高島屋日本橋店で開催されている「田淵俊夫展」では、京都の智積院に奉納された襖絵60面が展示されている。
墨一色で、日本の春夏秋冬の時間の流れと空間の広がりを、宗教的な荘厳さと奥深さを体現しながら描ききった素晴らしい作品で、これまでにあった墨絵の襖絵とは違った現代感覚タッチが感動的である。
不二の間、胎蔵の間、金剛の間、大悲の間、知恵の間と言ったテーマで、日本の自然風景が描かれているのだが、夫々の絵には、熟考を重ねて磨き上げられた田淵画伯の哲学があり、極普通の日本の自然が、独特の宇宙空間を体現しているようで、非常に繊細だが、大きな鼓動を呼ぶ。
知恵の間に描かれたススキをテーマにした襖面では、場内のビデオ・スクリーンで作成の状況を細かく説明されていたが、現代の映写テクニックを活用したその作画手法が面白かった。
膨大な量のスケッチの中から必要なススキの絵を選び出して、はさみで切って他の絵と重ねあわせてパターン画を作成し、それを透明なセルロイド紙に焼き付けて移動させながら構図を創り上げ、他のセルロイド画と合成しながら、最終の下絵を作成する。
そのセルロイド製下絵を、プロジェクターで、原寸大の襖紙に投影して、その紙の上に、墨で移して行く。
しかし、なぞるのではなく、計算づくで墨を置いて行くので、はっきりしない大きな点描画のようであり、あくまでも構図の投影に過ぎない。
あのフェルメールも、初期の写真機オブスキュラを使って絵を描いたのだが、どうしていたのか思い出しながら見ていた。
このススキの絵だが、右端には、初夏に勢い良く茎が伸び穂を出し始めた幼年期のススキが描かれていて、左に移りながら、直立した元気な夏の壮年期のススキに変わり、徐々に、光り輝く秋のススキに移り、最後には、風雨に打たれて先が千切れた老年期のススキへと、ススキの一年が描かれている。
瞬間のススキを描く気持ちはないと言うのである。
夏の生い茂ったススキの所では、地面に近い株元が黒々と描かれて力強さが表現されているが、左に移動するにつれて墨が薄れて行き、穂の輝きを表現するために点描画のように墨が浮き、少しづつ、背景の襖表面の地色にフェーズアウトして行く。
墨一色の絵であり、特にバックを暗く描くのではなく、自然の背景の中に絵を描いて行くので、光のあたる明るい部分は、バックのくすんだ襖地の白色の地色と全く同じになり見分けがつかなくなるが、それが、胎蔵の間の「春」の枝垂桜の豪華絢爛と垂れ下がる花の輝きが、浮かび上がって見えて来るのだから恐れ入る。
不二の間には、「朝日」と「夕日」を浴びて移り行く壮大な森を描いた6面づつ12面の襖絵が描かれているが、不二とは二つに見えるが本来は一つだと言う意味なので朝夕二題をテーマとしたとかで、とにかく、画面全体に、微妙にリズムを刻みながら静かなクラシック音楽を聴いているように移り変わる墨の濃淡の変容は、喩えようもなく美しい。
ところで、田淵画伯の素晴らしい襖絵を見ながら、ここに描かれている森や林は、綺麗な三角錐をした針葉樹林ばかりで、所謂、杉、ヒノキ、松と言った人工林で、日本本来の森である、宮脇昭先生の言う鎮守の森・どんぐりの森ではないことに気付いた。
東山魁威画伯の森はヨーロッパの森が多いので、この場合も針葉樹林が多いのだが、やはり、すっくと天に向かって直立して行儀良く並んで立つ木々の森でなければ絵にならないのであろうか。
先日、天気の良い日に、友人を訪ねて鹿嶋に行き、鹿島神宮の森を散策する機会があった。
この森は、正しく鎮守の森で、大鳥居の手前に、切り払われて殆ど幹だけになっていたが、素晴らしく巨大なタブの木が鎮座ましましていて、森全体は、シイ、タブ、カシなどの常緑広葉樹に覆われた照葉樹林で、その下には、椿、サザンカ、ヤツデ、アオキなどの中低木が生えた自然の植生による混植の森である。
宮脇先生の本の説明のとおりなので、感慨深く、森の景観を楽しみながら広い森の中を通り抜けて帰った。
雑多な沢山の木が、鬩ぎ合いながら混在する森なので、決して美しくはないが、この森こそ、日本の文化を生み育んできた貴重な鎮守の森の本来の姿なのであろう。
遠望すれば、ずんぐりむっくりの森で特色がないので、絵にはならないのかも知れない。
気付かなかったが、この森は、鹿島神宮駅の方向に向かって大きく断崖状に陥没している。
しかし、直根性の大地にしっかり根を張った照葉樹の森なので、最近の大地震で山崩れして無残な地肌を晒して崩壊した針葉樹の人工林とは違って、宮脇先生の話では、少々の天変地異ではビクともしないと言うことなのである。(勿論、神社内の鯰の神とも関係ない。)
昔、京都の北山杉の森を美しいと思ったことがあるが、宮脇先生の影響か、この頃は、日本本来の大地に根ざしたどんぐりの森の方が素晴らしいと思うようになっている。
墨一色で、日本の春夏秋冬の時間の流れと空間の広がりを、宗教的な荘厳さと奥深さを体現しながら描ききった素晴らしい作品で、これまでにあった墨絵の襖絵とは違った現代感覚タッチが感動的である。
不二の間、胎蔵の間、金剛の間、大悲の間、知恵の間と言ったテーマで、日本の自然風景が描かれているのだが、夫々の絵には、熟考を重ねて磨き上げられた田淵画伯の哲学があり、極普通の日本の自然が、独特の宇宙空間を体現しているようで、非常に繊細だが、大きな鼓動を呼ぶ。
知恵の間に描かれたススキをテーマにした襖面では、場内のビデオ・スクリーンで作成の状況を細かく説明されていたが、現代の映写テクニックを活用したその作画手法が面白かった。
膨大な量のスケッチの中から必要なススキの絵を選び出して、はさみで切って他の絵と重ねあわせてパターン画を作成し、それを透明なセルロイド紙に焼き付けて移動させながら構図を創り上げ、他のセルロイド画と合成しながら、最終の下絵を作成する。
そのセルロイド製下絵を、プロジェクターで、原寸大の襖紙に投影して、その紙の上に、墨で移して行く。
しかし、なぞるのではなく、計算づくで墨を置いて行くので、はっきりしない大きな点描画のようであり、あくまでも構図の投影に過ぎない。
あのフェルメールも、初期の写真機オブスキュラを使って絵を描いたのだが、どうしていたのか思い出しながら見ていた。
このススキの絵だが、右端には、初夏に勢い良く茎が伸び穂を出し始めた幼年期のススキが描かれていて、左に移りながら、直立した元気な夏の壮年期のススキに変わり、徐々に、光り輝く秋のススキに移り、最後には、風雨に打たれて先が千切れた老年期のススキへと、ススキの一年が描かれている。
瞬間のススキを描く気持ちはないと言うのである。
夏の生い茂ったススキの所では、地面に近い株元が黒々と描かれて力強さが表現されているが、左に移動するにつれて墨が薄れて行き、穂の輝きを表現するために点描画のように墨が浮き、少しづつ、背景の襖表面の地色にフェーズアウトして行く。
墨一色の絵であり、特にバックを暗く描くのではなく、自然の背景の中に絵を描いて行くので、光のあたる明るい部分は、バックのくすんだ襖地の白色の地色と全く同じになり見分けがつかなくなるが、それが、胎蔵の間の「春」の枝垂桜の豪華絢爛と垂れ下がる花の輝きが、浮かび上がって見えて来るのだから恐れ入る。
不二の間には、「朝日」と「夕日」を浴びて移り行く壮大な森を描いた6面づつ12面の襖絵が描かれているが、不二とは二つに見えるが本来は一つだと言う意味なので朝夕二題をテーマとしたとかで、とにかく、画面全体に、微妙にリズムを刻みながら静かなクラシック音楽を聴いているように移り変わる墨の濃淡の変容は、喩えようもなく美しい。
ところで、田淵画伯の素晴らしい襖絵を見ながら、ここに描かれている森や林は、綺麗な三角錐をした針葉樹林ばかりで、所謂、杉、ヒノキ、松と言った人工林で、日本本来の森である、宮脇昭先生の言う鎮守の森・どんぐりの森ではないことに気付いた。
東山魁威画伯の森はヨーロッパの森が多いので、この場合も針葉樹林が多いのだが、やはり、すっくと天に向かって直立して行儀良く並んで立つ木々の森でなければ絵にならないのであろうか。
先日、天気の良い日に、友人を訪ねて鹿嶋に行き、鹿島神宮の森を散策する機会があった。
この森は、正しく鎮守の森で、大鳥居の手前に、切り払われて殆ど幹だけになっていたが、素晴らしく巨大なタブの木が鎮座ましましていて、森全体は、シイ、タブ、カシなどの常緑広葉樹に覆われた照葉樹林で、その下には、椿、サザンカ、ヤツデ、アオキなどの中低木が生えた自然の植生による混植の森である。
宮脇先生の本の説明のとおりなので、感慨深く、森の景観を楽しみながら広い森の中を通り抜けて帰った。
雑多な沢山の木が、鬩ぎ合いながら混在する森なので、決して美しくはないが、この森こそ、日本の文化を生み育んできた貴重な鎮守の森の本来の姿なのであろう。
遠望すれば、ずんぐりむっくりの森で特色がないので、絵にはならないのかも知れない。
気付かなかったが、この森は、鹿島神宮駅の方向に向かって大きく断崖状に陥没している。
しかし、直根性の大地にしっかり根を張った照葉樹の森なので、最近の大地震で山崩れして無残な地肌を晒して崩壊した針葉樹の人工林とは違って、宮脇先生の話では、少々の天変地異ではビクともしないと言うことなのである。(勿論、神社内の鯰の神とも関係ない。)
昔、京都の北山杉の森を美しいと思ったことがあるが、宮脇先生の影響か、この頃は、日本本来の大地に根ざしたどんぐりの森の方が素晴らしいと思うようになっている。