1848年に建てられた邸宅でこの敷地全体がナッチェス国立歴史公園に指定されています。「南北戦争前のギリシア復古調建築の代表例」とはウィキペディアの記載。この邸宅の所有者は10のプランテーションを所有し325人の奴隷がいました。
ナッチェスはミシシッピー河沿いにある町です。この地はネイティブ・アメリカンのナッチェス人の元々の居住地でそれにちなんでの地名です。そこに1716年フランス人入植者が移住して来てFORT ROSALIE を建設し繁栄を遂げます。なおこの“FORT ROSALIE”は「ロザリー要塞」ではなく「ロザリー交易所」という意味のようです。
このフランス人入植者と対立したナッチェス人は1729年に大虐殺されます。虐殺を免れた人たちは捕虜になり奴隷として売られました。この事件でナッチェス人はほぼ全滅し、現在純粋のナッチェス人は存在しません。地名だけが残っています。
1957年、22歳のとき私でも知っている「ハートブレークホテル」などでブレークしていた彼は総面積1万7522ヘクタールのグレースランドを10万ドルで購入しました。グレースというのは特別の意味をこめて彼が付けた名前かと思いましたが、前の所有者の娘の名前がすでに付けられていて、それをそのまま使用したもののようです。
写真は5.6ヘクタールの大邸宅です。ガイドブックなどではコロニアル風と書かれていますが私にはギリシャア神殿風と感じました。