ウガンダの首都カンパラの博物館に行きました。
罪を犯したときの裁判の仕方について表示があります。興味のある方は写真を最大に拡大してお読みください。隣にある木札のようなものは説明があったように思いますが残念ながら忘れました。多分、掲示にあるdivination leather (お告げ革札)でしょうね。
Fengdan さん沢山のコメント有難うございました。ウガンダの気温ですがここカンパラは赤道直下(赤道については後日紹介の予定)ですが、標高1300メートルもあるので暑くありません。快適の気候でした。統計によれば1月の平均気温は23℃、7月は21℃です。なお今回の旅行の訪問先はほとんど高地なので涼しく、モザンビーク島で少し暑いと感じたぐらいです。ホテルでもほとんどクーラーを使用することはありませんでした。
太鼓の保管倉庫の掲示です。中を見ることはできませんでした。この保管管理者(演奏者でもある?)は独身でなければなりません。 戴冠式用、王族の出発・帰着のお知らせ、王族の不幸のときにたたかれる3種類の太鼓が保管されています。詳しくはこの写真を拡大してお読みください。
中に入りました。当時の盾や槍が並んでいますが、私には勲章が気になりました。前述のようにイギリスの植民地だったのでイギリスからのものです。イギリスらしい植民政策のシンボルです。しかしそのシンボルが今でも誇らしげに?飾ってあることに私は一種の物悲しさとやるせなさを感じました。
かつての宮殿である墓所の正面です。
初代のガンダ国王ムテサ1世から最後の王エドワード・ムテサ2世まで4代のお墓です。ウガンダはイギリス植民地でしたが1962年に独立しその時の初代大統領になったのがエドワード・ムテサ2世で首相がオボテでした。間もなくオボテはムテサ2世を追放し自ら大統領になります。ムテサはイギリスに亡命しそこで1969年に亡くなります。オボテも陸軍総司令官アミンに追放されます。この悪名高いアミンは日本のプロレスラー、アントニオ・猪木との格闘技計画がありましたが失脚してお流れになりました。その後も相次ぐクーデタがありますが省略します。
ウガンダには57民族がありこの民族対立が国情不安定の主な原因とされています。57民族のうち4民族に王様がいるそうです。