語とする人たちは首都のあるティンプを中心とする北部地方の人たちです。したがってこの小坊主君はゾンカ語が分かりません。そこで入門した最初はこのようにまず公用語ゾンカ語を勉強しています。
すでに紹介したようにブータンは仏教を国教にしています。その出家者の数については2011年11月15日に紹介していますが、念のため再録しておきます。
今枝由郎氏はその著「ブータン仏教から見た日本仏教」で以下のように述べています。
「僧侶は国家が扶養する一種の国家公務員である。男性人口のうち、50人に一人近くが僧籍にあり、もちろん妻帯はせずに、寺内での共同生活を営んでいる。なかには還俗して、妻帯するものもいるが、その数は決して多くはない」(p64)
ということで、人口の1%7千人がお坊さんということのようです。
先代国王の妃は以下のように述べています。
「国家直轄の僧院に在籍する僧侶は約5000人、国家に扶養されている以外に民衆によって支えられている僧侶が3000人さらにゴオムチェンと呼ばれる在家僧もいます。(「幸福大国ブータン」p49~50)
ティンプからウオンディへ向かう途中で一軒のお寺がにぎわっていました。トンドルをお寺に奉納する儀式が行われているとのこと。さっそく儀式の模様を見学させてもらいました。トンドルとはトン=見る、ドル=功徳で、見るだけで功徳があるという大掛軸です。大タンカとも呼ばれています。写真がそのトンドルです。
ブータン小・中学校歴史教科書「ブータンの歴史」には「ブータン史においてペマ・リンパが果たした役割」という章があります。(p112~120) ブータンで第2のブッダとしてあがめられている8世紀にインドからきてブータンでの仏教布教に功績があったグル・リンポチェが隠したとされる宝物をペマ・リンパ(1450~1521)が発見したことで有名です。また彼は現王室の祖先と信じられています。その宝物を発見した時の模様を歴史教科書(p115)で以下のように記述しています。
「ある吉日、ペマ・リンパが湖に飛び込もうとすると、沢山の人々がその様子を一目見ようと集まってきた。彼はバターランプを手に持ちこう祈った。『もし私が悪魔ならば、私は命を落とすであろう。しかしもし私がグル・リンポチの志を継ぐものであれば、私は宝物を手にし、灯の消えないランプと共に戻るであろう』そう言い残してペマ・ロンパは湖に飛び込んだ。しばらくすると彼は神聖なる頭蓋骨、仏像、そしていまだ火のともるランプを抱え湖から姿を現した。(中略)この湖はメンバ・ツォと呼ばれるようになった」
写真はそのメンバ・ツォとされているところです。湖というよりは谷あいの渓流でした。
ブータンでは赤米がかなり生産されているようで、赤米の水田も見ました。これは赤米のお粥です。ブータンで赤米のお粥があるのかどうかはわかりませんが添乗員の安原さんが気を利かしての特別注文だったようです。
日本では赤米はあまり見ませんが、外国では珍しいもではないようです。キューバでも見たし、2013年2月14日のブログでマダガスカルでは高級米になっていることを紹介しました。
ティンプからウォンディホンダへ向かう道筋でこのようなチーズを見つけました。購入して口に入れましたが全く歯が立ちません。石のごとくの表現そのもので健康な歯の持ち主でも噛み切ることは到底不可能です。癪なのでそのまま口に入れ約4時間漸く食べることができました。
中尾佐助の名著「秘境ブータン」(岩波現代文庫p202)に以下のような記述があります。
「チーズの種類はとても多い。ヤクの乳からできたチーズはチュゴーと呼び石のように硬く乾燥され、黄色で保存がよい」
というわけで、「硬い」は適合していますが「黄色」が違うので、チュゴーではなったかも。
パロで民家を訪れた時、石風呂を体験しました。ちょっと分かりにくいですが、手前が熱した石でその向こうが湯船というわけです。前国王の妃ドルジェ・ワンモ・ワンチュックがその著「幸福の大国ブータン」(p172)で次のように記述しています・
「温泉に行かれない人は、家の近くの湯治としてブータン式石風呂があります。石風呂は木桶の中に熱い石を入れて浸かるものですが、ブータン国内の至る所、鉱物質の豊かな水が湧き出るところには、何十と設けてあります。あらかじめ水を張っておいた木桶を、板で二つに仕切って、片方に熱した石を入れて、もう片方に人が浸かります。熱せられた石が、湧き出た薬効の水を温めるので、ミネラル分の癒し効果が高まります。石風呂に浸かると、即座に伊丹や苦しみから解放されます」
ティンプのホテルで朝食をすませて出発のためロビーに行くと皆さんが何かを取り囲んで集っていました。そうです。このマツタケを取り囲んでいました。日本人観光客が宿泊しているということで売り込みに来たのでした。添乗員の安原さんのおごりということでこの昼の食事でいただきました。私には40数年ぶりの御馳走でした。その後も数回にわたっていただきました。これが私の生涯の終りのマツタケになるでしょう。
2011年9月19日の朝日新聞に以下のような記事が掲載されていました。
「ヒマラヤの小国ブータンでは雨期の終わりの8月から9月初めにマツタケがとれる。(中略)かおりも良い。ただブータンの人には合わないらしく、長い間、身向きもされなかった。現地語で「男性器のキノコ」と呼ばれてきたが、最近は日本や韓国などに輸出されるようになり、サンゲイ・シャモ(仏様のキノコ)に名前が変わったとか」
パロの商店街(?)でこのようなものを見つけました。そうです。マツタケの天日干しです。日本への輸出品のようですね。ブータンがマツタケの産地とは知りませんでした。しかしマツタケの干物はどうですかね。ブータンの物価としてはかなり高価であったような気がしました。