三宅坂の国立劇場で、長い間眠っていた演目が、再演されたり復活上演されたり、非常に意欲的で素晴らしい舞台が展開されていて楽しい。
まず真っ先に、半年振りに病気快癒してA型からO型に血液が変わったと言う團十郎が、お家の芸歌舞伎18番の内「象引」を、文献などを紐解いて新しい演出を考案し、新しい象を登場させて豪快な演技を披露しており、正に、正月気分を高揚させるのに十分な舞台で、江戸歌舞伎の華やかさを見せている。
象引は、京都から来た大悪人大伴大臣褐麿(三津五郎)が連れて来た南蛮渡来の象が暴れだして世を騒がせたので、江戸代表の豪快で力強い正義の味方箕田源二猛(團十郎)が大人しく手なずけて、象を引いて意気揚々と花道を下がって行くと言う奇想天外な話である。
二人の豪傑が一つのものを引き合って腕力を競う「引合事」は歌舞伎などの演出の一つで、ヒーローが悪を退治する、所謂、悪霊退散を意図した荒事は縁起が良いとされていて、團十郎家の超ブランドだと言う。
悪である京都の貴族上方文明と戦って、江戸の豪傑ヒーローが、東西対決で勝利するので、江戸庶民の喜びはいやが上にも盛り上がると言うのだから、単純と言うか全く馬鹿馬鹿しいと言うか、しかし、とにかく、見ていて楽しめる。
三津五郎が、正月早々、象を持ち込んで世を騒がせ、無理難題を吹っかけて、美しい豊島家息女弥生姫(福助)を掻っ攫っていこうと言う大悪人を演じているのだが、全くこれまでと違ったイメージながら、中々風格があって、團十郎との互角の対決が面白い。
次の演目は、「十返りの松」。
昭和天皇のための祝賀の曲を、天皇陛下御在位二十年記念の歌舞伎に演出換えして、本邦初演の華やかな舞踊に仕立て上げられた舞台だが、芝翫を筆頭に成駒屋三代が華やかな舞踊を見せる。
松の精の芝翫の芸は申すまでもなく、息の合った男女カップルの福助・橋之助の梅と竹の精の美しさ、それに、随分大きくなった橋之助の3人の男の子たちの芸達者振りは、流石であり、華やかで艶のある山勢松韻ほかの山田流筝曲連中と囃子連中の音曲に乗って展開され、正に、豪華な祝賀気分横溢の舞台である。
舞台の合間に、ロビーに3人のお母さん三田寛子さんが出ていたが、もう二十年近くになるが、ロンドンのロイヤル・オペラ劇場で見かけた時の印象と殆ど変わっていなかったのには驚いた。
最後の演目は、全く当時から消えてしまって200年ぶりに演出されたと言う鶴屋南北の「競艶仲町」。
竹田出雲たちの「双蝶々曲輪日記」から主題を取って江戸歌舞伎に移し変えた書き換え狂言で、場所や登場人物など、オリジナルを模倣しながら脚色しているのが面白い。
しかし、誰も見たことも演じたこともない江戸中期の歌舞伎の舞台を、考証に考証を重ねて、現在の芝居に蘇らせて、全く異質感なく楽しませているのであるから、苦労とその努力は大変なものであったと思う。
双蝶々では、主人筋のために殺人を犯した大坂の大関・濡髪長五郎が、本編では、下谷の鳶頭与五郎(橋之助)となっているが、それが、逃げて行く先が、双蝶々では、八幡(京都の淀川の畔)の代官南方与兵衛(後に十次兵衛)で、これが、本編では、下総八幡(千葉県)の郷士南方与兵衛と変わるが、八幡の地名を上方から江戸に換え、ヨド川をエド川に変えているだけで、殺人を犯して逃げて行き助けられると言う筋書きも同じそのまま踏襲している。
エリザベス時代のイギリスでも、シェイクスピアの戯曲が盗み取られて、すぐに、別の劇場で良く似た芝居が演じられるのなどと言うのは当たり前で、シェイクスピア自身の作品もオリジナルは少ないと言われている。
芝居と言うものは、どんどんテーマが発展・展開して、決定版に育ってきたと言うことであろうか。
面白いのは、テーマは同じでも、やはり、上方歌舞伎と江戸歌舞伎の違いの明確さで、
上方の場合には、長五郎が御用になる前に、一目、分かれた後妻に出た母親に会いたくて帰る先が代官南方の家で、義理の兄弟の人間関係とその板ばさみに泣く母親の苦衷がテーマで、肉親間の切羽詰った苦しみと義理人情が大きな比重を占めていて、泣かせる舞台となっているが、
江戸の方は、二人の間に深川の遊女都(福助)が介在する恋に纏わる男の意気地とその都を巡る出生の秘密を利用して暗躍する悪人などを介在させた南北話に転換していて、題名の「(いきじと読む)」が示す如く、鳶頭の与五郎と深川遊女の都と武士の与兵衛が、自分たちのプライドをかけて威勢の良い啖呵を切るバイタリティのある明るい舞台に変わってしまっている。
座長役者が三津五郎だが、最初は、人の良い一寸間抜けな武士で、都を嫁に迎えたいと決めて来た深川仲町吾妻屋の座敷では、待てど暮らせど、都は来ず、来ても言い交わした人がいると振られ、同じ座敷で衝立を立てて相客(橋之助の与五郎)と寝ると言う全く考えられないような設定。後半、下総八幡村与兵衛町宅の場で、与五郎と都が追われて逃げてくる所あたりからは、中々、風格のある正統派の武士に戻り、癖のない鷹揚な演技で面白くなる。
妹役の中村志のぶが良い味を出してサポートしている。
橋之助の、粋で威勢が良くてメリハリの利いた江戸っ子鳶職人はうってつけで、福助が、遊女都と全くおぼこな町娘お早の二役を、器用に演じ分けて面白い女性像を演出していて楽しめる。
悪巧み2人組の平岡郷左衛門の團蔵と丸屋番頭権九郎の市蔵のコンビは、相変わらず抜群の性格俳優ぶりで実に上手い。
とにかく、今月の国立劇場の歌舞伎は、やはり、日本文化芸術振興会の日本の隠れた伝統文化を掘り起こし更に豊かに育てて行こうとする努力が実った舞台であり、非常に素晴らしいことだと思っている。
(追記)写真は、象引の團十郎で、NHK TVより。
まず真っ先に、半年振りに病気快癒してA型からO型に血液が変わったと言う團十郎が、お家の芸歌舞伎18番の内「象引」を、文献などを紐解いて新しい演出を考案し、新しい象を登場させて豪快な演技を披露しており、正に、正月気分を高揚させるのに十分な舞台で、江戸歌舞伎の華やかさを見せている。
象引は、京都から来た大悪人大伴大臣褐麿(三津五郎)が連れて来た南蛮渡来の象が暴れだして世を騒がせたので、江戸代表の豪快で力強い正義の味方箕田源二猛(團十郎)が大人しく手なずけて、象を引いて意気揚々と花道を下がって行くと言う奇想天外な話である。
二人の豪傑が一つのものを引き合って腕力を競う「引合事」は歌舞伎などの演出の一つで、ヒーローが悪を退治する、所謂、悪霊退散を意図した荒事は縁起が良いとされていて、團十郎家の超ブランドだと言う。
悪である京都の貴族上方文明と戦って、江戸の豪傑ヒーローが、東西対決で勝利するので、江戸庶民の喜びはいやが上にも盛り上がると言うのだから、単純と言うか全く馬鹿馬鹿しいと言うか、しかし、とにかく、見ていて楽しめる。
三津五郎が、正月早々、象を持ち込んで世を騒がせ、無理難題を吹っかけて、美しい豊島家息女弥生姫(福助)を掻っ攫っていこうと言う大悪人を演じているのだが、全くこれまでと違ったイメージながら、中々風格があって、團十郎との互角の対決が面白い。
次の演目は、「十返りの松」。
昭和天皇のための祝賀の曲を、天皇陛下御在位二十年記念の歌舞伎に演出換えして、本邦初演の華やかな舞踊に仕立て上げられた舞台だが、芝翫を筆頭に成駒屋三代が華やかな舞踊を見せる。
松の精の芝翫の芸は申すまでもなく、息の合った男女カップルの福助・橋之助の梅と竹の精の美しさ、それに、随分大きくなった橋之助の3人の男の子たちの芸達者振りは、流石であり、華やかで艶のある山勢松韻ほかの山田流筝曲連中と囃子連中の音曲に乗って展開され、正に、豪華な祝賀気分横溢の舞台である。
舞台の合間に、ロビーに3人のお母さん三田寛子さんが出ていたが、もう二十年近くになるが、ロンドンのロイヤル・オペラ劇場で見かけた時の印象と殆ど変わっていなかったのには驚いた。
最後の演目は、全く当時から消えてしまって200年ぶりに演出されたと言う鶴屋南北の「競艶仲町」。
竹田出雲たちの「双蝶々曲輪日記」から主題を取って江戸歌舞伎に移し変えた書き換え狂言で、場所や登場人物など、オリジナルを模倣しながら脚色しているのが面白い。
しかし、誰も見たことも演じたこともない江戸中期の歌舞伎の舞台を、考証に考証を重ねて、現在の芝居に蘇らせて、全く異質感なく楽しませているのであるから、苦労とその努力は大変なものであったと思う。
双蝶々では、主人筋のために殺人を犯した大坂の大関・濡髪長五郎が、本編では、下谷の鳶頭与五郎(橋之助)となっているが、それが、逃げて行く先が、双蝶々では、八幡(京都の淀川の畔)の代官南方与兵衛(後に十次兵衛)で、これが、本編では、下総八幡(千葉県)の郷士南方与兵衛と変わるが、八幡の地名を上方から江戸に換え、ヨド川をエド川に変えているだけで、殺人を犯して逃げて行き助けられると言う筋書きも同じそのまま踏襲している。
エリザベス時代のイギリスでも、シェイクスピアの戯曲が盗み取られて、すぐに、別の劇場で良く似た芝居が演じられるのなどと言うのは当たり前で、シェイクスピア自身の作品もオリジナルは少ないと言われている。
芝居と言うものは、どんどんテーマが発展・展開して、決定版に育ってきたと言うことであろうか。
面白いのは、テーマは同じでも、やはり、上方歌舞伎と江戸歌舞伎の違いの明確さで、
上方の場合には、長五郎が御用になる前に、一目、分かれた後妻に出た母親に会いたくて帰る先が代官南方の家で、義理の兄弟の人間関係とその板ばさみに泣く母親の苦衷がテーマで、肉親間の切羽詰った苦しみと義理人情が大きな比重を占めていて、泣かせる舞台となっているが、
江戸の方は、二人の間に深川の遊女都(福助)が介在する恋に纏わる男の意気地とその都を巡る出生の秘密を利用して暗躍する悪人などを介在させた南北話に転換していて、題名の「(いきじと読む)」が示す如く、鳶頭の与五郎と深川遊女の都と武士の与兵衛が、自分たちのプライドをかけて威勢の良い啖呵を切るバイタリティのある明るい舞台に変わってしまっている。
座長役者が三津五郎だが、最初は、人の良い一寸間抜けな武士で、都を嫁に迎えたいと決めて来た深川仲町吾妻屋の座敷では、待てど暮らせど、都は来ず、来ても言い交わした人がいると振られ、同じ座敷で衝立を立てて相客(橋之助の与五郎)と寝ると言う全く考えられないような設定。後半、下総八幡村与兵衛町宅の場で、与五郎と都が追われて逃げてくる所あたりからは、中々、風格のある正統派の武士に戻り、癖のない鷹揚な演技で面白くなる。
妹役の中村志のぶが良い味を出してサポートしている。
橋之助の、粋で威勢が良くてメリハリの利いた江戸っ子鳶職人はうってつけで、福助が、遊女都と全くおぼこな町娘お早の二役を、器用に演じ分けて面白い女性像を演出していて楽しめる。
悪巧み2人組の平岡郷左衛門の團蔵と丸屋番頭権九郎の市蔵のコンビは、相変わらず抜群の性格俳優ぶりで実に上手い。
とにかく、今月の国立劇場の歌舞伎は、やはり、日本文化芸術振興会の日本の隠れた伝統文化を掘り起こし更に豊かに育てて行こうとする努力が実った舞台であり、非常に素晴らしいことだと思っている。
(追記)写真は、象引の團十郎で、NHK TVより。