先日、NHKで向井理のオランダ旅を放映していたが、雑用の合間に、ちらちら見ていたが、懐かしい風景が映し出されると、無性に懐かしくなる。
ところで、古いフィルムの整理ついでに、何故か、手元にあるフィルム100本分くらいの内、外国分の一部をスキャンし始めたら、殆ど、最初は、オランダの頃の写真ばかりであった。
家族写真が多いので、大半は観光地でのものだが、やはり、近くのチューリップ公園であるキューケンホフに良く行ったのか、チューリップに関係したものが多く、次に多いのは、各地にある有名な建物を、精巧なミニチュア模型にして小さな都市を作り出しているマドローダム公園での写真である。
それに、オランダなどヨーロッパの博物館や美術館などでは、写真が自由に写せるところが多いので、レンブラントやフェルメールの絵の前で写した写真もあり懐かしい。
1985年以降だから、当時は、フィルムもASA100くらいで感度も良くなかったのだが、ニコンでF1.2、ライカでF1.4の標準レンズで手振れを注意して写せば、まずまず、写せた。
最初にオランダに行ったのは、もう、22~3年前になるのだが、その時、美術館では、ゴッホやレンブラントよりも、真っ先に感激したのは、フェルメールの「牛乳を注ぐ女」で、それから、私のフェルメール行脚が始まり、幸い、海外生活や海外出張が多かったので、最大36点くらいだと言われている彼の作品の32点は、既に、お目にかかっている。
オランダに住んでいた時には、日本からお客さんが来て芸術に多少の関心のある人には、必ず、アムステルダム国立博物館やハーグのマウリッツハイス美術館に案内して、フェルメールの素晴らしさを語っていたのだが、久しぶりに会ったら、殆どがフェルメールに入れ込んでいて嬉しくなっている。
フェルメールの故郷デルフトにも良く出かけて行って、当時の面影が残っている建物の中に入って、窓から差し込む淡い光を感じながら、絵の感触を反芻していたのだが、オランダの旧市街の古い建物の中に入ると、今でも、レンブラントやフェルメールが、ふっと飛び出してくるような気がするのが不思議である。
この口絵写真は、今回スキャンした1986年春の写真だが、チューリップ畑が延々と続いているリセの農場である。
緑の部分は、既に花が咲いて、球根肥培のために花弁が刈り取られた畑か、まだ蕾の畑である。
遠くの方まで極彩色の帯が横たわっていて、その向こうに絵のようなオランダの家々が遠望できる。
花が咲けば、ほんの数日で花弁が刈り取られてしまうので、チューリップの種類によっては、開花時期が異なるので、全畑が、同時にカラフルな色のカーペットになることはなく、見ごろは極めて限られていて、タイミングが難しい。
刈り取られた花弁は、うず高く畝の縁に積み上げられて廃却されるのだが、勿体ないような気がするが、使い道がないのであろう。
チューリップは、トルコの原産で、砂地で育つようで、このリセの農地も、パラパラとした砂交じりの土である。
経済のバブルの始まりは、このオランダのチューリップで、新種の逸品は、球根一個が大邸宅に匹敵したと言うから相当なもので、丁度資本主義経済が軌道に乗り始めた商業オリエンテッドな市民社会の勃興期とも一致したこともあって、金に聡い猿どもが狂奔したのだと言うから面白い。
何を間違ったのか、逸品の球根を食用と間違えて食べてしまって、大騒ぎになったと言う泣くに泣けない悲喜劇もあったとか、昔も今も、欲に駆られた人間の引き起こすバブルは、ずっと人を泣かせてきたのである。
汚名を晴らすためにも、今でも、オランダはチューリップの国で、このリセ近郊で栽培された膨大なチューリップと球根が、すぐ近くのアルスメールの世界最大規模の花市場でセリにかけられて、隣のスキポール空港から、瞬時に世界中に送られて行く。
さて、スキャンだが、それまでは、キヤノンのプリンターのスキャン機能を使ってスキャンしていたのだが、時間が掛かり過ぎるので、ケンコーの簡易なフィルムスキャナーに切り替えた。
解像度は低いが早いし、2L版程度の引き伸ばしには耐えそうだし、とにかく、整理もままならず、すてるだけのフィルムなら暇に飽かせて、少しずつ、思い出を反芻しながら、貴重な体験を探し出そうと思ったのである。
まだ、この何十倍もの膨大なフィルムが、押し入れに眠っているのだが、世界中の珍しい土地にも出かけているし、あっちこっちで、シャッターを押し続けて来たので、自分でも忘れている面白い写真を見つけ出せるのはないかと、楽しみにもしている。
ところで、古いフィルムの整理ついでに、何故か、手元にあるフィルム100本分くらいの内、外国分の一部をスキャンし始めたら、殆ど、最初は、オランダの頃の写真ばかりであった。
家族写真が多いので、大半は観光地でのものだが、やはり、近くのチューリップ公園であるキューケンホフに良く行ったのか、チューリップに関係したものが多く、次に多いのは、各地にある有名な建物を、精巧なミニチュア模型にして小さな都市を作り出しているマドローダム公園での写真である。
それに、オランダなどヨーロッパの博物館や美術館などでは、写真が自由に写せるところが多いので、レンブラントやフェルメールの絵の前で写した写真もあり懐かしい。
1985年以降だから、当時は、フィルムもASA100くらいで感度も良くなかったのだが、ニコンでF1.2、ライカでF1.4の標準レンズで手振れを注意して写せば、まずまず、写せた。
最初にオランダに行ったのは、もう、22~3年前になるのだが、その時、美術館では、ゴッホやレンブラントよりも、真っ先に感激したのは、フェルメールの「牛乳を注ぐ女」で、それから、私のフェルメール行脚が始まり、幸い、海外生活や海外出張が多かったので、最大36点くらいだと言われている彼の作品の32点は、既に、お目にかかっている。
オランダに住んでいた時には、日本からお客さんが来て芸術に多少の関心のある人には、必ず、アムステルダム国立博物館やハーグのマウリッツハイス美術館に案内して、フェルメールの素晴らしさを語っていたのだが、久しぶりに会ったら、殆どがフェルメールに入れ込んでいて嬉しくなっている。
フェルメールの故郷デルフトにも良く出かけて行って、当時の面影が残っている建物の中に入って、窓から差し込む淡い光を感じながら、絵の感触を反芻していたのだが、オランダの旧市街の古い建物の中に入ると、今でも、レンブラントやフェルメールが、ふっと飛び出してくるような気がするのが不思議である。
この口絵写真は、今回スキャンした1986年春の写真だが、チューリップ畑が延々と続いているリセの農場である。
緑の部分は、既に花が咲いて、球根肥培のために花弁が刈り取られた畑か、まだ蕾の畑である。
遠くの方まで極彩色の帯が横たわっていて、その向こうに絵のようなオランダの家々が遠望できる。
花が咲けば、ほんの数日で花弁が刈り取られてしまうので、チューリップの種類によっては、開花時期が異なるので、全畑が、同時にカラフルな色のカーペットになることはなく、見ごろは極めて限られていて、タイミングが難しい。
刈り取られた花弁は、うず高く畝の縁に積み上げられて廃却されるのだが、勿体ないような気がするが、使い道がないのであろう。
チューリップは、トルコの原産で、砂地で育つようで、このリセの農地も、パラパラとした砂交じりの土である。
経済のバブルの始まりは、このオランダのチューリップで、新種の逸品は、球根一個が大邸宅に匹敵したと言うから相当なもので、丁度資本主義経済が軌道に乗り始めた商業オリエンテッドな市民社会の勃興期とも一致したこともあって、金に聡い猿どもが狂奔したのだと言うから面白い。
何を間違ったのか、逸品の球根を食用と間違えて食べてしまって、大騒ぎになったと言う泣くに泣けない悲喜劇もあったとか、昔も今も、欲に駆られた人間の引き起こすバブルは、ずっと人を泣かせてきたのである。
汚名を晴らすためにも、今でも、オランダはチューリップの国で、このリセ近郊で栽培された膨大なチューリップと球根が、すぐ近くのアルスメールの世界最大規模の花市場でセリにかけられて、隣のスキポール空港から、瞬時に世界中に送られて行く。
さて、スキャンだが、それまでは、キヤノンのプリンターのスキャン機能を使ってスキャンしていたのだが、時間が掛かり過ぎるので、ケンコーの簡易なフィルムスキャナーに切り替えた。
解像度は低いが早いし、2L版程度の引き伸ばしには耐えそうだし、とにかく、整理もままならず、すてるだけのフィルムなら暇に飽かせて、少しずつ、思い出を反芻しながら、貴重な体験を探し出そうと思ったのである。
まだ、この何十倍もの膨大なフィルムが、押し入れに眠っているのだが、世界中の珍しい土地にも出かけているし、あっちこっちで、シャッターを押し続けて来たので、自分でも忘れている面白い写真を見つけ出せるのはないかと、楽しみにもしている。