この本の冒頭の第1章は、2008年11月に起こったムンバイのテロ事件の時に、インドの傑出したビジネスリーダー・アニル・アンバニが、ウォートン・スクールでの式典でスピーチすべく渡米の直前だったが、シン首相に、インドにこの非常時に「国家安定の守り神」として留まって欲しいと依頼された逸話で始まっている。
米国では、金融危機を契機に、高額報酬や社用ジエット、破格の待遇であるゴールデン・パラシュート取得など強欲で倫理欠如などで、経営者が社会的信頼を失墜させていた時期に、インドでは、大企業のリーダーは、国家的達成や不屈の精神の象徴として、尊敬を集めていると言う。
多くのインド企業は、国家の成長こそが、自分たち自身の収益拡大には必要不可欠で、国土の開発と国力の発展のために、ビジネスのみならず、国家的リーダーシップも発揮していると言うのである。
この考え方は、米国の経営者は、自らを多数の制度的株主のエージェントだと見做しているが、インドでは、株主よりも広義のステイクホールダーを重視し、更に、株主価値よりも社会的価値の重きを置くと言う姿勢にも表れている。
この本は、わが母校でもあるウォートン・スクールの4人の経営学教授が、インド財界の著名なトップは勿論、インドの時価総額ベースで上場企業トップ150にアプローチして、100人以上のエグゼクティブへの十分なインタビューで得た情報を基にして、インド企業の経営および経営者の実体を集大成し体系化したもので、著者たちは、米国主体の経営学と対比させながら、時には、それを越えたインドの新しいマネジメント手法「インド・ウェイ」が「アメリカン・ウェイ」を照らす光となると言ったプロパガンダさえ展開している。
私など、ダニエル・ラクの「インド特急便!」や、エドワード・ルースの「インド 厄介な経済大国」などを読んでいて、如何に、インドが、遅れた(?)、極めて深刻な多くの問題を抱えた発展途上国であるかを、垣間見ているので、この口絵写真に登場しているジテンドラ・シン教授(右)やハビール・シン教授の説いていたこの本の主題を、そのまま、信じるつもりにはなれないのだが、一つのインド経営の姿として、それも、新しい新興国のビジネスモデルの方向として理解しようと思ったのだが、そう考えると非常に示唆に富んだ経営戦略などが浮かび上がってくる。
著者たちは、インド特有の経営手法を「インド・ウェイ THE INDIA WAY」と称しているのだが、その手法の根幹をなすのは、高遠な使命、従業員へのホリスティック・エンゲージメント、即興性と適応力(ジュガードの精神)、創造的な価値提案の4つの原則で、これらについて、克明に分析評価している。
しかし、これらの精神が一挙に爆発して、インド人企業家を企業の活性化と経済成長に邁進させたのは、須らく、1991年のインド経済の自由化への転換であって、丁度、ベルリンの壁が崩壊し、世界経済のグローバル化に呼応して、インド企業が一斉に激烈な競争とビジネスチャンス到来に遭遇し、インド人本来のパワフルな起業家精神に火がついたのである。
成功した企業は、少ないインプットで高い柔軟性を駆使するインド的競争様式を、より国際的な競争様式、すなわち、テクノロジーと人財資本をレベルアップするとともに賃金を世界標準に近づけ、製品とサービスを向上させると言った様式の調和に成功したのだと言う。
インド企業には、人財資本が総てだと言う考えが強く、インド企業の強さは、単位生産コストが安いからではなく、1単位当たりのイノベーションを生み出すコストが安く、イノベーションを起す能力の高さにあると言う。
特に、ローエンドのコストでハイエンドの製品やサービスを生み出すと言うインド特有のイノベーション志向は、プラハラードの説くBOPマーケットを席巻しつつあるイノベーションや、GEが先行して火を点けたインド発のリバース・イノベーションの頻発に如実に示されていて、クリステンセンの破壊的イノベーションが、今後、益々、新興国で生まれるであろうと言う兆候の現れで、非常に興味深い。
インドは、1000年近くのあいだ、度重なる侵略や政治的従属、経済的搾取に見舞われ、近代に至っても東インド会社や大英帝国の支配下にあり、独立後も、ネルーの閉鎖的社会主義政治で門戸を閉ざして、殆ど、国際場裏での活躍の場から締め出されていたのだが、1991年以降の自由化と国際経済のグローバリゼーションの潮流に乗って、一気に、国際舞台に登場し、インド企業の多くが、全く、ゼロの白紙状態から、起業してグローバル経済に躍り出たことを考えれば、著者たちの説く「インド・ウェイ」は、インド独特の文化文明と欧米主導の現代文化文明とのハイブリッドだと言えるであろうか。
しかし、それも、理論や戦略があって生まれた「インド・ウェイ」ではなくて、試行錯誤、失敗に失敗を重ねて我武者羅に生き抜いてきたインド企業が生み出したビジネス手法であろう。
ネルーの名誉のために言えば、人財しか資源のなかったインドにIIT(インド工科大学)を設立し、世界中に俊英をばら撒き、特に、シリコンバレー・リンクでインドを一気にIT大国に押し上げたこの重大事が、現在のインド経済およびインドビジネスの起爆剤の一つであることには疑問の余地がない。
著者たちは、どんな国のマネージャーもインドの事例から、大義、文化、合議の力、そして、次のことを有効に学ぶ事が出来ると言っているが、これが事実なら、「インド・ウェイ」を生み出したインドおよびインド人は凄いと言うことである。
①創造的な価値提案と迅速な意思決定。
②従業員を負債ではなく資産とする価値観。
③四半期ではなく、より長期的に物事を構築することの有効性。
④株主価値よりも企業忠誠心のベネフィット。
⑤私的な目的よりも国家的使命の優位性。
このあたりの特質は、本来の日本経営に良く似ているのだが、やはり、仏教など同根とする東洋の思想的背景があればこそかも知れないが、その差の検証も重要となろう。
米国では、金融危機を契機に、高額報酬や社用ジエット、破格の待遇であるゴールデン・パラシュート取得など強欲で倫理欠如などで、経営者が社会的信頼を失墜させていた時期に、インドでは、大企業のリーダーは、国家的達成や不屈の精神の象徴として、尊敬を集めていると言う。
多くのインド企業は、国家の成長こそが、自分たち自身の収益拡大には必要不可欠で、国土の開発と国力の発展のために、ビジネスのみならず、国家的リーダーシップも発揮していると言うのである。
この考え方は、米国の経営者は、自らを多数の制度的株主のエージェントだと見做しているが、インドでは、株主よりも広義のステイクホールダーを重視し、更に、株主価値よりも社会的価値の重きを置くと言う姿勢にも表れている。
この本は、わが母校でもあるウォートン・スクールの4人の経営学教授が、インド財界の著名なトップは勿論、インドの時価総額ベースで上場企業トップ150にアプローチして、100人以上のエグゼクティブへの十分なインタビューで得た情報を基にして、インド企業の経営および経営者の実体を集大成し体系化したもので、著者たちは、米国主体の経営学と対比させながら、時には、それを越えたインドの新しいマネジメント手法「インド・ウェイ」が「アメリカン・ウェイ」を照らす光となると言ったプロパガンダさえ展開している。
私など、ダニエル・ラクの「インド特急便!」や、エドワード・ルースの「インド 厄介な経済大国」などを読んでいて、如何に、インドが、遅れた(?)、極めて深刻な多くの問題を抱えた発展途上国であるかを、垣間見ているので、この口絵写真に登場しているジテンドラ・シン教授(右)やハビール・シン教授の説いていたこの本の主題を、そのまま、信じるつもりにはなれないのだが、一つのインド経営の姿として、それも、新しい新興国のビジネスモデルの方向として理解しようと思ったのだが、そう考えると非常に示唆に富んだ経営戦略などが浮かび上がってくる。
著者たちは、インド特有の経営手法を「インド・ウェイ THE INDIA WAY」と称しているのだが、その手法の根幹をなすのは、高遠な使命、従業員へのホリスティック・エンゲージメント、即興性と適応力(ジュガードの精神)、創造的な価値提案の4つの原則で、これらについて、克明に分析評価している。
しかし、これらの精神が一挙に爆発して、インド人企業家を企業の活性化と経済成長に邁進させたのは、須らく、1991年のインド経済の自由化への転換であって、丁度、ベルリンの壁が崩壊し、世界経済のグローバル化に呼応して、インド企業が一斉に激烈な競争とビジネスチャンス到来に遭遇し、インド人本来のパワフルな起業家精神に火がついたのである。
成功した企業は、少ないインプットで高い柔軟性を駆使するインド的競争様式を、より国際的な競争様式、すなわち、テクノロジーと人財資本をレベルアップするとともに賃金を世界標準に近づけ、製品とサービスを向上させると言った様式の調和に成功したのだと言う。
インド企業には、人財資本が総てだと言う考えが強く、インド企業の強さは、単位生産コストが安いからではなく、1単位当たりのイノベーションを生み出すコストが安く、イノベーションを起す能力の高さにあると言う。
特に、ローエンドのコストでハイエンドの製品やサービスを生み出すと言うインド特有のイノベーション志向は、プラハラードの説くBOPマーケットを席巻しつつあるイノベーションや、GEが先行して火を点けたインド発のリバース・イノベーションの頻発に如実に示されていて、クリステンセンの破壊的イノベーションが、今後、益々、新興国で生まれるであろうと言う兆候の現れで、非常に興味深い。
インドは、1000年近くのあいだ、度重なる侵略や政治的従属、経済的搾取に見舞われ、近代に至っても東インド会社や大英帝国の支配下にあり、独立後も、ネルーの閉鎖的社会主義政治で門戸を閉ざして、殆ど、国際場裏での活躍の場から締め出されていたのだが、1991年以降の自由化と国際経済のグローバリゼーションの潮流に乗って、一気に、国際舞台に登場し、インド企業の多くが、全く、ゼロの白紙状態から、起業してグローバル経済に躍り出たことを考えれば、著者たちの説く「インド・ウェイ」は、インド独特の文化文明と欧米主導の現代文化文明とのハイブリッドだと言えるであろうか。
しかし、それも、理論や戦略があって生まれた「インド・ウェイ」ではなくて、試行錯誤、失敗に失敗を重ねて我武者羅に生き抜いてきたインド企業が生み出したビジネス手法であろう。
ネルーの名誉のために言えば、人財しか資源のなかったインドにIIT(インド工科大学)を設立し、世界中に俊英をばら撒き、特に、シリコンバレー・リンクでインドを一気にIT大国に押し上げたこの重大事が、現在のインド経済およびインドビジネスの起爆剤の一つであることには疑問の余地がない。
著者たちは、どんな国のマネージャーもインドの事例から、大義、文化、合議の力、そして、次のことを有効に学ぶ事が出来ると言っているが、これが事実なら、「インド・ウェイ」を生み出したインドおよびインド人は凄いと言うことである。
①創造的な価値提案と迅速な意思決定。
②従業員を負債ではなく資産とする価値観。
③四半期ではなく、より長期的に物事を構築することの有効性。
④株主価値よりも企業忠誠心のベネフィット。
⑤私的な目的よりも国家的使命の優位性。
このあたりの特質は、本来の日本経営に良く似ているのだが、やはり、仏教など同根とする東洋の思想的背景があればこそかも知れないが、その差の検証も重要となろう。