エッサウィラ(2008年10月7日地図)はガイドブック「地球の歩き方」に「多くのモロッコ人が、一度は行ってみたいと憧れるエッサウィラ」とありますが、日本のパックツアーではここを訪れるコースは殆どありません。
この町の歴史は古く紀元前8世紀のフェニキア時代に始まりローマ時代にはホネ貝(murex)から取れる金の10倍から20倍の値段がする紫の染料の産地として有名でした。現在の街並みは18世紀に外国貿易の拠点として作られました。トンブクトゥからの金、塩、象牙などの交易港として栄えました。なおトンブクトゥについては2007年6月16日~7月12日をご覧ください。
私たちの宿泊ホテルは前回紹介したように禁酒のホテルで街へは歩いて30分くらいのところの海辺にありました。その海辺の夕日を紹介します。
2008年6月6日に礼拝の方向(メッカ)キブラのサインがイランのホテルにはすべてあると紹介しました。パキスタンでは宿泊したホテルの約半分にキブラのサインがありました。モロッコでは2箇所でありました。ここはエッサウィラ(2008年10月7日地図)のホテルではテーブルにありました。
缶ビールがあるのは意味があります。イランではすべての場所でアルコール禁止、パキスタンではフンザだけで例外的に認められていました。ここモロッコではほぼ認められていましたが、レストランではお酒の出ないところがありました。ホテルではここエッサウィラともう一箇所アルコールが出ませんでした。経営者が敬虔なイスラーム教徒だそうです。そこで外で買いホテルの部屋に持ち込んで飲んだ缶ビールというわけです。
ラバト(2008年10月7日の地図)は人口160万人のモロッコの首都です。2008年11月1日に紹介したようにモロッコは立憲王国ですが、1956年フランスから独立しその初代の国王はイスラーム教の開祖ムハンマドの血を引くとされるムハンマド5世でその霊廟がここラバトにあります。
ホテルへの「ご帰還」は馬車と洒落?てみました。値段交渉の注意点は馬車1台いくらとはっきりしておかなければ降りるときに決めた値段は1人分だと言われます。1人当たりの値段はタクシーとほぼ同じでした。お勧めです。