熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

イノベーションと経営(6)・・・フィルムからデジタル

2006年01月31日 | イノベーションと経営
   有楽町のビッグカメラのカメラ売場では、まだ、一年ほど前には、銀塩の一眼レフが真ん中の重要な場所にディスプレィされていたが、今では、売場の主流を占めているのは完全にデジタルカメラで、フィルム・カメラは隅に追いやられてしまった。

   昨年のニコンの撮影会では、アマチュア・ファンの大半は、まだ、フィルム・カメラで、講師の先生もデジタル・カメラ担当は一人だけで、他の先生は、従来どおりで、フィルム・カメラを前提に指導されていた。
   ところが、そのニコンが、フィルム・カメラの現役8機種の一眼レフ・カメラの内6機種の生産を中止して、最高級F6と普及機との2機種に絞ることにしてしまった。

   京セラが、コンタックスを諦め、さらに、コニカ・ミノルタが、カメラ業界とフィルム業界から撤収することになり、残るは、キヤノン等僅かしかフィルム・カメラを温存する会社がなくなるが、とにかく、フィルム・カメラは風前の灯火になってしまった。
   業界トップの富士フィルムまでもが、フィルム部門を縮小してリストラを始めたのである。

   NIKON F100等生産が中止となるので、ファンの駆け込み購入で、品薄や売り切れの為に価格が急騰しており、生産中止となるフィルム・カメラや往年の人気レンズ等が愛好家の注目を浴びていると言う。
   写真コンテストの応募作品の大半、病院での患部の撮影・記録、警察の鑑識等は、いまだにフィルム主体であり、デジタルは写真の色の深みも階調もフィルムには及ばないとプロはその芸術性と優秀性を強調するが、しかし、これはほんのひと時の過渡期の現象で、主客は完全に入れ替わっており、流れには竿をさせなくなってしまっている。
   一刻を争う報道写真やスポーツ写真は、デジタル化のお陰で瞬時に報道に活用されるようになった。
   デジタル・カメラの技術は日進月歩で、殆ど開発の頂点に達したフィルム・カメラやフィルムと違って、長足の進歩を遂げており、フィルムを凌駕し、更に進化するのは時間の問題である。
   そうなると、フィルム・カメラも、あのコロンビアが、有難い事に、ファンの為に今も細々と製造してくれているレコード・プレイヤーの様になるのであろうか。

   IT革命の波に乗ったデジタル化、それに、コンピューターの発展によって、カメラそのものが、コンピューターの記録媒体としてその周辺機器になり下がってしまった時から、フィルム・カメラの運命は決まってしまっていた。
   独立して成立していたカメラ業界が、崩壊してしまったのである。デジタル化の進行により、電機業界がカメラ製造に参入し、デジタル・カメラを使って全くの素人がプロ顔負けの写真を写し始め、それに、誰もが、携帯電話で、そこそこの写真を写して即刻転送出来る様になってしまった。
   素人がパソコンを使って、青い薔薇を作画出来るようになり、テクニックさえ身につければ、自由に写真を加工・編集出来て、思い通りのアルバムや本の作成などは思いのまま、それに、すぐ、インターネットを通じて何処にでも送信・転送可能である。
   フィルムからCCD等の半導体に記録媒体が変わっただけかも知れないが、この為に、産業の主役がカメラ会社から電機会社に移り、写真を、素人、即ち、普通のアマチュアの手の届く所まで身近にして、多くの活用の場を広げたデジタル化のインパクトは限りなく大きい。

   このフィルムからデジタルへのカメラの変遷は、馬車から自動車や汽車へ、水力や人力が、そして石炭や石油が電気に、真空管がトランジスターに変わったと同じ様なイノベーションであり、後戻りは絶対に有り得ないと言うことである。
   ここで大切なことは、イノベーションを追求して創業者利潤を得ることは、企業の発展にとっては大切なことであるが、逆に、イノベーションが生まれて、その産業の風向きが変わり趨勢が動き始めたら、過ぎ去った過去からは、出来るだけ早く撤収することが大切であると言うことである。
   製品のライフサイクルが短くなり、イノベーションの激しい今日においては、如何に、時期遅れとなった部門から経営資源を引き上げて、新しいイノベイティブな部門にシフトするかが、経営の要諦なのである。

   ウエルチではないが、このような衰退業種では、特に、市場でダントツの地位を占めていない限り、見切る必要があり、コニカ・ミノルタやニコンの決断は、遅きに失したと言わざるを得ない。ポラロイドが、デジカメにやられてしまったあの頃から、フィルムとフィルム・カメラの退潮は歴然として居た筈である。

   TVの世界においても、ブラウン管TVに固守した会社よりも、液晶やプラズマに資源を集中して開発を追及してきた会社の方が活力がある。
たとえ、デジタル製品でも、部品さえ集めれば誰でも製作出来て、すぐ、コモディティ化するような製品の場合は、古いテクノロジーからの撤収は早ければ早いほど良い。
   市場規模が縮小し始め、コスト競争が激しくなってくる産業には、特別な差別化要因がない限り、労多くして益なしである場合が多いのであるが、古い在来の製品と市場に拘ってチャンスを失する企業があまりにも多い。
   あのノキアなどは、ホンの少し前までは、タイヤや日用雑貨を売っていたはずだし、GEだって、電気製品からは殆ど撤収してしまって金融会社になってしまっており、創業何十年等と歴史を誇れる時代ではなくなってしまったのである。
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