恒例のベートーヴェン交響曲全曲演奏会が、東京文化会館で、大晦日の午後2時に開演し、翌日元旦の朝1時20分に、観客の熱狂的な興奮のうちに幕を閉じた。
昨年同様、小林研一郎が全曲指揮し、管弦楽団は、当初からの篠崎史紀コンサートマスター率いるN響主体のイワキ・メモリアル・オーケストラ。
今回で6回目だが、私は、2回目からの聴衆で、指揮者は、最初の2回は岩城浩之、亡くなられたので、翌年は、別々の9人、そして、最近の2回は小林研一郎だが、
とにかく、剛直で寸分の狂いもなく精密機械の如くソリッドで巨大なゴチック建築の大聖堂のような(?)9曲のシンフォニー全曲を、一人の指揮者と同じオーケストラで、半日で連続して一挙に演奏するのであるから、大変な難行苦行の試練である。
正味6時間の交響曲を11時間で演奏するのであるから、連続演奏は、第1番と第2番だけで、その後の交響曲は、夫々休憩時間を挟んで演奏され、第4番と第5番(運命)との間には、90分の大休憩が入り、その休憩の時間を利用して何回かに分けて、企画運営の三枝成彰氏が、楽団員などを交えたインタビューなどでベートーヴェンや交響曲についての解説を行う。
ところで、今回は、開演の遅れや観客の熱狂的な拍手が鳴り止まなかったり色々なことが重なって、どんどんプログラムが後にずれ込み、第8番から第9番との休憩を15分間詰めたが、結局、終演時間は30分近く遅れた。
ベートーヴェンの全交響曲を、一挙に、一人の指揮者が同じオーケストラを振り続けるのであるから、必要な休憩時間の確保は死活問題であり、電車遅延の回復とは違うので仕方がなかろう。
ベートーヴェン教のグルのような三枝氏であるから、ベートーヴェンが最初に偉大な芸術作品を作曲した本当の音楽家であって、それ以前のバッハもハイドンもモーツアルトもいわば職人だと言って憚らない。人を楽しませるために、線香花火のような音楽を作曲しただけで、同じ調子の殆ど区別のつかない何処を切っても殆ど変わらない金太郎飴のような没個性の音楽であると言った調子で、ベートーヴェンしか作曲家は居ないと言った口ぶりの解説が続く。
今回も、ベートーヴェンは、100年後にも生き続ける偉大な芸術的な財産として残そうとして、自らの曲に番号をふって作曲した唯一最初の作曲家であり、同じ調子の曲ばかり作曲しているモーツアルトなどと違って、毎回、違った音楽を作曲しようと努力していたから大変だと言う。
ベートーヴェンの偉大さには疑いがないとしても、三枝論には異論があるが、例えばモーツアルトについてだが、昔、小澤征爾が、モーツアルトの音楽を称して、神様がモーツアルトの手を持って書かせたとしか思えないと語っていたのだが、この言葉で十分に反論となっているであろう。
この「ベートーヴェンは凄い!全交響曲連続演奏会2008」の素晴らしさについては、論を待つまでもなく、とにかく、最初から最後まで感激の連続で、大晦日の午後を上野の劇場でベートーヴェン三昧で過ごして、ベートーヴェンの歓喜の歌を聴きながら元旦を迎えるのは最高だと思っている。
昔は、家族と居間で紅白歌合戦を聞きながら大晦日の夜をすごして新年を迎えていたのだが、すっかり、この虜になってしまって、深夜、遅く、京成の鈍行に乗って、成田さんへの初詣客に混じって、夜明け前に家に帰る習慣がついてしまった。
年末には、東京でも、在京のトップ・オーケストラをはじめ外来の管弦楽団をも加えて、多くの楽団が、ベートーヴェンの交響曲第9番「合唱付き」を演奏する。
しかし、この演奏会では、第1番から、ベートーヴェン交響曲の連続演奏で助走をつけながらムードを盛り上げて、一挙に、興奮の極に上り詰めて行く醍醐味があり、単独での第9演奏会とは、全く違った独特の楽しみがある。
本来なら、長時間の演奏で疲弊しきっている筈の指揮者と管弦楽団が、不死鳥のように蘇って、実にダイナミックで艶やかな溌剌とした「合唱」を聴かせて、満場の聴衆を沸かせるのである。
今回、世界的なソプラノ中丸三千繪を筆頭に、アルトの相田摩純、テノールの吉田浩之、そして、非常に朗々とした素晴らしい感動的なオーフロイデでスタートしたバリトンの福島明也のソリスト陣も、武蔵野合唱団の素晴らしさも特筆すべきであろう。
さて、一寸気になったことだが、少し、この演奏会も俗っぽさが目に付き始めたことである。
冒頭の第1番や第2番あたりから、ごーっと叫び声をあげる熱狂的な歓声が沸きあがることで、どう考えても、N響や都響の普通の演奏会と大差ないほどの出来だと思うし、第5番や第7番などでは、私が欧米での演奏会で、トップ・オーケストラでも経験したことのないほどの熱狂振りで、殆ど、何でも拍手する観客が多すぎると言う感じがし始めている。
ひどいのは、コバケンの親衛隊か熱烈なファンか知らないが、何時も、最前列中央に陣取って、曲が終わると立ち上がって拍手し続ける3人組が居ることで、興ざめも甚だしい。
コバケンに、ロンドンで、ご自身の演奏について聞いたことがあるが、ロンドンの聴衆は、「演奏してみろ。聴いてやろうじゃないか。」と言う態度で接してくるので怖いと言っていたが、東京では、コバケンの追っかけと言うかファンが多すぎて、やりにくいのではないかと思っている。
ベートーヴェンよりも、軟弱な聴衆の方が凄く怖いのではないであろうか。
昨年同様、小林研一郎が全曲指揮し、管弦楽団は、当初からの篠崎史紀コンサートマスター率いるN響主体のイワキ・メモリアル・オーケストラ。
今回で6回目だが、私は、2回目からの聴衆で、指揮者は、最初の2回は岩城浩之、亡くなられたので、翌年は、別々の9人、そして、最近の2回は小林研一郎だが、
とにかく、剛直で寸分の狂いもなく精密機械の如くソリッドで巨大なゴチック建築の大聖堂のような(?)9曲のシンフォニー全曲を、一人の指揮者と同じオーケストラで、半日で連続して一挙に演奏するのであるから、大変な難行苦行の試練である。
正味6時間の交響曲を11時間で演奏するのであるから、連続演奏は、第1番と第2番だけで、その後の交響曲は、夫々休憩時間を挟んで演奏され、第4番と第5番(運命)との間には、90分の大休憩が入り、その休憩の時間を利用して何回かに分けて、企画運営の三枝成彰氏が、楽団員などを交えたインタビューなどでベートーヴェンや交響曲についての解説を行う。
ところで、今回は、開演の遅れや観客の熱狂的な拍手が鳴り止まなかったり色々なことが重なって、どんどんプログラムが後にずれ込み、第8番から第9番との休憩を15分間詰めたが、結局、終演時間は30分近く遅れた。
ベートーヴェンの全交響曲を、一挙に、一人の指揮者が同じオーケストラを振り続けるのであるから、必要な休憩時間の確保は死活問題であり、電車遅延の回復とは違うので仕方がなかろう。
ベートーヴェン教のグルのような三枝氏であるから、ベートーヴェンが最初に偉大な芸術作品を作曲した本当の音楽家であって、それ以前のバッハもハイドンもモーツアルトもいわば職人だと言って憚らない。人を楽しませるために、線香花火のような音楽を作曲しただけで、同じ調子の殆ど区別のつかない何処を切っても殆ど変わらない金太郎飴のような没個性の音楽であると言った調子で、ベートーヴェンしか作曲家は居ないと言った口ぶりの解説が続く。
今回も、ベートーヴェンは、100年後にも生き続ける偉大な芸術的な財産として残そうとして、自らの曲に番号をふって作曲した唯一最初の作曲家であり、同じ調子の曲ばかり作曲しているモーツアルトなどと違って、毎回、違った音楽を作曲しようと努力していたから大変だと言う。
ベートーヴェンの偉大さには疑いがないとしても、三枝論には異論があるが、例えばモーツアルトについてだが、昔、小澤征爾が、モーツアルトの音楽を称して、神様がモーツアルトの手を持って書かせたとしか思えないと語っていたのだが、この言葉で十分に反論となっているであろう。
この「ベートーヴェンは凄い!全交響曲連続演奏会2008」の素晴らしさについては、論を待つまでもなく、とにかく、最初から最後まで感激の連続で、大晦日の午後を上野の劇場でベートーヴェン三昧で過ごして、ベートーヴェンの歓喜の歌を聴きながら元旦を迎えるのは最高だと思っている。
昔は、家族と居間で紅白歌合戦を聞きながら大晦日の夜をすごして新年を迎えていたのだが、すっかり、この虜になってしまって、深夜、遅く、京成の鈍行に乗って、成田さんへの初詣客に混じって、夜明け前に家に帰る習慣がついてしまった。
年末には、東京でも、在京のトップ・オーケストラをはじめ外来の管弦楽団をも加えて、多くの楽団が、ベートーヴェンの交響曲第9番「合唱付き」を演奏する。
しかし、この演奏会では、第1番から、ベートーヴェン交響曲の連続演奏で助走をつけながらムードを盛り上げて、一挙に、興奮の極に上り詰めて行く醍醐味があり、単独での第9演奏会とは、全く違った独特の楽しみがある。
本来なら、長時間の演奏で疲弊しきっている筈の指揮者と管弦楽団が、不死鳥のように蘇って、実にダイナミックで艶やかな溌剌とした「合唱」を聴かせて、満場の聴衆を沸かせるのである。
今回、世界的なソプラノ中丸三千繪を筆頭に、アルトの相田摩純、テノールの吉田浩之、そして、非常に朗々とした素晴らしい感動的なオーフロイデでスタートしたバリトンの福島明也のソリスト陣も、武蔵野合唱団の素晴らしさも特筆すべきであろう。
さて、一寸気になったことだが、少し、この演奏会も俗っぽさが目に付き始めたことである。
冒頭の第1番や第2番あたりから、ごーっと叫び声をあげる熱狂的な歓声が沸きあがることで、どう考えても、N響や都響の普通の演奏会と大差ないほどの出来だと思うし、第5番や第7番などでは、私が欧米での演奏会で、トップ・オーケストラでも経験したことのないほどの熱狂振りで、殆ど、何でも拍手する観客が多すぎると言う感じがし始めている。
ひどいのは、コバケンの親衛隊か熱烈なファンか知らないが、何時も、最前列中央に陣取って、曲が終わると立ち上がって拍手し続ける3人組が居ることで、興ざめも甚だしい。
コバケンに、ロンドンで、ご自身の演奏について聞いたことがあるが、ロンドンの聴衆は、「演奏してみろ。聴いてやろうじゃないか。」と言う態度で接してくるので怖いと言っていたが、東京では、コバケンの追っかけと言うかファンが多すぎて、やりにくいのではないかと思っている。
ベートーヴェンよりも、軟弱な聴衆の方が凄く怖いのではないであろうか。