100倍楽しむ海外旅行  時々国内旅行

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歳(終末期後期高齢者)のジジイの53

回の旅行103ヶ国を100倍楽しんだ話 付録で時々エンディングノート

特別寄稿「北朝鮮旅行記」10 開城市1

2016年03月23日 08時32分41秒 | 北朝鮮

 

板門店に行く途中かつて高麗王朝の首都として500年間栄えた町、開城市に立ち寄りました。

よく見ると信号機がありません。平壌市内でも信号機がなく交通量の多い交差点のど真ん中に台がありその上で婦人警官ぽい方がてきぱきと手旗信号で交通整理をしていました。

走っている車はベンツが多く高官などくらいの高い方へ何かの功績に与えられたものとお聞きしました。

あと、驚いたのは現地に到着してバス移動中夜が更けると街灯がないのか電気事情が悪く電気がついて点いていなかったのか外は真っ暗でした。

しかし、よく見ると現地の方がぞろぞろと歩いていました。

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特別寄稿「北朝鮮旅行記」9 板門店(パンムンジョム)から平壌2

2016年03月20日 08時37分55秒 | 北朝鮮

 

 これも、板門店から平壌へ戻るときのバスからの風景です。

どなたか(多分、日本からの参加者で朝鮮語がわかる方)が「あの標識は、ソウルまで70㎞と書いてありますよ」と教えて下さいました。

すごい!

と思い、思わずシャッターを切ったのですが現地の通訳の方から

「勝手にとらないで下さい。失礼でしょ!」と怒られてしまいました。

 

 

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特別寄稿「北朝鮮旅行記」8 板門店(パンムンジョム)から平壌1

2016年03月20日 08時35分37秒 | 北朝鮮

 

板門店から平壌に戻るときのバスからの風景です。

平壌以外は、あまり整備されておらず草原の中にぽつぽつと住居であろうと思われる建物があるくらいでした。

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特別寄稿「北朝鮮」7 板門店(パンムンジョム)4

2016年03月20日 08時32分53秒 | 北朝鮮

 

そこの国境を守られている兵士の方と現地の日本語通訳の方です。

見学の際の説明や案内をして下さいました。この時は、質問タイムだった気がします。

ある程度日本人側からの質問が終わった後「こちらから質問よろしいですか?」と

兵士の方から質問がありました。どんな質問だったか、はっきりとは覚えていません。

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特別寄稿「北朝鮮旅行記」6 板門店(パンムンジョム)3

2016年03月17日 08時40分50秒 | 北朝鮮

 

 

同じく小さな青い小屋の中です。

この机で会談が行われる?行われた?ようです.

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特別寄稿「北朝鮮旅行記」5 板門店(パンムンジョム)2

2016年03月17日 08時37分41秒 | 北朝鮮

 

 この写真は、板門店の青い小さな小屋の中です。

自由に行き来できます。というわけで「越境」ができます.

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特別寄稿「北朝鮮旅行記」4 板門店(パンムンジョム)1

2016年03月17日 08時31分52秒 | 北朝鮮

 

板門店はいわゆる北朝鮮と韓国の軍事境界線上、北緯38度線にあります。

青い小さな小屋を挟んで、お互いの国から監視をしています。

小さい小屋の中間点に軍事境界線がありお互いの兵士が監視をしています。

その小屋の中は行き来することができるので、国境を超えることができます。

小屋と小屋の間のところを歩こうとすると注意されます。

正面奥にある大きな建物は、韓国側の建物です。

私たちは、似たような規模の北朝鮮側の建物からこの風景を写しました。

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特別寄稿「北朝鮮旅行記」3

2016年03月14日 08時36分49秒 | 北朝鮮

 

 入国する時に、持ち込める物に制限があり、パソコン、携帯電話、雑誌など活字が書いてあるものは持ち込めませんでした。しかし、入国時の荷物検査はセンサーを通すだけでしたのでスルーして持ち込んだ方もいたようです。私は、旅行の時に役立つ韓国語日本語の会話ハンドブックを持っていきましたが没収されることもなく旅行中使用することができました。通訳の方にそれを見せると「いいですね~ いいですね~」ととてもうらやましそうにされていて差し上げようかすごく迷ったのですが、旅行途中でしたので使うこともあるだろうと差し上げませんでした。

 元山の港に着くと現地の方が出迎えをして下さいました。その人々は、戦後の日本にタイムスリップしたような格好をしていました。

 

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特別寄稿「北朝鮮旅行記」2

2016年03月14日 08時34分14秒 | 北朝鮮

 

 船内のいたるところに、金日成、金正日の写真が掲げてありました。

また、 船内での朝食で出た味噌汁は具がほとんど入っていなくて唐辛子が入っていたのも印象的でした.

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特別寄稿「北朝鮮旅行記」1

2016年03月14日 08時28分27秒 | 北朝鮮

 

 管理人より

  近時老化の度合いが進んできて介護施設にお世話になるようになりました。その施設で理学療法士をされている方が北朝鮮に旅行されたという話をお伺いしてそのときの様子をこのブログに寄稿していただけないかとお願いしたところ快諾していただきました。

 

 

  ピースボート『第29回 アジア新未来航海』( 2000年8月22日~2000年8月29日)に参加して北朝鮮を旅行しました。動機はピースボート第27回 地球一周の船旅に参加しているときにこのことを知り、なかなか行くことができない未知の国に行けるルートがあり、なかなかこういう機会はないので行くことができるのであれば行きたいと思い参加しました。

 当時はまだ北朝鮮が日本人拉致を認めていなかったので企画されていましたが、

認めてからはこのクルーズは実施されていません。(おそらくこのクルーズが最後だったと思います。)この当時、ピースボートが所有していた客船が故障のため急きょ、北朝鮮船籍の万景峰号をチャーターして行われました。当時は、新潟と北朝鮮の元山をつなぐ便でしたが現在は日本への航行は行われていません

 写真は万景峰号です。

 

 

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